今朝もまた夢を見た。
探偵まがいに、人の事を探る人についてだった。
教祖の御用場で、「あの場所にあの人と一緒にいたのは、あと誰でしたか?」と私に尋ねる夢だった。
その方はお道の方で、あまりにもしつこく聞いてくるので、「人には様々な事情があります。あまり深く詮索しないことです。」とだけ言ったところで目が覚めた。
昨日に引き続き、あまり気分の良い夢ではなかったので、もやもやしながら朝勤めをつとめていると、「正文遺韻」(初版本)にある、警察を止めてお道のおたすけ人になられた方の話を思い出した。(266頁「斎藤織造氏の話」)
探偵として、信者に紛れて教祖のお話を伺った人が、実名を呼ばれて直接話を伺うこととなり、
「人の周囲を嗅ぎまわり犬と呼ばれる商売もありますな」などというお話を聞いて、心改めたという話である。
これ以外にも、「ほこりの提灯持ち」という逸話がある。
人は誰しも悪い心を使い、悪い行いをするものである。
それをどのようにするかはそれぞれであり、些細なことで人を貶めることはそれこそ良くないことであろう。
教祖が月日の社と定まれる前の逸話で、怠け者の作男を「ご苦労さん」という言葉で改心させた話は有名である。
以前書いた「誠の中のほこり」というお話も、これに通じるものがある。
自分は良かれと思っても、それが人を助けるどころか、貶めることになる場合もある。
ここまでの思案ができるようになること。
これを親神様は求められているように思うが、人間すべてがそのようになるにはまだまだ先の事。
これらは、法律にはできない話でもあろう。
まずは、自らの心を顧みること。
そして自らの心を律することができるようになること。
そして、人を愛せること。
そして、人を育てること。
「愛する」と言っても、溺愛では「かわいい」のほこりとなる。
また「わが身可愛い」が過ぎると、どんなことにも恐れを抱くことにもなりかねない。
こうしたことを、学び、成人の歩みを進める。
「これがこの世の始まり」とおふでさきにも出てくるが、
元の理は人間の形が作られていく様を表しており、人間が5尺になったならばとして、そこまで成長した現在。
次は心の成人の歩みが、一つずつ進められていると思わずにはいられない。
思うがままに。。。
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