5日ぶりのブログです。休んでいた間も覗いてくださった方がおられたようで、ありがとうございます。
さて、3月11日はどこでどのように過ごそうかと思っていましたが(追悼合唱コンサートや復興応援落語会などにも行ってみたかったのですが)、結局、今一番自分の気持ちにぴったり来る『森聞き』という映画の上映会&交流会(「日本熊森協会滋賀県支部」の主催)を選択しました。
この映画は『ひめゆり』を撮った柴田昌平監督の第2作目で、この元になっているのは、森の “聞き書き甲子園” (日本全国の高校生や若者が「森の名手・名人」を訪ねて、智慧や技術、人生を「聞き書き」し、記録する活動)です。
私はそんな「森の聞き書き甲子園」というものがあることも全く知らなかったのですが、2010年からは、海や川の名人を「聞き書き」する活動も始まっているそうです。
この『森聞き』は長編ドキュメンタリー映画で、実在の4人の高校生が登場し、それぞれ「森の名人」に会いに行く話が描かれています。
バックに流れている音楽は、ラヤトン(Rajaton)というフィンランドでもっとも人気のある男女6人組のアカペラ・ボーカル・グループの歌声で、美しい映像ともぴったりマッチして感動がさらに深まります。
私がこの映画のことを知ったのは、別のことでネット検索している時に、あるページでこの「ラヤトン」の音楽と出遇ったのがきっかけです。
会が始まる前には、震災で亡くなられた方々への追悼と被災地の復興を願って全員で黙祷し、上映後にはこの『森聞き』に登場した高校生たちの「その後」(現在)のことなども、司会から報告されました。(この映画の撮影が始まったのは7年前だそうです)
ところで、休憩時間には滋賀県の安曇川流域にある朽木の巨樹(トチノキ)の映像も流されました。びっくりするぐらい大きな木ばかりでした。
それが今どんどん伐られて(銘木として)売られていっているということで、その保全や調査活動をされている関係者の方々(熊森協会会員とも重なっている?)がその実情をこの機会に多くの人に知って欲しいということで、会場にはトチノキの写真や資料もたくさん展示されていました。
(その他、原発反対の署名用紙なども置いてありました)
余談ですが、私は「栃の実もち」が大好物!(笑)なので、前からトチノキには特に関心があり、その巨樹が伐られているというニュースには心が痛みました。
この映像だけでもぜひ多くの人に観て欲しいです!!
会場には「日本熊森協会」の会長さんも来られていて、交流会では衝撃的な話が飛び交いました。
日本の奥山では森がすでに相当深刻なダメージを受けていて、それがさまざまな災害を引き起こしているということで、それをマスコミも林野庁もよくわかっていながら、その事実や実態を国民にほとんど知らせていないというかなりひどい話ばかりでした。
これまでの過剰な杉の人工植林(密植)によって土壌がゆるみ、大雨が降ると立ち木がそのままずるずると斜面を移動して麓の川に入って流れを塞き止めてしまって、そのために水が溢れて大洪水になり流域の住民に何人もの死者が出るようなことが実際に起きているにも関わらず、それを「自然災害」として片付けてしまっているそうで、ほんとうはそれは「人災」なのにその実態が隠され、真実が伝わっていないということです。
それで今回紹介した『森聞き』の映画も(もちろん素晴らしい面もあるけれども)、『肝心のところや知られてまずいようなことはうまく隠されている』(なぜなら「林野庁の後援」になっているから!?)ということを、会長さんははっきりとおっしゃっていました。
この映画で描かれているのは「森」ではなく、「里山と人の生活」に過ぎない。ほんとうの「森」であるなら、必ず「動物」が出て来る筈で、さまざまな種類の動物がいないのは「森」とは呼べないと。
また、「全国植樹祭」の折には、わざわざ周辺の雑木林を伐って公園のようにきれいにした上で「植樹」がなされているそうで、私はその話にあきれて思わず絶句してしまいました。
会長さんを先頭に熊森協会の人たちはこれまで日本のあちこちの奥山の森の実態を調べて、もう20年ぐらいもずっと山歩きをし続けてきたので、「木はもうこれ以上植える必要も無いぐらいの状態」とのことで、それよりも「もっと間伐して欲しい」と強調しておられました。だから「植樹祭」ではなく、むしろ「間伐祭」をやって欲しいと。
会場からは、「熊」が木肌を引っ掻いて木を傷めたり、里山に下りて来たりということで、「熊」と人との関係性の難しさを言われる方もおられましたが、会長さんは、そういうニュースで「熊が増えている」ように錯覚してしまったりするけれども、実際はもう熊は絶滅寸前で、巨木が無いと熊はその木の祠で冬眠することも出来ず、また奥山が荒れて餌が無いから里に下りて来るので、熊と人との「棲み分け」が出来るのが理想なのだけれど、現実には熊が住むようなところにまで、人工的な開発がどんどんなされていたり、家が建ったりしているということで、「熊が生きられない」ということは「人もいずれ滅びることになる」ことを解って欲しいと熱弁を振るわれていました。
そして東日本大震災の被災地のことももちろんですが、どんなこともまずその現場の実態をしっかりと知って、それを多くの人に伝えて真実を知らせて欲しいと。マスコミやインターネットではほとんどがほんとうのことを伝えていないし、真実を書いているのはほんの何%ぐらい?にしか過ぎないのだと。
それはほんとにそうだなと実感しました。
3月11日にこんないい集いがあるにも関わらず、ニュースに載らないとこの集会のことさえほとんど誰も知らないし、私もほんの何日か前にネットでたまたまヒットして知ったのです。(せっかくのよい企画で定員150名ぐらいの会場が準備されているにも関わらず、交流会もほんの何十人かの参加者だけでは大変惜しいような、もったいないような貴重な話ばかりだと思いました)
ある人が『京都は緑も多く他よりは環境がいいので、かえって関心が薄い』というようなことを話され、滋賀県の方が環境問題に対して積極的に活動する人が多い(会員も500名ぐらい?)とおっしゃっていました。
会長さんの話では「自分と同じぐらいの年代(50代?)で田舎で育った人でも、杉と檜の違いも知らない人が多い。生まれた時から人工植林を見慣れているから、その目の前の杉林(人工植林)は自然林だと思い込んでいる」と嘆かれていました。
私も伊豆で暮らして初めて実際に檜の匂いや、よく燃えるヒバの葉のこととか、くぬぎ(コナラ)や娑羅の木(夏椿)などさまざまな広葉樹の木肌の違いを覚えたりしたのです。(しかも都会ではそれらの木がどんなに高い値段で取引されていることか!)
そんな私がエラソーに言うのはおこがましいかもしれませんが、「自然」こそこれからのキーワードではないかと思います。
『森聞き』の映画の中で、焼き畑農業の名人のおばあちゃんが言われていたように、「自然を人に合わせるのでなく、人が自然に添っていかなければ」と。
彼女は(インディアンのように?)そこに生えているあらゆる植物の名前やその効能や使い道を全部知っているのです。
この人に会いに行きたい!と強く思いました。そして彼女のような人たちが生きていてくれる限り、この日本もまだ何とか救われる道があるのではないかと安堵し、ほんの少し希望が持てました。
そういうわけで報告が大変長くなりましたが、今回のブログはせめてこういう話を出来るだけ多くの人に知って欲しいと思って書きました。
写真は天城山です。
さて、3月11日はどこでどのように過ごそうかと思っていましたが(追悼合唱コンサートや復興応援落語会などにも行ってみたかったのですが)、結局、今一番自分の気持ちにぴったり来る『森聞き』という映画の上映会&交流会(「日本熊森協会滋賀県支部」の主催)を選択しました。
この映画は『ひめゆり』を撮った柴田昌平監督の第2作目で、この元になっているのは、森の “聞き書き甲子園” (日本全国の高校生や若者が「森の名手・名人」を訪ねて、智慧や技術、人生を「聞き書き」し、記録する活動)です。
私はそんな「森の聞き書き甲子園」というものがあることも全く知らなかったのですが、2010年からは、海や川の名人を「聞き書き」する活動も始まっているそうです。
この『森聞き』は長編ドキュメンタリー映画で、実在の4人の高校生が登場し、それぞれ「森の名人」に会いに行く話が描かれています。
バックに流れている音楽は、ラヤトン(Rajaton)というフィンランドでもっとも人気のある男女6人組のアカペラ・ボーカル・グループの歌声で、美しい映像ともぴったりマッチして感動がさらに深まります。
私がこの映画のことを知ったのは、別のことでネット検索している時に、あるページでこの「ラヤトン」の音楽と出遇ったのがきっかけです。
会が始まる前には、震災で亡くなられた方々への追悼と被災地の復興を願って全員で黙祷し、上映後にはこの『森聞き』に登場した高校生たちの「その後」(現在)のことなども、司会から報告されました。(この映画の撮影が始まったのは7年前だそうです)
ところで、休憩時間には滋賀県の安曇川流域にある朽木の巨樹(トチノキ)の映像も流されました。びっくりするぐらい大きな木ばかりでした。
それが今どんどん伐られて(銘木として)売られていっているということで、その保全や調査活動をされている関係者の方々(熊森協会会員とも重なっている?)がその実情をこの機会に多くの人に知って欲しいということで、会場にはトチノキの写真や資料もたくさん展示されていました。
(その他、原発反対の署名用紙なども置いてありました)
余談ですが、私は「栃の実もち」が大好物!(笑)なので、前からトチノキには特に関心があり、その巨樹が伐られているというニュースには心が痛みました。
この映像だけでもぜひ多くの人に観て欲しいです!!
会場には「日本熊森協会」の会長さんも来られていて、交流会では衝撃的な話が飛び交いました。
日本の奥山では森がすでに相当深刻なダメージを受けていて、それがさまざまな災害を引き起こしているということで、それをマスコミも林野庁もよくわかっていながら、その事実や実態を国民にほとんど知らせていないというかなりひどい話ばかりでした。
これまでの過剰な杉の人工植林(密植)によって土壌がゆるみ、大雨が降ると立ち木がそのままずるずると斜面を移動して麓の川に入って流れを塞き止めてしまって、そのために水が溢れて大洪水になり流域の住民に何人もの死者が出るようなことが実際に起きているにも関わらず、それを「自然災害」として片付けてしまっているそうで、ほんとうはそれは「人災」なのにその実態が隠され、真実が伝わっていないということです。
それで今回紹介した『森聞き』の映画も(もちろん素晴らしい面もあるけれども)、『肝心のところや知られてまずいようなことはうまく隠されている』(なぜなら「林野庁の後援」になっているから!?)ということを、会長さんははっきりとおっしゃっていました。
この映画で描かれているのは「森」ではなく、「里山と人の生活」に過ぎない。ほんとうの「森」であるなら、必ず「動物」が出て来る筈で、さまざまな種類の動物がいないのは「森」とは呼べないと。
また、「全国植樹祭」の折には、わざわざ周辺の雑木林を伐って公園のようにきれいにした上で「植樹」がなされているそうで、私はその話にあきれて思わず絶句してしまいました。
会長さんを先頭に熊森協会の人たちはこれまで日本のあちこちの奥山の森の実態を調べて、もう20年ぐらいもずっと山歩きをし続けてきたので、「木はもうこれ以上植える必要も無いぐらいの状態」とのことで、それよりも「もっと間伐して欲しい」と強調しておられました。だから「植樹祭」ではなく、むしろ「間伐祭」をやって欲しいと。
会場からは、「熊」が木肌を引っ掻いて木を傷めたり、里山に下りて来たりということで、「熊」と人との関係性の難しさを言われる方もおられましたが、会長さんは、そういうニュースで「熊が増えている」ように錯覚してしまったりするけれども、実際はもう熊は絶滅寸前で、巨木が無いと熊はその木の祠で冬眠することも出来ず、また奥山が荒れて餌が無いから里に下りて来るので、熊と人との「棲み分け」が出来るのが理想なのだけれど、現実には熊が住むようなところにまで、人工的な開発がどんどんなされていたり、家が建ったりしているということで、「熊が生きられない」ということは「人もいずれ滅びることになる」ことを解って欲しいと熱弁を振るわれていました。
そして東日本大震災の被災地のことももちろんですが、どんなこともまずその現場の実態をしっかりと知って、それを多くの人に伝えて真実を知らせて欲しいと。マスコミやインターネットではほとんどがほんとうのことを伝えていないし、真実を書いているのはほんの何%ぐらい?にしか過ぎないのだと。
それはほんとにそうだなと実感しました。
3月11日にこんないい集いがあるにも関わらず、ニュースに載らないとこの集会のことさえほとんど誰も知らないし、私もほんの何日か前にネットでたまたまヒットして知ったのです。(せっかくのよい企画で定員150名ぐらいの会場が準備されているにも関わらず、交流会もほんの何十人かの参加者だけでは大変惜しいような、もったいないような貴重な話ばかりだと思いました)
ある人が『京都は緑も多く他よりは環境がいいので、かえって関心が薄い』というようなことを話され、滋賀県の方が環境問題に対して積極的に活動する人が多い(会員も500名ぐらい?)とおっしゃっていました。
会長さんの話では「自分と同じぐらいの年代(50代?)で田舎で育った人でも、杉と檜の違いも知らない人が多い。生まれた時から人工植林を見慣れているから、その目の前の杉林(人工植林)は自然林だと思い込んでいる」と嘆かれていました。
私も伊豆で暮らして初めて実際に檜の匂いや、よく燃えるヒバの葉のこととか、くぬぎ(コナラ)や娑羅の木(夏椿)などさまざまな広葉樹の木肌の違いを覚えたりしたのです。(しかも都会ではそれらの木がどんなに高い値段で取引されていることか!)
そんな私がエラソーに言うのはおこがましいかもしれませんが、「自然」こそこれからのキーワードではないかと思います。
『森聞き』の映画の中で、焼き畑農業の名人のおばあちゃんが言われていたように、「自然を人に合わせるのでなく、人が自然に添っていかなければ」と。
彼女は(インディアンのように?)そこに生えているあらゆる植物の名前やその効能や使い道を全部知っているのです。
この人に会いに行きたい!と強く思いました。そして彼女のような人たちが生きていてくれる限り、この日本もまだ何とか救われる道があるのではないかと安堵し、ほんの少し希望が持てました。
そういうわけで報告が大変長くなりましたが、今回のブログはせめてこういう話を出来るだけ多くの人に知って欲しいと思って書きました。
写真は天城山です。