命名を頼まれると、口で言うだけではすまずに、書いて差し上げなければならないと思いはじめます。
次にはどういう紙に書くか、半紙ではお粗末ではないかと、気になる人もいるでしょう。
そういう人のためには、命名書の用紙が用意されているようです。
名は体を表すと古くから言われていて、それをだいじにというより、気を遣いすぎて、かえって気配りが足りずにつけてしまう名もあるようです。
命名者が後悔するのは、付けた名が体を表さないものになってしまった場合です。
人の名の場合は、実体がわからないうちの命名なので、名のほうにほとんど責任はありませんが、組織の名の場合は、あるべき体を考えた上での命名ですから、いい加減な名前は付けられません。
企業名は、売れればよいとも言えますが、政党名は、性格と大違いの名前を持っていてはよくないと、だれもが思うはずであるのに、そうでない逆のこともあります。
名前だけは半世紀も前からのままで、体を表してない名が力を持つという、奇妙な現象が起きることもあります。
選挙放送中に、目の前で倒れた女性に目もくれず、放送を続けるような候補者を立てていたKという名の党が、改選前の2.6倍の議席を得たのをみると、いまの世は、冷たさに人の心が誘われるのかと、うそ寒い思いがします。
体を表そうと、優しい名をつけた政党は、生まれて間もないのに消えて行きます。
政党の名が体を表しては、しくじりを呼ぶのかもしれません。