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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

オーリングテストの話(13)

2012-03-16 | シリーズ「オーリングテストの話」
今日はブログを書くのが遅くなってしまいましたが、久しぶりにオーリングテストの話題です。

先日掃除機が急に動かなくなってしまい(私の不注意が原因なんですが)、修理に出そうと思っていたら、相棒が「これまでの掃除機は音がうるさいし、(保証期間が過ぎているので)修理代もけっこうかかるだろうから、それよりも新しいのを買った方がいいのでは?」と言って、インターネットで調べてくれて、幾つかの掃除機を候補に挙げてくれました。

それで、もちろんいろいろ(ネット上で)評判を確かめたり、機能を調べたり、写真を拡大して見てみたりしたのですが、最終的にはやっぱりこういう時は何といっても「オーリングテスト」が便利ですね。

私はどんなものでも何か買い物をする時は、どちらかと言えば実際にそのものに触れて確かめてみてから買うタイプなのですが、この時は相棒が自分のポケットマネーで買って私にプレゼントしてくれるというので、じゃあ、お願いしようかなと思ったわけです。

そういうわけで、何十種類もの掃除機を(パソコン画面で見ながら)オーリングテストでチェックしてみたところ、なぜかたった一つだけがオッケーだったのです。
それはわりとコンパクトで値段も他と比べてかなり安いものだったので、まぁプレゼントしてもらうことだし、このぐらいでも十分ありがたいと思って、それにしたのです。(日本製であることも気に入りました)

それにしてもオーリングテストでチェック出来てよかった!
もしそうでなかったらどれにするか、かなり迷うし、どれも(実際に実物を知らないので)確信が持てないものなぁ~と、まさに「オーリングさま、さま」と感謝でした。

その後相棒がすぐに注文してくれた(支払いもしてくれた)掃除機が届き、さっそく2週間ぶり!(掃除機が壊れて以来)の掃除をしたのです。
新しい掃除機を使いながら、どうしてこれがよかったのだろう?(他のは使っていないのだから比べられないし、全部を使ってみないことにはこれが一番いいなんてわからない筈なのに?)等と、「これだけがオッケーだった理由」などをふと考えていました。

そして、「古い掃除機はどうしよう?」とりあえず段ボール箱に入れて押し入れに仕舞っておくかなと思って、その前に念のために「まさか動く筈は無いよな!?」と思いながら、スイッチを入れてみたら、な、な、何ともの凄い轟音を立てて動いたではありませんか!
もちろん(新しい掃除機を注文する前に)何度も何度も「動かない」のを確かめてみていたのです。

「あぁ、もったいないことをしてしまった!」(相棒に申し訳ない、余計な出費をさせてしまったなぁ、ごめんなさい)と心の中であやまりながら、その時になってようやく気が付いたのです。

そうか、だからオーリングテストは「金銭的になるべく負担の少ない機種」を今回オッケーにしていたのかも!?と。
(他にも安い機種はあるかもしれませんが、相棒があらかじめ選んで私に推薦してくれていた中ではこれが比較的安かったのです)

と、まあ、このようなわけで、(最初相棒は「多少高くてもいいからもう少しいいものにしたら?」と別の機種を何度も勧めてくれていたのですが)、「今回もっと高い方を選ばなくて済んでほんとによかった!」と、せめてもの「ケガの功名」?で、オーリングテストのおかげで、またまた助かりました。
毎度のことながらほんとにオーリングテストには感謝です。

あぁ、でも買う前にもっとしっかり(オーリングテストで)チェックしたらよかった!と思ったのも事実です。

実は最初オーリングテストでは古い掃除機が「直る」という結果が出ていたのですが、「いつ直るか」ということがあいまいだったことと、修理費がかかることから、「長く待つのは大変だし、宅配で送ってまた受け取ってというのも面倒だな」などと躊躇して、それに我ながら「直るっていうけどほんとかな?」という疑いもあったので、「相棒が買ってくれるというなら、それもいいな~」と(壊れてくれてラッキー!とばかりに?)新しい掃除機に飛びついてしまったわけです。
(古い掃除機さん、ごめんなさい!)

そんなことがあって「オーリングテストの深さ」に改めて気づいた私ですが、それと同時にそれを使いこなす方の「私自身が試されている」とも感じたちょっと不思議な出来事でした。
オーリングテストと共に日々私も進化? 少しずつでも成長していっているのかもしれません。
ありがたいことです。


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阪神淡路大震災で授かった能力(28)

2012-03-14 | 「アズミックアート物語」21~ その後
今日は「ホワイトデー」ですね。だから?ってことも無いのですが、ふとこんな話題が浮かびました。

昨日、ある人が『美容院に行ったらそこに飾ってあった絵がアズミックアートの「宇宙画」に似ていた』と広島からメールをくれました。
私は寡聞にして今まで知らなかったのですが、それは「寺田のり子さんと天使河原紫翠さん」というご夫妻の作品だそうです。

さっそくネットで検索してみましたら、ご夫妻のどちらもかなり有名な方で、寺田のり子さんはカラー心理セラピストとして絵も描かれるし、講演などもされているようで、また天使河原紫翠さんは美術学校を出られた本職の画家で芸術文化賞など受賞多数、それまで前衛絵画や墨をベースとした現代絵画を描かれて、海外でも好評を得られていたそうですが、1992年より絵画表現を180度転換。カラー心理学を取り入れた「光カラーヒーリングアート(癒し絵画)」を描かれるようになったと、プロフィールに紹介されていました。
(寺田のり子さんの経歴もとてもユニークで、彼女のことを描いたドキュメンタリー映画も出来ているようです)

天使河原紫翠さんのHPを拝見して驚いたのは、そこに掲載されていた「科学的に証明された癒し効果」です。

「長寿の研究」などの権威でもある国際自然医学会会長の森下敬一医学博士が、カラーヒーリングアート作品(絵はがき)の「人体気能値」(人体に対して影響を與えるであろう総合的生命エネルギー値)を測定したところ、100点満点のうちの 94.5 ポイントという高い数値が出て、「原画」ならさらに2ポイントかそれ以上の高い数値が出る可能性があるということを1999年に証明されたそうです。

「気能値」というのは「生態エネルギーや血流を高める効力」を指す言葉のようですが、天使河原紫翠さんの絵(カラーヒーリングアート)からはそれだけ強い「気」が出ているということのようで、それが「科学的に証明された」ということにびっくり!しました。これは本当に素晴らしいことだと思います。
こういう研究が(試薬研究のように)さらに進めば、怪しげな高額の壷を買わされてしまう?ようなことも減ることでしょう。

彼のHPに掲載された作品(ポストカード)の中では、『宇宙からの贈り物』という花の絵が私は気に入りました。
原画とポストカードとでは「気能値」が数値的にそれほど変わらない(2ポイントぐらいの差?)のであれば、こういう「ポストカード」を飾るのもいいのでは?と思いました。

植物を研究されていた三上晃先生は「写真とほんものとの差はほとんど無い」と言われていましたが、写真というのは文字通り「真実を写す」もののようです。ですから三上先生はその人の体調などに合った植物を探される時に、その人の写真や植物の写真を使っておられました。
(私はこれは「オーリングテスト」でも調べられるのでは?と思っていますが、医療的なことには責任が持てませんので、素人判断は謹んでいます)

それで、例えば富士山の撮影で有名な「ロッキー田中さん」の写真なども、こういった測定をするとかなり高い波動が出ていることがわかるのではないかな?と思います。(私は「大山行男さん」の富士山の写真も同じぐらい好きですが)

それから、「宇宙画」ということでは、北海道の武田京子さんという方の絵も凄いのです。
(HP『京子の花画廊』参照)
この方のことは広島の知人が彼女の個展のお手伝いをされたことがあって、その関係でポストカードをたくさんいただき、その作品を初めて知りました。原画は大作が多いようですが、ポストカードだけでも圧倒されるような迫力です。
特に「宇宙画シリーズ」は構図が大胆で、これはほんとうに「宇宙からのメッセージ」ではないかと感じられます。

ただ、色彩的には天使河原紫翠さんの方がかなり明るい気はします。
陰陽でいうなら、両方があってこその「宇宙」で、合わせて「無」となり、そして「無」というのは何も無いことではなく、「色即是空」「空即是色」であって、この両者の作品表現の仕方はその両側面を各々担っておられるのでは?と感じました。
(拙い表現でうまく言葉に出来ませんが、ネットで検索してその作品をご覧いただければ、「百聞は一見に如かず」かと思います)

もしかしたらアズミックアートの絵は、ちょうどこのお二人の中間ぐらいではないかな?なんて、勝手に考えていますが、それは私たちの絵は凸や凹のどちらでもなく、言わば「ゼロポイント」(ゼロ磁場)のように思うからです。
つまり、もしへこんでいる人が見れば飛び出して見え?逆に飛び出している人が見ればへこんで見えるというか、ポップ過ぎる場合にはそれを落ち着かせ、落ち込んでいる場合にはそれにプラスして足していくような、そんな感じかな?と思うのですが、どうでしょうか。
ですから、絵そのものは「ポジでもネガでもない」という気がしますが、果たしてどうなんでしょうか?(笑)

以前ある人から「天河神社」もそういうゼロポイント!?の「出逢い」の場所だと聞いたことがあります。
(だから行く時々によって「エネルギー」を感じる人もいれば、何も感じない人もいるとか)
そして九州の高千穂の近くにある「弊立神宮」はその「結びの場」だとも。
それぞれにまた違ったお役目があるということなのかもしれませんね。

ところで、武田京子さんは大作を描き続けられて一時体調を崩されたと伺い気になっていましたが、今回彼女のHPを拝見すると、今年5月には銀座で個展もされるようで、安心しました。
面識は無いのですが機会があればほんものの絵をぜひ拝見してみたいと思います。
また彼女は絵を描いていると音楽もなぜか浮かんで来るそうで、最近はCDも制作販売されているようです。

余談ですが、そういえば私たちももう十年ぐらい前、信州大学の「起業」を応援するというプロジェクトに応募して、「スピリットソング」を何とか広めたいとデモテープを送ったことがありました。
結果は「癒し度」が不足しているようです~との返事でした。

そりゃ、そうですよね。音楽にずぶの素人がいきなり吹き出したケーナ曲を送ったのですから。
当然の結果です!
(如何にその頃の自分たちが「傲慢」であったことか!?)
もしあの時、間違ってうっかりと当選でもしたりしていたら、その後目も当てられない結果が待っていたことでしょう、、。
ほんとに「落とされてよかった!!」ということがあるのですね。「厳しくかつ公平な評価の大切さ」を知りました。

私たちも、後になれば(知れば知る程)「上には上があり」さらにまたその上もあり、日月が経つ程にこちらの未熟さを知るはめになるのですが、それこそが貴重な学びというものかもしれません。
こんな私たちにも関わらず今日まで快く応援し続けてくださる皆様方に心から感謝です。
(「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の如くに)これからも益々謙虚に「聞く耳」を持ち続けたいと思います。

最後にもう一つびっくりの余談。
先日、湖西線の車窓から「癒館」(いやかん)という大きな看板を見つけて、「何だろう?こんなところに何かスピリチュアルな新しいスペースでも出来たのだろうか?」と思って身を乗り出してよく見ると、何とそこは「パチンコ屋」だったのです!
「癒し」という言葉がこういうところにまで使われるようになったのか!?と、びっくりを通り越して「感心」してしまいました。

そしてかつて親しくしていたある夫妻が(とてもスピリチュアルな方たちでしたが)お二人共にパチンコで生計を立てておられたことを思い出して、なつかしくなりました。(彼女たちのおかげで私はパチンコに対する偏見を「癒せた」気がします)

下記の絵は『STOUP』です。(アズミックアートのポストカード第2集所収)
(無断掲載、コピー等はご遠慮ください)









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阪神淡路大震災で授かった能力(27)

2012-03-12 | 「アズミックアート物語」21~ その後
5日ぶりのブログです。休んでいた間も覗いてくださった方がおられたようで、ありがとうございます。

さて、3月11日はどこでどのように過ごそうかと思っていましたが(追悼合唱コンサートや復興応援落語会などにも行ってみたかったのですが)、結局、今一番自分の気持ちにぴったり来る『森聞き』という映画の上映会&交流会(「日本熊森協会滋賀県支部」の主催)を選択しました。

この映画は『ひめゆり』を撮った柴田昌平監督の第2作目で、この元になっているのは、森の “聞き書き甲子園” (日本全国の高校生や若者が「森の名手・名人」を訪ねて、智慧や技術、人生を「聞き書き」し、記録する活動)です。

私はそんな「森の聞き書き甲子園」というものがあることも全く知らなかったのですが、2010年からは、海や川の名人を「聞き書き」する活動も始まっているそうです。

この『森聞き』は長編ドキュメンタリー映画で、実在の4人の高校生が登場し、それぞれ「森の名人」に会いに行く話が描かれています。
バックに流れている音楽は、ラヤトン(Rajaton)というフィンランドでもっとも人気のある男女6人組のアカペラ・ボーカル・グループの歌声で、美しい映像ともぴったりマッチして感動がさらに深まります。
私がこの映画のことを知ったのは、別のことでネット検索している時に、あるページでこの「ラヤトン」の音楽と出遇ったのがきっかけです。

会が始まる前には、震災で亡くなられた方々への追悼と被災地の復興を願って全員で黙祷し、上映後にはこの『森聞き』に登場した高校生たちの「その後」(現在)のことなども、司会から報告されました。(この映画の撮影が始まったのは7年前だそうです)

ところで、休憩時間には滋賀県の安曇川流域にある朽木の巨樹(トチノキ)の映像も流されました。びっくりするぐらい大きな木ばかりでした。
それが今どんどん伐られて(銘木として)売られていっているということで、その保全や調査活動をされている関係者の方々(熊森協会会員とも重なっている?)がその実情をこの機会に多くの人に知って欲しいということで、会場にはトチノキの写真や資料もたくさん展示されていました。
(その他、原発反対の署名用紙なども置いてありました)

余談ですが、私は「栃の実もち」が大好物!(笑)なので、前からトチノキには特に関心があり、その巨樹が伐られているというニュースには心が痛みました。
この映像だけでもぜひ多くの人に観て欲しいです!!

会場には「日本熊森協会」の会長さんも来られていて、交流会では衝撃的な話が飛び交いました。
日本の奥山では森がすでに相当深刻なダメージを受けていて、それがさまざまな災害を引き起こしているということで、それをマスコミも林野庁もよくわかっていながら、その事実や実態を国民にほとんど知らせていないというかなりひどい話ばかりでした。

これまでの過剰な杉の人工植林(密植)によって土壌がゆるみ、大雨が降ると立ち木がそのままずるずると斜面を移動して麓の川に入って流れを塞き止めてしまって、そのために水が溢れて大洪水になり流域の住民に何人もの死者が出るようなことが実際に起きているにも関わらず、それを「自然災害」として片付けてしまっているそうで、ほんとうはそれは「人災」なのにその実態が隠され、真実が伝わっていないということです。

それで今回紹介した『森聞き』の映画も(もちろん素晴らしい面もあるけれども)、『肝心のところや知られてまずいようなことはうまく隠されている』(なぜなら「林野庁の後援」になっているから!?)ということを、会長さんははっきりとおっしゃっていました。
この映画で描かれているのは「森」ではなく、「里山と人の生活」に過ぎない。ほんとうの「森」であるなら、必ず「動物」が出て来る筈で、さまざまな種類の動物がいないのは「森」とは呼べないと。

また、「全国植樹祭」の折には、わざわざ周辺の雑木林を伐って公園のようにきれいにした上で「植樹」がなされているそうで、私はその話にあきれて思わず絶句してしまいました。

会長さんを先頭に熊森協会の人たちはこれまで日本のあちこちの奥山の森の実態を調べて、もう20年ぐらいもずっと山歩きをし続けてきたので、「木はもうこれ以上植える必要も無いぐらいの状態」とのことで、それよりも「もっと間伐して欲しい」と強調しておられました。だから「植樹祭」ではなく、むしろ「間伐祭」をやって欲しいと。

会場からは、「熊」が木肌を引っ掻いて木を傷めたり、里山に下りて来たりということで、「熊」と人との関係性の難しさを言われる方もおられましたが、会長さんは、そういうニュースで「熊が増えている」ように錯覚してしまったりするけれども、実際はもう熊は絶滅寸前で、巨木が無いと熊はその木の祠で冬眠することも出来ず、また奥山が荒れて餌が無いから里に下りて来るので、熊と人との「棲み分け」が出来るのが理想なのだけれど、現実には熊が住むようなところにまで、人工的な開発がどんどんなされていたり、家が建ったりしているということで、「熊が生きられない」ということは「人もいずれ滅びることになる」ことを解って欲しいと熱弁を振るわれていました。

そして東日本大震災の被災地のことももちろんですが、どんなこともまずその現場の実態をしっかりと知って、それを多くの人に伝えて真実を知らせて欲しいと。マスコミやインターネットではほとんどがほんとうのことを伝えていないし、真実を書いているのはほんの何%ぐらい?にしか過ぎないのだと。

それはほんとにそうだなと実感しました。
3月11日にこんないい集いがあるにも関わらず、ニュースに載らないとこの集会のことさえほとんど誰も知らないし、私もほんの何日か前にネットでたまたまヒットして知ったのです。(せっかくのよい企画で定員150名ぐらいの会場が準備されているにも関わらず、交流会もほんの何十人かの参加者だけでは大変惜しいような、もったいないような貴重な話ばかりだと思いました)

ある人が『京都は緑も多く他よりは環境がいいので、かえって関心が薄い』というようなことを話され、滋賀県の方が環境問題に対して積極的に活動する人が多い(会員も500名ぐらい?)とおっしゃっていました。
会長さんの話では「自分と同じぐらいの年代(50代?)で田舎で育った人でも、杉と檜の違いも知らない人が多い。生まれた時から人工植林を見慣れているから、その目の前の杉林(人工植林)は自然林だと思い込んでいる」と嘆かれていました。

私も伊豆で暮らして初めて実際に檜の匂いや、よく燃えるヒバの葉のこととか、くぬぎ(コナラ)や娑羅の木(夏椿)などさまざまな広葉樹の木肌の違いを覚えたりしたのです。(しかも都会ではそれらの木がどんなに高い値段で取引されていることか!)
そんな私がエラソーに言うのはおこがましいかもしれませんが、「自然」こそこれからのキーワードではないかと思います。
『森聞き』の映画の中で、焼き畑農業の名人のおばあちゃんが言われていたように、「自然を人に合わせるのでなく、人が自然に添っていかなければ」と。

彼女は(インディアンのように?)そこに生えているあらゆる植物の名前やその効能や使い道を全部知っているのです。
この人に会いに行きたい!と強く思いました。そして彼女のような人たちが生きていてくれる限り、この日本もまだ何とか救われる道があるのではないかと安堵し、ほんの少し希望が持てました。

そういうわけで報告が大変長くなりましたが、今回のブログはせめてこういう話を出来るだけ多くの人に知って欲しいと思って書きました。


写真は天城山です。






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阪神淡路大震災で授かった能力(26)

2012-03-06 | 「アズミックアート物語」21~ その後
東日本大震災からまもなく一年になるためかどうか?最近急にこのコラムの閲覧者が増えたようだ。
でもなるべくなら私の話に「期待」などしないでいただけたら助かる。私は期待をプレッシャーに感じてしまう方なので、好きなように自由に書きにくくなってしまうからだ。

私はその日何を書くかを「オーリングテスト」で決めていて、書くこともほぼ「自動書記」風?なので、自分で書いていても、何を書くつもりなのかよくわからないまま書き始め、最後まで書いてみてやっと「ああ、こういうことを言いたかったのか」と、我ながら驚くことも多い。

実は昨日は別の話を書くつもりだったのに、書き始めるとなぜかだんだん手の動きが鈍くなり、手が重たくなって途中で止ってしまったため、結局別の話になってしまった。(理由は私にもわからない)

それで今日は改めて昨日書くつもりだった話を書く。

昨日(5日、月曜日)の(船井幸雄さんのHPの中で連載中のコラム)池田整治さんの「21世紀ヤマトごころの部屋」の『多生の縁・・美は世界を救う』という話の中に「船井幸雄さんの過去生」が具体的に明かされていたことに驚嘆。
その過去生の内容に驚いたのでは無く、「こういう話をネットでオープンにしていいのだろうか?」とビックリしたのだ。

船井さんの過去生を霊視?したのは超能力者の「光明」さんという方らしいのだが、この方は銀河系までも意識を飛ばすことが出来る!?方のようで、本当に驚いた。
それで私も「これまで書かずにいたこと」をこの機会に披露してもいいかなという気になったのだ。

それは阪神淡路大震災後に移り住んだ広島で暮らしていた時のことで、ある人に(私が突然自動書記で描き始めた)「線描画」を見てもらったのだ。すると『この絵をお預かりしてもいいですか?東京のある人に送って見てもらいたいので』とおっしゃったので、たくさん持参していた絵の中から何枚かをその場で選んでもらってお渡しした。(原画ではなくコピーだったかもしれない)

その東京の人というのは「銀河系まで意識を飛ばすことの出来る人」だそうで、『彼なら(意味が)解けるはずだから』とその方は静かにそう言われた。

それで昨日池田さんのコラムを読んでいて、ふと「まさかこの光明さんだったのではないだろうな?」と思ってオーリングテストしてみたら、同じ人では無かったようでほっとした。
今に到るも私はその東京の超能力者?(送った何枚かの線描画にコメントをくれた人)のお名前は知らないのだが、その男性が下記のようなメッセージをくれたのである。

「銀河を創った意識体である『ヘリオポロス』から創造の原点である『セントラルサン』をとおって地球に『意識体』がやってくるまでの物語が記されている」
ということで、これらの絵(線描画)は「マヤの宇宙図」だということだった。

そういうことが後日解明されても、その方はそんなに驚かれることも無く、私の絵にまつわるいろいろないきさつやら、阪神淡路大震災後の体験談に淡々と耳を傾けて下さった後に、さりげなくこうおっしゃった。
『あなたは何でも体験してみないと気が済まないのですね。これらの全てはいちいち体験しなくても、ただ瞑想するだけで全て自分の内面で済ませることが出来るのですよ』と。

それから何年も経って、私と相棒が音楽をやり始めて二人で作詞作曲した歌を幾つかこの方にお送りした。
そしたらクリスチャンでもあったこの方は娘さんにその曲をオルガンで弾いてもらったらしく、「こんな曲が出来るようになったのなら安心です」という優しいお返事をいただいた。

それ以来、自分が、あるいは誰かがいろいろな事象に巻き込まれたり、不思議な現象に振り回される度に、ふとこの彼の「教え」が浮かんで来て、「こういうことの全てはきっと単なる『幻影』(過去の記憶の繰り返し)に過ぎない。魂の学びのために?自らが引き寄せ、引き起こしている出来事(ゲーム?)に過ぎないのではないか」と、冷静になることが出来るようになった。

もちろんどんなことでもその「渦中」にある時には、そんなふうに冷静になるなんてとても出来ないが、時間が経って振り返ってみると、それもみんな自分自身の肥やしであり、何らかの学びに役立っていたのだと思う。
そして「必要な時に必要な人と出遇っていた」ことに心から感謝の念が湧く。
彼の言ってくれたあの時のあの「一言」があったからこそ、私は大きく道を逸れることなく無事に今日まで来られたのだと。


下記の絵は『EGG』(エッグ)です。

『宇宙の地図』(朝日新聞出版)という写真集を眺めていたら、その中に「たまご星雲」が載っていて、それは「はくちょう座」の惑星状星雲だそうで、偶然にも絵のタイトルと名前が同じ「たまご」だったので、興味深く思いました。




(無断転載、コピーはご遠慮ください)


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阪神淡路大震災で授かった能力(25)

2012-03-05 | 「アズミックアート物語」21~ その後
学生時代に東北の「恐山」に旅をしたことがあります。この地に立ち寄ると必ず「もう一度来る」と言われているそうですが、その頃はまさかと思っていました。一度見たらもう十分と感じていたからです。
でも、何とその後何十年も経ってからやっぱり行くことになってしまいました。つい何年か前のことですが、趣味の会の親しい人が亡くなって、仲間たちと一緒に彼女を偲ぶ旅をすることになったからです。

そういうわけで「恐山」にもう一度行ってみると、かつてはいかにも殺風景でもの寂しい辺境(異境)の風景で少々重苦しい感じでしたが、それがすっかり「観光地」?のように変化していて、夕方に寄ったにも関わらず何だか軽く明るいイメージで拍子抜けしました。(もしかしたら単に「私の感じ方の変化」によるのかもしれませんが)

最初の時も二度目の折も私は「イタコ」の口寄せ(降霊)は経験していないのですが、(また別の友達が亡くなった時に)その娘さんがお母さんと話したくて関西からはるばる「恐山」まで行ったという話を告別式の折に聞きました。
20代の彼女がそんなことを!?ととても驚きました。

現在では「恐山」までわざわざ行かなくても、例えばチャネリングや「ヘミシンク」などで亡くなった人からのメッセージを聞くことも可能なようですが、「イタコ」(霊媒)は今の言葉で言えば「チャネラー」なのかもしれません。

東日本大震災で家族や親しい人を亡くされた方々がどういう手段や方法であれ、もしも亡くなった方が今も元気で別の世界に暮らしていて、遺された者たちを見守ってくれているとわかれば、どんなに安心し、また少しでも未来への勇気が湧くことでしょうか。
そのためにも優秀なチャネラーがもっと増えるといいなと願っています。

優秀なチャネラーをどうして見分けるか?は難しいですが、個人的な体験から言うなら、ほんとに力のある人の前に出ると(安心して?)ただただ涙が流れます。「気持ちよく泣くことが出来る」というか、「泣かせてもらえる」気がします。泣くことでとても癒されるのです。

例えばかなり昔のことですが、東京でダライ・ラマ法王の講演を聴いたことがあります。その時法王が舞台に出て来られただけで、もう私は涙、涙でした。

またこれもずっと古い話ですが、ある女性のカウンセラーにカウンセリングを受けた時にも、話そうとするだけでなぜかもう涙が止らず、自分でも思いがけなくてビックリしたことがあります。その時も好きなだけ泣かせてもらえてとてもありがたかったです。

(その時は特に何か悲しい出来事があったというわけでは無かったのですが)絵を描いてみると、「空がほとんど見えず、地面の中に涙袋が幾つもあって、その袋がひっくり返る(裏向けになる)とその中の涙=水がこぼれ出て、木の根っこがそれを吸収してくれてその木が大きく育っていく」という構図になっていました。
(この絵はたまたまこの場で描いたもので「ヒーリングアート」とは関係ありません)

そしてそのカウンセラーの方が私の絵を見つめながら、もっと「言葉」で感情が伝えられるといいわねと、その感情の発散の仕方や、私のそれまでのコミュニケーションのパターン(癖)や人間関係の持ち方などを分析しながら、「どういうふうにすれば相手に自分の気持ちをうまく伝えることが出来るか」ということなどを教えてくれたのでした。
もともとかなり「感情的」になりやすい私でしたが、それは「言葉」でうまく言えないからだということもよくわかりました。

子供の頃に自分の気持ちを話そうとすると親に「理屈を言うな!」と叱られたり、「ワガママ」だと決めつけられて、「上手な自己主張」を学ぶ機会の少ないまま大人になってしまっていたのだと思います。
この時受けたカウンセリングのおかげで、(その後何十年もかかりましたが練習して)今は何とか「言葉で」言えるようになりました。

これは言わば「英会話」の練習と同じようなものかもしれません。
「日常会話」に不自由しない程度には何とか話せても、まだまだ私もペラペラというわけではありません(笑)。
他のことは話せても、例えば「自分の気持ちを正直に伝える」というのは本当に難しいことだと思います。

それからもう一つ、阪神淡路大震災後に広島に移り住んで一人暮らしをしていた時、将来の展望も見えず、職業訓練校に通うことで延長してもらっていた失業保険が切れたら収入も無くなるし、40代の後半では新しい仕事を見つけるのも難しく、友達も出来ず、おまけに訓練校では全く勉強についていけず落ちこぼれて、全くの八方塞がりでした。
(この頃は「線描画」は描いていても、「自分のための絵」や「ヒーリングアート」を描くことなどは思いもかけませんでした)

それでもともかく「自分で選んだこと」だから、逃げ出すわけにはいかず、「関西に舞い戻ることを自分自身に禁じていた」ので、ほんとにつらく苦しくて毎日泣いていました。今から思えば震災後の「鬱症状」だったのかもしれません。
相談する相手もいなくて、とうとうあるカウンセラーの「オープンカウンセリング」を受けました。

「戻りたいけどそれは現状から逃げることだと思えて、、」と相談したのです。
そしたら「逃げたらどうしていけないのですか?逃げたらいいんですよ。正攻法だけで無く、ゲリラ戦法だってあるのですから」と淡々と言ってくれたのです。
「そうか、逃げてもいいのか!」と思った途端にドバッと涙が噴き出して止りませんでした。

「オープンカウンセリング」なので周囲に人が輪になっていて、カウンセラーと私(クライエント)の話を聴いているのですが、恥ずかしさも忘れて大泣きしてしまいました。
そんなに泣いたのは久しぶりでした。実は関西では泣けなかったのです。
周囲の人たちが誰もがみんな凄い被害に遭っている(身内を亡くしたり、家を失ったり、仕事を失ったり、、)そんな中で、自分は「まだましな方」で、被害もそれほどでは無かったから、だから「自分のことは言えない」状態だったのです。
大した被害にも遭っていない私ごときが泣くなんて「おこがましい」という気持ちでした。
それどころか人をもっと助けるべきなのに、私は何もせずに「自分のことしか考えていないじゃないか」と、内心自分を責めていたのです。

この欄にもすでに書いたかもしれませんが、私が「うちはこんな状態、、」と言ったところ、それをわざわざ確かめに来て「うちの方がこれよりもっとひどい、こんなもんじゃない」と比較されて以来、心が深く傷付いていたのかもしれません。
また当時住んでいたマンションからすぐに避難したことで、「逃げ出した」と言われて恥ずかしく思っていたこともあったのです。
そんなひどい状況の中でも踏ん張って留まっていた人もたくさんいたのですから、、。

そんなこんなで、自分は我慢が足り無い、忍耐が足り無い、もっと辛抱しなければ、、と思う気持ちがストレスとなっていたのかもしれません。その時にカウンセラーからの一言で「心のしこり」が溶けてようやく泣けたことで、ほんとにどれだけ気持ちが楽になったかもしれません。

東日本大震災で被災された方々の中にも、もしかしたら当時の私のような状況に置かれている方がいるとしたら、どうか思い切り泣ける人に出会えることが出来ますように、そして心が解放されますようにと願っています。

話はまた前に戻りますが、ほんとうに優秀なカウンセラーは決して「恩着せがましくは無い」ということです。
あるカウンセラーから聞いた話ですが、街でかつての自分のクライエント(お客様)にばったり出合って、「先生、その節はお世話になりました」と深々と感謝されるようなら、「まだまだ自分はダメだ」と。

その人が「自分で勝手に治った」と思って、「あんな先生のところに通ったけど何の役にも立たなかった、フン!」とばかりに顔を逸らして挨拶も感謝もされない時にこそ、「やったあー、大成功!」と心秘かに祝杯を挙げるのだと。

それこそがその人がカウンセラーから真の自立(自律)を果たした時なのだから、と語っておられたことが印象に残っています。
そうでなければ(たった一度カウンセリングを受けただけで?)ずっとそのカウンセラーに頭が上がらず? 一生「対等」な関係になれなくなってしまいますものね。
病気が治れば医者は要らないように、「依存心」を克服し、「マインドコントロール」からも一切自由でありたいですね。

かく言う私も長い間そのような状況を経験したので、(今も完全とは言い難いですが)だからこそこれまでの経験を活かして、自分が学んだことをせめて人に伝えていけたらと、拙いながらこのようなブログを書いていますが、果たしてお役に立っているやら?

作家の加治将一氏によれば「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」のだそうです。
さしづめ私は後者の「体験派」なので、賢明なる読者の皆様方はどうぞ真実の「歴史」に学んで下さいますように、、。


下記の絵は『ゴールデンエイジ』です。(無断転載やコピーはご遠慮ください)







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