・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

古歌顧裏:29 モルドバ民謡

2018年06月15日 | つぶやきの壺焼

北、東、南はウクライナ、西はルーマニア、二つの国に囲まれるようにあるモルドバ、そこには小麦色のモルドバ娘という、まだ聞いたことのなかった歌がありました。

この歌は、途中から思い出したように急に忙しくなります。
東西を川に挟まれ、海岸のないこの国の人は、せっせと立ち働かなければならない、そんな国情のもとにあることを歌っているかのようです。

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古歌顧裏:28 ウクライナ民謡

2018年06月14日 | つぶやきの壺焼

ウクライナで生まれた、小さなグミの木という歌があります。

映画のBGMに合いそうな曲相ですが、もとはグミの木ではなくナナカマドで、和訳の語呂合わせのために入れ替えられたそうです。

チェルノブイリの不幸に見舞われた美男美女の国、ボルシチと蜂蜜酒の美味い国、宝くじでも当たれば行ってみたいところのひとつです。

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古歌顧裏:27 ポーランド民謡

2018年06月13日 | つぶやきの壺焼

森へ行きましょう、ハモニカの演奏にもよく選ばれるあの歌は、ポーランドの歌でした。

ポーランドには不思議な森があるそうです。

これが、曲がった木がほしくて作って育てたけれども使わず終いであったら、その人は、この木で何を作ろうとしていたのでしょうか。

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古歌顧裏:26 デンマーク民謡

2018年06月12日 | つぶやきの壺焼

靴、はいてます、そんな声が聞こえてきそうなあのアヒル靴は、デンマーク産のしっかり作られた靴です。
踏み入れた水たまりの成分次第で、パカッと底が剥がれてしまうよくある貼り付け靴とは、作り方が違います。

いとまきのうた」は、「靴屋のポルカ」というデンマークの歌と同じメロディでした。

糸に靴、ちゃんとした靴は糸がないと作れないのでした。

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古歌顧裏:24 オランダ民謡

2018年06月10日 | つぶやきの壺焼

ベルギーのおとなりのオランダ、そこには果てを意識しない風車の回転のような歌があります。

サラスポンダ

Sarasponda, sarasponda, sarasponda ret set set
Sarasponda, sarasponda, sarasponda ret set set

Ah door ray oh, ah door ray boom day oh
Ah door ray boom day ret set set
Ah say pa say oh.

風車の力を、その場で使えるだけ使うという、最も合理的な設備を、昔の人は考えました。

現代型の風車のように、気まぐれな自然が運んでくるエネルギーを、形を変えて遠くまで運んで使おうなどというのは、安定性、変換効率からすれば、どう考えても間尺には逢いません。
効果と言えば、設備を作る過程と使っている間、そこで人が働けるということと、その場では化石エネルギーを消費しないので立派に見えるだけのことでしかなさそうに思います。

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古歌顧裏:23 ベルギー民謡

2018年06月09日 | つぶやきの壺焼

フランスのおとなりのベルギー、そこの民謡は、これまでまったく耳に入ってきませんでした。

探してみると、カカオ100%のチョコレートに見られる純へのこだわり、さまざまな味のビール、たくさんの糸で織られるレースを作り出す忙しそうなお国がらに、どこか合っていそうな歌が聞かれました。

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古歌顧裏:21 イタリア民謡

2018年06月07日 | つぶやきの壺焼

イタリア民謡と呼ばれる歌には、みんなで歌う歌と聞かせる歌が混ざり合っているように思います。

歌を聞いて、歌そのものとはかかわりのない出来事を思い出すこともあります。
「つれない心」という歌がそれです。

つれない心
Catari, Catari
Pecche me dici sti parole amare
Pecche me parle e 'o core
Me turmiento Catari?
Num te scurdа ca t'aggio date 'o core, Catari
Nun te scurdа
Catari, Catari, che vene a dicere
Stu parlа, che me dа spaseme?
Tu nun 'nce pienze a stu dulore mio
Tu num 'nce pienze tu nun te ne cura
Core, core 'ngrato
T'aie pigliato 'a vita mia
Tutt'e passato
E nun'nce pienze cchiu
(以下 略)

この歌には、急に超強音になるところがあります。
軽量を特徴にして売り出されたピックアップが、そこで音盤の溝を飛び出してしまう異変が起き、その歌手を好まなくなるという出来事でした。

だれそれが気に入らないから、その人が力を入れていることには何が何でも反対するという、いま港区に滞留している理に合わない奇妙な空気も、似たようなことではないでしょうか。

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古歌顧裏:20 古い演歌

2018年06月06日 | つぶやきの壺焼

讃美歌や応援歌は、みんなで揃って歌うことに意義のある歌です。
歌うときはひとりという歌には、歌謡曲から呼び名の移った演歌と呼ばれる類別があります。

演歌という呼び名はそれほど古いものではなく、"演"とは違う字をあてていたこともあったようです。

最古の演歌で検索してみると、オッペケペー節が顔を出しますが、それは演説歌を無理に縮め呼びしたもので、現代の演歌とは質の違うものです。

演歌をさかのぼった歌謡曲系統の歌のひとつに、曲名の由来のよくわからないゴンドラの唄があります。

ゴンドラの唄
いのち短し 恋せよ少女
朱き唇 褪せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日の ないものを

この唄は、ツルゲーネフ『その前夜』を日本で舞台にのせたときの劇中歌として作られたので、その舞台を見れば由来もわかってきそうです。

歌は世につれと言われますが、場にもつれられるようです。

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古歌顧裏:19 応援歌

2018年06月05日 | つぶやきの壺焼

応援歌といえば早慶それぞれの歌が思い浮かびます。
慶応で昭和2年に「若き血」が発表されてから、早稲田は「紺碧の空」昭和6年のデビューまで、どうしていたのか、たぶんあまり勢いがなかったのではないかと想像できます。

若き血

若き血に燃ゆる者
光輝みてる我等
希望の明星仰ぎて此処に
勝利に進む我が力
常に新し
見よ精鋭の集う処
烈日の意気高らかに
遮る雲なきを
慶應 慶應
陸の王者 慶應

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古歌顧裏:18  讃美歌

2018年06月04日 | つぶやきの壺焼

いつでもどこでも歌える歌は覚えやすく、場を選ぶ歌は覚えにくいものです。

讃美歌には、覚えやすいのと覚えにくいものがあります。
しかしそれは、場を選ぶかどうかにはかかわりがなさそうです。

歌と場とは、歌が場を選ぶのか、場が歌を選ぶのか、どうでもよいそんなこととは思っても、これは讃美歌には向かないと決めつけられてしまった歌もあると聞くと、決めることの権限や手続きが、何か怪しげに見えてきます。

讃美歌405番

神ともにいまして
ゆく道をまもり
あめの み糧(かて)もて
力を与えませ
また会う日まで
また会う日まで
かみのまもり
汝が身を離れざれ

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古歌顧裏:17 最古の歌

2018年06月03日 | つぶやきの壺焼

今までに見つかった世界で一番古い歌は、シリアにあったシュメール人作詞の3,400年前の賛美歌だといわれます。

フルリ語のくさび形文字による署名もあって、曲が聴けるサイトもありますが、この曲はいつだれが作ったかわからないでしょう。
詩や絵は、今肉眼で見ることができても、曲は今の耳で聞くことができません。

音を残しておけるようになった今日、子孫に聴かせるには、ただわめいたり叫んだりしているだけの、美しさのない歌は、録音を止めておいたほうがよさそうです。

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古歌顧裏:16 子守唄

2018年06月02日 | つぶやきの壺焼

自分が聞いた子守唄を覚えていて、その記憶だけで思い出せる人はいないでしょう。
覚えているとすれば、こんな唄を聞かされていたんだよと、子守唄には用がなくなった後から聞いたものであるはずです。

寝るのかよ 寝ないのかよ
寝るのか 寝ないのか
このガキゃ ホイ
ねんねこせ ねんねこせ

聞かされていたのはこの唄と言われたのを思い出して検索してみても、ひっかかったのはこんな見出しでした。

【欅坂46】長濱ねるの口癖「最高かよ!」

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古歌顧裏:15 お伊勢参り

2018年06月01日 | つぶやきの壺焼

家人が三味線を習い始めたころ、はじめに聞かされた唄がこれでした。

お伊勢参り
お伊勢参りに 石部の茶屋で
あったとさ 
可愛い長右衛門さんの
岩田帯しめたとさ
えっささのえっささのえっささのさ

この唄のもとになったのは、笑うならこのくらい笑えと言わんばかりの人形浄瑠璃「桂川連理柵」です。
笑いも"お"をつける程度では、ほんものでないただの呼び名になってしまうようです。
いまN町では、連理柵の戯作の稽古に大わらわと聞きました。

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