僕の住んでいる東京(区部)ではまだトンボをみない。遠い僕の記憶では8月も半
ばをすぎ、桑の実の熟する今ごろになると、赤トンボの姿を見かけた。その赤トン
ボどころか、町中にウヨウヨといたシオカラ・トンボやムギワラ・トンボさえ見かけな
い。子供だった昭和10年代、僕らの遊び場だった皇后陛下の実家があった池田
山へ行けば、ギンやチャンといった大型のヤンマさえ飛んでいたものだが。
トンボがいなくなったのは、やはり河川の暗渠化と関係があると思う。僕の家の近
くにも小川が流れていたが、昭和40年に暗渠となり、桜並木に変わった。その変化
なのだろうか、トンボの代わりに蝉、それもかってはあまりいなかったミンミン蝉の
鳴き声が大きく聞こえるようになった。
自然の変化を一番受けているのは昆虫類だ。戦前、東京の山の手には何処にでも
あった”原っぱ”の消失で、僕らが源氏、平家と呼んでいた殿様バッタは完全に姿を
消した。カマキリや親子バッタ、クソバッタ、トカゲもいなくなった。
ベトナム戦争時代の作家、開高健(1931年ー89年)のエッセーにこんなのがある。
「トンボがいなくなった。泥鰌がいなくなった。蛙の声が聞こえない。鴬の声も聞いた
ことがない」-気がつけば開高健が、このエッセーを書いたのは、もう20年以上も
前のことなのだ。
今朝もラジオ体操へ行く途中のコンクリートの道の上に地上に出てきたばかりのアブ
ラゼミの無残な死体を見た。考えさせられる。
ばをすぎ、桑の実の熟する今ごろになると、赤トンボの姿を見かけた。その赤トン
ボどころか、町中にウヨウヨといたシオカラ・トンボやムギワラ・トンボさえ見かけな
い。子供だった昭和10年代、僕らの遊び場だった皇后陛下の実家があった池田
山へ行けば、ギンやチャンといった大型のヤンマさえ飛んでいたものだが。
トンボがいなくなったのは、やはり河川の暗渠化と関係があると思う。僕の家の近
くにも小川が流れていたが、昭和40年に暗渠となり、桜並木に変わった。その変化
なのだろうか、トンボの代わりに蝉、それもかってはあまりいなかったミンミン蝉の
鳴き声が大きく聞こえるようになった。
自然の変化を一番受けているのは昆虫類だ。戦前、東京の山の手には何処にでも
あった”原っぱ”の消失で、僕らが源氏、平家と呼んでいた殿様バッタは完全に姿を
消した。カマキリや親子バッタ、クソバッタ、トカゲもいなくなった。
ベトナム戦争時代の作家、開高健(1931年ー89年)のエッセーにこんなのがある。
「トンボがいなくなった。泥鰌がいなくなった。蛙の声が聞こえない。鴬の声も聞いた
ことがない」-気がつけば開高健が、このエッセーを書いたのは、もう20年以上も
前のことなのだ。
今朝もラジオ体操へ行く途中のコンクリートの道の上に地上に出てきたばかりのアブ
ラゼミの無残な死体を見た。考えさせられる。