「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         スマトラ地震と旧日本軍防空壕

2009-10-02 05:22:44 | Weblog
またスマトラでマグニチュード(M)7・6の大地震である。幸い2005年12月の巨大
地震の時のような津浪は発生しなかったが、地すべりや家屋の倒壊で、犠牲者
は1000名を越すという報道もある。震源地は西スマトラ最大の都市,パダン西北
西約45㌔の海底である。この地域では07年3月にもM6・3とM6・1の連続地震で
大きな被害が出ていたばかりである。

このパダンから東に90㌔入った高原にブキティンギという町があり、ここに戦争中
スマトラ全域を統括する日本陸軍の第25軍司令部があった。戦争末期の昭和19
年、戦況の逼迫化に伴い、高原にある断層を利用して防空壕が掘られた。司令部
の全要員が長期間生活できるよう設計された大きな壕である。戦後30年近くたって
インドネシア政府がここを公園化しようと計画、何を間違ってか宣伝効果を狙って壕
の築造のさい、日本軍が労務者3000人を殺したと喧伝した。日本の学者、研究者
までが見事これにだまされた。

1995年、僕は戦争中パダンにあった日本語の「パダン新聞」記者だった先輩と一緒
にブキティンギを訪れ、このデマを知り、帰国後、防空壕を築造した主計大尉を探し 
あて、虐殺が作り話であるのを証明した。翌年、インドネシア政府も壕の入口にあった
虐殺の壁画を撤去した。

07年の地震でもブキティンギでは8名犠牲者が出て、以降防空壕の公開は中止され
ているという話だ。今回の地震でも多分、大きな被害が出ていると思う。防空壕は500
㌧爆弾にも耐えられるように設計されている。公園化のさい補強もされているが、果た
して半世紀以上の歳月を経て安全なのかどうか判らない。やっかいな戦争の置き土産
である。(写真は旧日本軍防空壕入口と断面図)