「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

特攻隊と大関豪栄道の「大和魂」

2014-08-02 05:53:44 | Weblog
大相撲の豪栄道が大関昇進の伝達式の口上で”これからは大和魂を貫きます”と挨拶した。「大和魂」とは久しぶりに聞く言葉だが、戦争中「大和魂」を叩き込まれた僕ら世代にとっては複雑な思いがする。

「大和魂」というと、僕らにの世代は、江戸時代の国学者本居宣長が歌った「敷島の大和心(魂)を人問えば朝日に匂う山桜」を思い起こす。豪栄道は口上で大和魂の意味について”日本人の我慢強さ、潔さがこの言葉にこもっている”と解釈していた。たしかに、戦争末期の特攻隊は、隊名にこの歌からとった「敷島隊」「「大和隊」「山桜隊}の名前をつけ、僕ら小国民も国のため山桜のように”潔くよく散れと教育されていた。しかし、大関昇進の口上として果たして適切かどうかだ。

戦後は「大和魂」の言葉は一変して国民の間から消え、軍国主義を象徴する言葉として忌避され敬遠されるようになった。戦後かなり経った1967年、ハワイ出身の日本人三世のボクサー藤猛が世界チャンピオンになった時、リング上で〝オカヤマのおばあさん、見たか。ヤマトダマシイだ”と絶叫し話題になったが、当時の日本人は時代離れもよいと、と戯画を見る目でチャンピオンを迎えたものだ。

大相撲はモンゴル出身の横綱三人、日本人大関三人に色分けされた。豪栄道が大関昇進の口上に「大和魂」を使用すると、早やとちりの日本人の中には、大相撲をモンゴル人から日本人の手に取り戻す挑戦状とみる向きがあるかもしれない。言葉も時代によって解釈が違ってくる。戦時中のような解釈を知っている日本人は少なくなっている。素直に大関豪栄道の「大和魂」を受け入れることにしよう。