「本日は晴天なり」
この言葉は、マイクのテストをする時に使われるそうである。
曇りの日であっても「本日は晴天なり」なのである。
私が身上になってから、皆さんに色々と心を使って頂いている。
しかし、私の状態は私自身にしか分からない。
両手の親指がしびれているだけでは、動作については普通の人と全く変わらない。のである。
また、その日によってしびれ具合も異なり、段々としびれていることにも慣れてきているので、気にせずに動くことも多分にあり、全く外見は「どこが身上か?」なのである。
しかし、相対的に見ると段々と症状は進行している。
両手親指の痺れも時々感じられていたものが常時の事となり、痺れから力が入りにくい感じ、動きにくい感じへと変わってきている。
今月の1日には大教会で青年会が主催して「若人の集い」なるものを開催してくれた。部内から参加者もあり、顔を出したいと思っていたところ、急に風邪の鼻水が出て、身体がだるくなり、教会で溜まりに溜まった会計事務を行った。
私の風邪は数日風邪の症状が出る前には数日ぐずぐずした感じがあるのだが、今回はそれが無くて驚いた。
そして昨日、会計事務も後三月を残すのみに仕上げたところ、首や背中が痛み出し、手も冷たくて仕方が無い感覚になった。(いくら暖めても暖かくならない。反対に顔はどんどん温かくなってくる。)
入院するまでに会報を作っておかなければと思って始めたところだった。
ついに「おさづけを取り次いで」と妻に願った。取り次いでもらって数分後何となく症状が和らぎ、何とか会報が作れるという気持ちになって来て、会報を作り始めた。
今回の会報は先月、大教会奥様が婦人会の巡回に来られてお話を下さり、その話を載せるつもりであった。その原稿を修正しているとまた調子が悪くなってきた。これを載せるのは無理か。自分が月次祭の祭主を勤められないお詫びの挨拶を書くことだけにしようと決めて、またおさづけを願い少し休んだ。
するとまた症状が和らぎ、また会報を作る気力が沸き、お詫びの挨拶文を書き、先月の祭文を入力した(普段は祭文を掲載していないが、先月の祭文は今の私の心境そのままであるので、私が祭文を奏上する気持ちで掲載した。)
そして夕づとめにまたおさづけを取り次いで頂き、会報はほぼ完成。
夕食は冷凍庫の奥底に眠っていたタコでたこ焼き。と大根の煮物。久しぶりに飲みたい気分になって焼酎のお湯割を一杯飲み、気持ちよく早めに休ませてもらった。
夕づとめの最中時折、無意識に深いため息が出てしまうことに気づき、今日一日の身上と自分の心を振り返っていた。
身上が辛くなると心も曇って落ち込む。身上が少しでも楽になると心も晴れてくる。すごく不思議なものだなぁ。っと気がついた。
心が落ち込むと私の短気な性格が出て、「もうどうなってもいいや!」と投げやりになって何もやりたくなくなり、反対に心が晴れると、「あれもやりたい。これもやりたい。こうしてあげたい。」という心になってくるのである。
そうした中、ここ半月ほどおさづけを取り次ぐことはあっても取り次いでもらっていなかったことに気がついて、夕づとめ後に改めておさづけを取り次いで頂いたのであった。
明日から入院である。入院から手術まで検査で1週間ある。
昨日のことを思うとちょっと不安になった。
すぐにおさづけをして下さる方は側にはいない。
『心の守り身の守り』のお守りを、しっかり持って行こうと思う。
そして、身上によって心曇る時は、お守りで「本日は晴天なり」にしてもらいたいと思う。
さて、今日は妻が信者さんを教区の母親講座へ連れて行っている。子供が一人喘息で学校を休んでいる。
家事をがんばるぞ~~。
この言葉は、マイクのテストをする時に使われるそうである。
曇りの日であっても「本日は晴天なり」なのである。
私が身上になってから、皆さんに色々と心を使って頂いている。
しかし、私の状態は私自身にしか分からない。
両手の親指がしびれているだけでは、動作については普通の人と全く変わらない。のである。
また、その日によってしびれ具合も異なり、段々としびれていることにも慣れてきているので、気にせずに動くことも多分にあり、全く外見は「どこが身上か?」なのである。
しかし、相対的に見ると段々と症状は進行している。
両手親指の痺れも時々感じられていたものが常時の事となり、痺れから力が入りにくい感じ、動きにくい感じへと変わってきている。
今月の1日には大教会で青年会が主催して「若人の集い」なるものを開催してくれた。部内から参加者もあり、顔を出したいと思っていたところ、急に風邪の鼻水が出て、身体がだるくなり、教会で溜まりに溜まった会計事務を行った。
私の風邪は数日風邪の症状が出る前には数日ぐずぐずした感じがあるのだが、今回はそれが無くて驚いた。
そして昨日、会計事務も後三月を残すのみに仕上げたところ、首や背中が痛み出し、手も冷たくて仕方が無い感覚になった。(いくら暖めても暖かくならない。反対に顔はどんどん温かくなってくる。)
入院するまでに会報を作っておかなければと思って始めたところだった。
ついに「おさづけを取り次いで」と妻に願った。取り次いでもらって数分後何となく症状が和らぎ、何とか会報が作れるという気持ちになって来て、会報を作り始めた。
今回の会報は先月、大教会奥様が婦人会の巡回に来られてお話を下さり、その話を載せるつもりであった。その原稿を修正しているとまた調子が悪くなってきた。これを載せるのは無理か。自分が月次祭の祭主を勤められないお詫びの挨拶を書くことだけにしようと決めて、またおさづけを願い少し休んだ。
するとまた症状が和らぎ、また会報を作る気力が沸き、お詫びの挨拶文を書き、先月の祭文を入力した(普段は祭文を掲載していないが、先月の祭文は今の私の心境そのままであるので、私が祭文を奏上する気持ちで掲載した。)
そして夕づとめにまたおさづけを取り次いで頂き、会報はほぼ完成。
夕食は冷凍庫の奥底に眠っていたタコでたこ焼き。と大根の煮物。久しぶりに飲みたい気分になって焼酎のお湯割を一杯飲み、気持ちよく早めに休ませてもらった。
夕づとめの最中時折、無意識に深いため息が出てしまうことに気づき、今日一日の身上と自分の心を振り返っていた。
身上が辛くなると心も曇って落ち込む。身上が少しでも楽になると心も晴れてくる。すごく不思議なものだなぁ。っと気がついた。
心が落ち込むと私の短気な性格が出て、「もうどうなってもいいや!」と投げやりになって何もやりたくなくなり、反対に心が晴れると、「あれもやりたい。これもやりたい。こうしてあげたい。」という心になってくるのである。
そうした中、ここ半月ほどおさづけを取り次ぐことはあっても取り次いでもらっていなかったことに気がついて、夕づとめ後に改めておさづけを取り次いで頂いたのであった。
明日から入院である。入院から手術まで検査で1週間ある。
昨日のことを思うとちょっと不安になった。
すぐにおさづけをして下さる方は側にはいない。
『心の守り身の守り』のお守りを、しっかり持って行こうと思う。
そして、身上によって心曇る時は、お守りで「本日は晴天なり」にしてもらいたいと思う。
さて、今日は妻が信者さんを教区の母親講座へ連れて行っている。子供が一人喘息で学校を休んでいる。
家事をがんばるぞ~~。