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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

オーリングテストの話(15)

2012-03-28 | シリーズ「オーリングテストの話」
オーリングテストは便利だが、人前でこれを使う時はいろいろ気を遣う。
「一体何をやってるんだ?」と奇異な目で見られることはざらにある。

古い話で恐縮だが、私と相棒が共同制作で描いた「宇宙画」の展覧会が大阪の旧セルヴィスギャラリーで2001年に開催されることになった時、ふと知り合った人のご縁で、ある「額縁専門店」を訪ねた。
絵の装幀をお願いするためであるが、その竿(額縁の枠)の材質や色を選ぶのに、私たちはオーリングテストをやりたかった。
「それ以外の方法で選ぶなんて考えられない」ぐらいにその頃はオーリングテストにはまっていたからだ。

それで、額縁一筋でやってこられたその道の専門家の方への気兼ねと遠慮もあり、最初はこっそりとバレないようにそれとなくオーリングテストをしながら竿を選んでいた。(内心ちょっとひやひやしながら、、)

けれども、その日は遠方から訪ねたために時間があまり無かったのと、持ち込んだ絵の数が多く、竿だけでは無く、マット(額と絵との間の余白にある押さえの厚紙)や、そのサイズや色なども決めなければならないし、その他にもいろんな専門知識も必要なので、だんだんにオーリングテストだけでは間に合わなくなり、結局その店のオーナーにかなりの部分をおまかせすることになった。

その専門家の方はたぶんこのような私たちを見て「不信感」?を抱かれたに違い無い。
あるいは心の中でちょっと軽蔑されていたかもしれないのだが、その後も顔を合わす度に「オーリングテストで決めますか?」と笑いながら冗談半分で尋ねられたりして、私たちはその度に赤面するはめになった。

実際のところ、その方が選んでくれた額と私たちがオーリングテストで選んだ額とでは、(もう今ではどれがどれだったか忘れてしまっているが)全くどちらも遜色無い出来映えで、彼が専門家の目で選んでくれた額はもちろんどれも私たちの気に入り、まさに絵にぴったり似合っていた。
否むしろオーリングテストで決める以上に、さらなるユニークさ(これはその方の感性の素晴らしさなのだろう)に輝いていたのでは?という気がする。

そしてその時に感じたことは、オーリングテストで選べば「ミスマッチ」は無い(それ以外には無い最高の組み合わせ!)と安心は出来るけれど、それよりも人にまかせた方が案外それを上回る「予想外」(想定外)の面白さや発見があるということだ。

例えば俳句や川柳などの句集を作る場合、よくあるような無難で手堅い「自選」の「自費出版」では無く、もし専門家にまかせて「他選」してもらい、編集やレイアウトなどもその道のプロの人にやってもらったなら、意外なヒットもあり得るかもしれない。
『有夫恋』(時実新子著/朝日新聞社)のようなベストセラーになることも無いとは言えない。

話が横道に逸れてしまったが、そういうわけで、それ以後の「額縁選び」は、もうすっかりその専門家の方にまかせてしまうことになった。
もちろん出来上がりが必ずしも私たちの好み通りでは無い時もあるけれど、それもまたよし!と思っている。

それじゃあ、一体「オーリングテスト」はどんな意味があるの?と思われる人もいるかもしれない。

上記の額縁選びで言うなら、その色、素材、かたち、サイズ、それに予算や本人の好み、観る側の好みや流行、飾られる場所や展覧会の雰囲気、目的、全体のまとまり、調和、その他技術も含め様々な要素を考慮する必要があるだろうが、普通は考えれば考える程どれがいいかわからなくなってしまうことだろう。

専門家は場数を踏んで、時には失敗もしながら、絵に合う装幀をするために必死に学んで来られ、また元来そういうことが好きだったり、直観が働いたり、鋭い感性を持っておられるに違いない。
それでもやはりどれをどう選ぶか、どれにするかを決めるのはかなり至難の技と思う。

オーリングテストの場合は一体どういう「基準」で(何を根拠にして)それを決めるのか、理由はわからないが、ともかくそういう全ての要素を網羅し、他にも何か特別の観点を加味して?まさに「一瞬」にして何のためらいも無く、「この絵にはこれ!」(これ以外には無い)と言わんばかりに、どんな場合も「一切の迷い無く」瞬時に決めることが出来るのだ。

それがまた不思議なことに、その結果が、自分が一つずつ意識的に時間をかけて選んだあげくの額装と、ぴったり同じである場合も多いのだ。そんな時のオーリングテストは(確認の意味で)、「あぁやっぱりこれでよかったんだ!」と思えてなお嬉しいものだ。

そしてそんな時にはオーリングテストがあってよかったなとつくづく思う。
だからオーリングテストが出来るからと言って、決して「専門家」が不要というわけでは無いのである。
それは「宇宙との共同創造作業」でもあるのかもしれない。

オーリグテストが「この絵にはこの額」というふうに決めた場合には、おそらく人間の側の都合や美意識以上の何か別の観点から(目に見えないけれど重要な要素なども考慮して?)決めているということも、もしかしたらあるのではという気がする。

例えばその素材が後にリサイクル出来るか?とか、有害物質を使っていないか?とか、将来その絵を買うことになる人物のこととか?
ともかく考えられるあらゆる要素が全て総合(統合)判断されて、その幾つもの可能性の中から「最高の選択が自動的に出来るシステム」が自然に出来上がっているのかもしれない。
そんなふうに考えると、オーリングテストが益々好きになってくる。

ちなみに私は昔あるところで店員をしていたことがあり、インテリア関係の売り場で「額」を売ったり絵に合うマットを選んだりする仕事をしていたことがある。
(この仕事はけっこう好きで気に入っていた)
その頃はまさか、将来自分がこのような絵を描く仕事をしたり、その額を「オーリングテスト」で選んだりすることになるとは全く想像さえしなかった。ほんとうに人生何が起こるかわからない。

いずれにしてもオーリングテストが誰からも奇異の目で見られることなく、どんなところでも自由にオープンに出来るような世の中に早くなって欲しいと思う。
そういう新しい時代が来たなら、たぶんもうその時にはオーリングテストが不要な世の中になっていることだろうが、、。



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