わが家の階下の部屋にカメルーン人が引っ越してきた。国際派を自認する僕でも
正直言って「カメルーン」のことはあまり知らない。にわか勉強で、この国について
学んでいるが、かっては遥か遠い遠い存在だった「アフリカ」も身近になったものだ。
1960年は"アフリカの年”だった。この年、僕は新聞社の外信部に勤務していたが、
今でも、この年に特別な感銘をもっている。1月1日にフランス領カメルーンが独立し
たのについで、この年だけで16か国が宗主国から独立した。1945年の日本の敗
戦を契機に僅か15年で"独立の波”が、こんなに早くアフリカの岸に到達するとは思
ってもいなかった。
戦前、日本人のアフリカに対するイメージは、ジャングルと猛獣と未開の黒人だった。
戦後まもなくの昭和20年、30年代でも冒険物語「少年ケニヤ」(山川惣治)の世界であっ
た。今でも野口英世の名前は知っているが、黄熱病の研究で亡くなられたアクラがど
こにあるか知る人は少ないがー。
5月28日から30日まで横浜でアフリカ開発会議(TICAD)が開かれる。1993年、98年、
2003年についで4回目で、アフリカ諸国、援助国などから1千名の参加者がある大国
際会議なのだが、今一つ盛り上がりがない。国内の政治の混乱で、アフリカどころで
はないのかもしれないが、飢餓と貧困と病気(エーズ)に悩むアフリカの実態は想像を
絶するものがある。
身近な隣人からカメルーンを勉強したいと思い、とりあえず、東京・池袋にあるという
カメルーン料理店で身近な食から勉強したいと思っている。
正直言って「カメルーン」のことはあまり知らない。にわか勉強で、この国について
学んでいるが、かっては遥か遠い遠い存在だった「アフリカ」も身近になったものだ。
1960年は"アフリカの年”だった。この年、僕は新聞社の外信部に勤務していたが、
今でも、この年に特別な感銘をもっている。1月1日にフランス領カメルーンが独立し
たのについで、この年だけで16か国が宗主国から独立した。1945年の日本の敗
戦を契機に僅か15年で"独立の波”が、こんなに早くアフリカの岸に到達するとは思
ってもいなかった。
戦前、日本人のアフリカに対するイメージは、ジャングルと猛獣と未開の黒人だった。
戦後まもなくの昭和20年、30年代でも冒険物語「少年ケニヤ」(山川惣治)の世界であっ
た。今でも野口英世の名前は知っているが、黄熱病の研究で亡くなられたアクラがど
こにあるか知る人は少ないがー。
5月28日から30日まで横浜でアフリカ開発会議(TICAD)が開かれる。1993年、98年、
2003年についで4回目で、アフリカ諸国、援助国などから1千名の参加者がある大国
際会議なのだが、今一つ盛り上がりがない。国内の政治の混乱で、アフリカどころで
はないのかもしれないが、飢餓と貧困と病気(エーズ)に悩むアフリカの実態は想像を
絶するものがある。
身近な隣人からカメルーンを勉強したいと思い、とりあえず、東京・池袋にあるという
カメルーン料理店で身近な食から勉強したいと思っている。