ひとさまざまと言いますから、一つのモノの使い勝手もさまざまでしょう。
あれ、これは昨日と同じではないかと思われる方は、ありがたい読者です。
標題だけをガラっと変えての実験です。
実は昨日までは、タイトルと画像のみを入れ替えて、本文は昨日とまったく同文にしてみようかと考えていました。
しかし、それではいくらなんでも読んでくださる方をバカにしたような所業になりますので、同じことでも話は替えておこうと、気が変わったところです。
さて、モノの使い勝手でいちばん違いのはっきりしているのは、右ひだりです。
左利き向きのはさみも、はじめに知ったときは、こんなものもあるのか、さすが銀座の I 屋と感心しましたが、いまではもう当たり前になりました。
ここで「ひだり」をなぜ「かな」で書いたか、「右左」と書いたのでは、読み方に疑問を持つ人が、近ごろ現れるようになったからです。
そういう人は、文章の流れから「みぎひだり」と読むことをせずに、右左の文字だけをにらんで「何と読むのですか」と、すぐに尋ねます。
「ウッソウ」と読むかもしれません。
右ひだりは利き手のことですが、「きき手」が使う手の選別ではなく「聞き手」になると、それにも上手か下手かが出てきます。
ここでもまた、上手下手と書くと「かみてしもて」と間違いやすいので「上手か下手か」とわざわざ字を増やしてしまいます。
きりがなさそうなひどい脱線を続けて、こんな説明をなぜ書いているか、それは、よくある「取扱説明書」から受ける感じに似せてみたからです。
取扱説明書には、ほとんどの人が読みそうにない、言い訳座頭の紹介文もどきのことが、くどくどと書かれています。
実物本体のほうには、電池ケースのふたがこじあけないと開かなかったり、頻繁に切り換えるスイッチの支え部分の肉厚が足りずに欠け落ちてしまったり、ろくでもないものが多いのです。
そういう設計には、肝心な使う目で見たチェックが入っていないのでしょう。
恰好がついていればそれでよいという審査しかされていないのです。
こういうモノがなぜたくさん出回るのか、もちろん安いからです。
壊れたら買う、買わせるには壊れやすく作られます。
使いにくければほかのモノを買う、買わせるには使いやすさよりも作りやすさで考えて設計されます。
変なものも、買ったところにわざわざ持ち込んでどうしてくれるかとは言いません。
安いから仕方がないと、先に思ってしまいます。
いい加減なものは、こうしてだんだん増えていきます。
豊かな生活感とはいろいろあるものから好きなものを選べて、買って合わなければまたどんどん買える、そういう暮らしなのだと、錯覚する人が増えれば、それにつれて景気は上に向くでしょう。
景気とは、言わば浮かれ気分、およそいい加減なものなのです。