夢のあと

釣りには夢があります。夢を釣っていると言っても過言ではありません。よって、ここに掲載する総ては僕の夢のあとです。

人類の夢の痕

2013年02月28日 22時36分39秒 | その他
島原発港内の魚、セシウム規制値の5100倍


 東京電力は28日、福島第一原発の港湾内で2月17日に捕獲したアイナメから、1キロ・グラムあたり51万ベクレルの放射性セシウムを検出したと発表した。

 国の規制値(100ベクレル)の5100倍に相当し、原発事故後、魚介類で最も高い値。これまでの最高値は、昨年12月20日に同じ港湾内でとれたムラソイの25万4000ベクレルだった。

 東電は、港湾の外に魚が流出しないよう海中に網を設置したり、湾内の魚を捕獲したりする作業を進めている。
                     (読売新聞 2月28日(木)18時50分配信)

風邪ひいて医者に行って『熱があります。』『咳が出ます。』『頭痛があります。』というと医者は解熱剤、鎮咳薬、鎮痛剤を処方します。そして抗生剤を追加します。風邪のウイルスは抗生剤ではやっつけられません。抗生剤を出すのは風邪で体力が落ちて他の細菌性疾患(肺炎など)にならないために予防的に処方されるだけです。こういう治療法を対症療法と言います。つまりはその病気の根源を治す事はせず、とりあえずの症状を軽くすることにより食事がとれて体力が付いて体が免疫で風邪のウイルスを退治するのを待つわけです。決して抗生剤が効いているわけではなく、ましてや医者が治しているのでもありません。結局は自分の体が治しているのです。
 上記のニュースはまったくこれと一緒のように感じます。海底にどんどん放射性物質が溜まって来ていることはそのままにして、魚だけ捕獲して・・・魚なんかもう手遅れです。東電が網張る前にあちこちに行ってしまっています。しかも、放射能を受けている生物は魚だけではありません。海草やその海域に住む虫(魚の餌)そしてバクテリアまで高線量の放射線を浴び続けているのです。こういうのはどうするのでしょうか?まさか魚だけが放射能を浴びていると考えているのではないでしょうね!

明日から解禁となる渓流でも
http://www.furainozasshi.com/%E3%81%82%E3%81%95%E5%B7%9D%E6%97%A5%E8%A8%98/%E6%B8%93%E6%B5%81%E8%A7%A3%E7%A6%81%E7%9B%B4%E5%89%8D%EF%BC%9A%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%83%BB%E6%A0%83%E6%9C%A8%E3%83%BB%E5%9F%BC%E7%8E%89%E3%83%BB%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E3%83%BB%E5%B1%B1%E6%A2%A8/
を見ると放射能は減っているどころかどんどん増えている(実際に増えているのか沈殿が蓄積しているのか?は不明)ようです。いずれにしてもいい傾向ではありません。
 そしてこのように放射能が増えて来ている結果が
http://newsdiggin.com/201207/post-73.html
http://blog.livedoor.jp/chihhylove/archives/7356029.html
です。ガサネタも多いです(ナメクジなんか特別なものではないし・・・)。でも可能性が高い物もあります。いずれにせよ、一つでも放射能の影響でこのようになるのであれば誰も看過できないはずです。

 これが人類が夢としたエネルギーの成れの果てです。絶対神話を信じた我々が悪いのか?絶対神話を信じさせた電力会社や国が悪いのか?

昔の人は良いことを我々に教えてくれていました。
  園精舎の鐘の声
  諸行無常の響きあり
  沙羅双樹の花の色
  盛者必衰の理をあらわす
  おごれる人も久しからず
  ただ春の夜の夢のごとし
  たけき者もついには滅びぬ
  偏に風の前の塵に同じ
『平家物語』の冒頭です。鎌倉時代から我々に警告を送っています。もう絶対神話なんて物に騙されちゃ駄目ですね。しっかりと現実に目を向け、夢は趣味の世界だけの物にしないと。。

極寒の中で

2013年02月24日 23時11分20秒 | ヒラメ釣り
『今シーズン最強の寒波・・・・・』何度も聞いて耳にタコが出来てます。そして今日もそんな日でした。それでもめげずに間もなく解禁になる渓流釣りの練習に行って来ました。勿論こんな時期に餌で釣っても面白くないのでてんからです。
 天気は良かったのですが、岸辺は雪で埋まってました。頭を出した石の周囲も氷がこびり付いてます。とにかく寒いです。しかも用意を済ませて釣り出そうと思ったらそれまで静かだったのにビューーって。てんからの糸も吹き上がって釣りになりそうもありません。それでも折角来たのですからやるっきゃありません。この風をどう見方に付けるか?が今日の明暗を分けそうです。
 最初はいつもの釣り方で始めました。特別変わった釣り方ではなく、ただこの時期ですから沈めて誘っての釣りです。始めてすぐに小さなニジマスが釣れたので気を良くしたのですが、その後が続かず。下流の方が釣れそうな気配でしたのでだんだんと下って移動して行きました。釣れずの時間を楽しんでいたら同行した友達がそちらに向かったので、僕は再び釣り遡りました。そして、大きな沈み石の脇に小さな魚を見つけたので、このニジマスに遊んでもらおうと思い仕掛けを振り込みました。しかし、なかなかその流れを掴むことができず、僕のヘナチョコ毛鉤は遥か彼方を通過してばかり。しかしその5投目くらいで僕の毛鉤は良い流れを掴みました。徐々に石脇の魚に近付いて行きます。『来る・来る』と・・・もう心臓が飛び出しそうです。そうしたら見えていた小さい魚ではなく、その石影の奥から大きな魚がズンズンと出てきて、その瞬間に毛鉤が見えなくなりました。そしてその大物のエラがバクバクと動いているのが判ったので竿を煽ってみたらいきなりその魚が走り出して・・・どうもその魚が掛かったようです。しばらくの攻防を制したのは僕でした。50cmほどのニジマスでした。痩せててみすぼらしい体型で悲しくなります。
 とりあえず、ノルマを達成した感がある僕は時々見えるライズに目を奪われました。てんからでのライズフィッシングは僕がもっとも苦手とする釣り方です。残りの時間はこの練習に費やそうと考えました。最初は大物を掛けた毛鉤をそのまま水面近くを流して狙いましたがまったく反応がありません。そこで、昨年巻いた極小毛鉤(24番くらい)に変えました。いつか使うことがあるかも知れないと思って毛鉤ケースに入れておいたものですが、結局一年使わずに今でも毛鉤ケースに刺さったままになっていた物です。ハリスは1.2号と1.5号しか持っていないので1.2号を使いました。実にアンバランスで釣れなそうな感じです。でも、ここの魚は気が良くて、いくつか出てくれました。
 結局その後20~25cmくらいのニジマスを9匹釣って、午後3時頃一段と風が強くなってきたので上がることとなりました。結局やっとツ抜けの11匹で終了です。

 こんな時期にてんからをやろうなどという事はまともな人間なら考えません。でも、こうしてまったく釣れないわけではないのですから、それはそれとして、てんからでも悪くはないと思えました。

 低気温の強風という最悪のコンデションの中でしたが、今年の渓流ではどんな魚が遊んでくれるのか?沢山は釣れなくても、そんな夢をふくらませるには充分な釣行でした。

初釣り用毛鉤

2013年02月20日 21時33分01秒 | 渓流釣り
 3月になると全国的に渓流釣りが解禁になります。一部はすでに解禁した川もありますし、一部はまだならない川もあります。でも、ザックリと3月初日から解禁になる川が圧倒的に多いです。
 昔の僕は3月の最初の休日には必ず溪に立っていたのですが、最近の僕の本格始動は5月の連休の後という超スローな立ち上がりでした。解禁当初は魚が黒くて哀愁はあるものの引きが弱く、時々釣れて来る銀鱗はみな成魚放流による魚で、釣趣に違和感を覚えたのが僕のスタートを遅れさせるようになった。5月のGWを過ぎると概ね放流魚は釣り切られます。時々釣れる放流魚も自然になじんだ魚となっていることが多い。そして6月の梅雨を過ぎるといよいよ本番です。大物が付くべき所にしっかりと付きますので、大物を狙って釣れる面白さがあります。勿論それ以前も大物が釣れる事はあるのですが、僕の場合それは偶然です。そして9月末に渓流の幕を閉じます。
 昨年の僕は毎年恒例の桂川の解禁(3月15日)を終えた後、早々の4月から渓流を始めました。と言いますのも、昨年から餌釣りからてんから釣りに転向したので、早期のてんからも知りたいと思ったからです。てんからは20年ほど前にさんざやりました。しかし、型物を狙うのに不都合が多過ぎて年間通して数回しかやっていませんでした。そして昨年、一年をてんからで通して様々な知見を得、大物こそ釣れませんが、改めててんからの面白さを実感しました。

 てんからで大物が釣れないのはタックル上仕方がないとは言え、昨年掛けた大物二匹のうちの一匹は状況からして捕れる魚でした。45cmくらいあったのでニジマスだと決め付けてしまったのが敗因です。乱暴に糸を持って手繰る寄せて、それが虹鱒ではなくアマゴだと判った瞬間から作業が丁寧になって、僕の緊張が糸を通して魚に伝わった瞬間から奴は急に暴れだして、その後は皆様が想像するとおりです。その他にも良型と思われる魚はことごとくバラし、結局昨年は尺に届かず。でも、尺くらいある魚も何匹か掛けました。そしてそのほとんどが途中でスッポ抜けです。

 こんな昨年でしたから、それを克服するための毛鉤のシルエットを考えました。それが画像のものです。毛鉤に頓着しない僕ですので、色も大きさもそれほど気にしません。気にするのは毛鉤の操り方です。今年の初釣りで使うオメデタイ毛鉤なので紅白にしました。この毛鉤をどうやって操り、そして魚をその気にさせようか?と、すでに気持ちは溪に立っています。

 こんな夢を託した毛鉤をこれから一本づつ巻き貯めていこうと思っています。

夢の子供たち

2013年02月19日 12時37分28秒 | 渓流釣り
渓流の解禁まで半月を切りました。そろそろ用意を。。。と思って自然河川用の毛鉤ケースを開けてみました。
 釣れなそうな毛鉤が沢山。見ただけで釣れなそうな毛鉤は溪でもやはり使う気になれませんので巻いたまま一年が過ぎたわけです。しかしながら、その時は釣れないと思えた毛鉤でも、翌年になってみると(一年釣った後はまた考え方が変わっているので)案外イケそうな物もあったりします。
 で、魚より先にセレクトしました。釣れなそうな毛鉤は廃棄です(画像)。でも、その一つ一つにはその毛鉤を巻いた時にあの溪のあの場所に立って、こうやって振り込んでこう流せば釣れるのではないか?と想像し、想いを込めて作った僕の夢の子供たちです。
 廃棄するか?持っていてあるかもしれない出番を待たせるか?は迷うところですが、あまり沢山持っているとかえって迷いが出てしまって釣れる魚もこぼしたりします。ここは心を鬼にして。。。
 廃棄される毛鉤たち・・・ごめんなさい。

命を頂くということ

2013年02月18日 22時52分17秒 | ヒラメ釣り
いままで釣った魚はC&R(キャッチアンドリリース)かT&R(タグアンドリリース)の僕ですが、ここ何回かヒラメを持ち帰って食べて居ます。やはり自分で釣った魚はとても美味。勿論最初からC&RやT&Rをしていたわけではなく、初心者の頃はみんな捕って来て美味しく頂いてました。しかし、その罪滅ぼしという意味もあってC&RやT&Rに決めたのですが、最近訳あってまた食べてます。その訳とは・・・釣り仲間が大きなヒラメを釣って、親戚も呼んでヒラメパーティーをしたときの事、参加してくれた親戚の人がアニサキスという寄生虫が原因で病院行きになったことに端を発してます。要はどのようにしたらこういう不幸な事故に合わなくて済むか?を検証しているのです。
 普通、ヒラメが釣れたら血抜きしてクーラーボックスに入れてそのまま帰宅して女房が包丁を入れて・・・という経過で頂いていたヒラメですが、この方法だとアニサキスが居た場合は大変なことになります。そもそもアニサキスは宿主(寄生している魚)の腸に住んでいます。寄生虫は寄生していないと生きて行けない生き物ですから、もし宿主が死んでしまったら、それは自分も死ぬことを意味しているのです。ですから寄生虫は宿主が死なないように寄生しています。ところがもしその宿主が釣られてしまって死んでしまうと自分も死んでしまうので、その場から他の宿主に引越しをしなければなりません。で、彼らは死んでしまった宿主の腸を突き破って這い出して来るのです。それが身に入ったアニサキスです。アニサキスは人には寄生できません。よって人がこれを食べると、アニサキスは新しい宿主を見つけようとして人の消化管(胃や腸)から抜け出そうとしてそこ(消化管:胃や腸)を突き破って出て来ようとします。これが激痛なのです。僕は経験がないのでよく判りませんが、世間的にはこの世の物とは思えない痛さとか言われるくらいですから相当痛いのだと思います。でも、もしこの痛みを我慢できれば、基本的に人には寄生できないので死んでしまって、消化管に開けられた穴も徐々に自然治癒されてしまうので特別な問題はないようです。
 こういうアニサキスという寄生虫が取り付いた魚を食べる時は、基本的には火を通して食べるのが最も安心なわけですが、やはり釣ってすぐの魚は刺身が一番と思う人も多いと思います。その場合は超薄切りにして、アニサキスも一緒に切ってしまうのも一法ですし、良く噛んで食べればアニサキスもかみ殺しますので大丈夫と言われています。でも、安心して食べては居られないので美味しさは半減してしまいます。そこで色々と調べたら、アニサキスが居る可能性がある場合は、釣ったらすぐに(腸に住んでいるアニサキスが身に移動する前に)内臓をアニサキスと共に取り出してしまえば良いらしいです。そこで実験となったわけです。
 ヒラメが釣れたら即刻頭を切り落とし、内臓と共に除去。その際、腸管にアニサキスの有無を確認してから廃棄。 その直後に腹腔(内臓が入っていた所)をチェックし、もしアニサキスが発見できたら即刻除去。そして、こうしてアニサキスが発見できた魚は家でサクにしてじっくりと観察して確認することです。
 で、早速お持ち帰りサイズの丁度2kgくらいのが釣れました。早速頭を落として腸管を開いてチェック。3匹くらいニョロニョロしてました。すぐに腹腔内を確認したのですが、腹腔内には確認出来ず。そしてそのままクーラーボックスへ。すぐに次を釣るために餌を付けて仕掛けを投入したのですが、なんとなく気分がすぐれません。そういえば今までは血抜きの傷だけ入れてあとはイワシの桶に入れて、そこそこ血が出たと思ったらクーラーボックスに入れて・・・その間はヒラメは生きていますので絶命の瞬間は目にしていないのです。ヒラメたちはクーラーボックスという僕の見えない密室で静かに息を引き取っていたわけです。しかし、アニサキスがいるとなるとその場で絶命させるわけで、否が応でも絶命の瞬間を目の当たりにしなくてはならないのです。背骨を一気にやるのでほぼ即死なのですが、これがとっても嫌なのです。特に最近はC&RやT&Rしかしなかった僕ですから尚更でした。
 そしてすぐに二匹目が掛かって。これはスイスイ上がってくる小物で800g程度でした。これを捕ったらまるで幼児虐待ですからT&Rしました。
 その後しばらく魚信が止まって船中がマッタリムードです。僕は先ほど殺したヒラメが妙に頭にこびりついて色々と考えました。ヒラメだけではなく、牛だって豚だって鳥だってみんな命を絶たれ、それを僕らが食べて自分の命をつないでいるっていう現実。僕は牛や豚が殺される所を見たことがありませんが、そういう現実があるのであれば(僕らが生きていくために他の動物の命を絶つ必要がある現実)、それは目を背けてはいけない事だと思えたのです。動物だけではありません。植物だって良い果実を採ろうと思ったら音楽を聞かせたりするそうですから人間が理解していない感情みたいな物があるように思えます。あくまでこれは憶測の域を出ないとはいえ、少なくとも植物だって生命が宿っている事は間違いありません。つまり、僕らの命は沢山の命を頂いて維持されているわけです。  本日ネットでそういうところの映像を見ました。かなり強烈な映像で、今日は一日中その映像が頭の中を巡っていて。。。出来たら忘れたい。でもこれは現実。我々が生きていく上で仕方がないことです。ですから目を背けてはいけないのです。忘れたい。でも目を背けてはならないという相反する気持ちが葛藤となって今日一日僕を苦しめてくれました。例えば韓国などでは今でも犬を食べます。我が家にはペットとしての犬がいます。同じ犬なのにかたや食材、かたやいい生活(?)をしています。食材となった総ての動植物たちは、その命を僕らに捧げてくれているお陰で僕らの命が続いているのです。要は彼らの命で僕らの命が支えられているのです。そしてそれらの動植物が何かしらの夢を持って生きているかどうか?は知る術もありませんが、彼らの命を頂いた僕らは多かれ少なかれ必ず夢を持って生きています。彼らのためにもその夢は現実として成熟させる責任が我々にあるように思えました。

 こんな事を考えていたら食事に出てくる料理の総ての材料に感謝、そして尊敬の念を持つようになれました。『みんな、僕を生かしてくれてありがとう!』と。

 我々人間はこの世の中で一番悪いやつなのかもしれません。

ゴミの分別

2013年02月10日 21時45分58秒 | ヒラメ釣り
ただの汚い釣り鈎と三叉サルカンの集合です。
これがどうしたかって?
この汚いパーツに沢山の夢が詰まっていたのですよ。

ヒラメ釣りを始めてどのくらいになるだろう?
ン十年になる事は間違いありません。
船釣りの場合、船頭さんが魚がいる場所に連れて行ってくれますから、そこで船頭さんの仕掛けで船頭さんが言うとおりに釣ってれば間違いなく釣れます。でも、これってつまらなくないですか?だって釣りに自分がまったく入っていないですから。そんなんだったら船頭さんが釣った方が慣れてるだけに沢山の大物を釣るでしょう。仕掛けを買って船で行く人もたいした変わりがありません。
 本来なら釣りは自分で場所を見つけ、自分の仕掛けを使い、魚の習性を考えながら自分の考えた釣り方で釣って始めて自分が釣ったと言えるのではないでしょうか?
 しかしながら、船釣りの場合は船頭さんが連れて行ってくれた場所を釣るしかありません。よって、少なくとも仕掛けと釣り方だけは自分で作りたいものです。

 ってことで、今まで沢山のヒラメ釣りの仕掛けを作って来ました。釣れた仕掛けはその後あまり使いません(釣れたのですから、同じ仕掛けを使っていても進歩がありませんから)。また駄目だと思った仕掛けも使わなくなります。そんな仕掛けが溜まりに溜まって。。。
 このたび処分することにしました。ところが仕掛けは糸という可燃ゴミと鈎とサルカンという金属ゴミがくっついている訳ですからそれぞれに分けなくてはなりません。どっさりと出てきた今までの仕掛けを見てうんざりしましたが、やるっきゃありません。
 糸とサルカン、糸と鈎は実釣で外れちゃ困ります。っていうことは外すのも大変で。。。これだけ外すのに3日掛かりました。勿論仕事の合間にやるのですからまるまる3日というわけではありません。
 当初は総て捨てちゃえ!って思って半分くらいは捨ててしまったのですが、今まで作ってきた様々なタイプの仕掛けを見ていると“こんなんじゃ釣れるはずないじゃん”というのもあれば“ほほぅ。。なかなか考えられた仕掛けだ”などと、今でも関心してしまうような仕掛けがあって、実に楽しかったです。そしてそういう仕掛けを見ていると、当時どんな事を考え、何をしたくてこういう仕掛けを作ったか?が蘇って来ました。まるでタイムマシーンのようでした。そうしたら急にそれらの仕掛けが愛おしくなって。・・・捨てられなくなりました。勿論、使用に耐えられない錆びた鈎や回りが悪くなった三叉サルカンは持っていても仕方がないので捨てましたが、使えるものまで捨てる事はないし、何もしないまま廃棄されたんじゃこいつらも心半ばだろうと思い、使えるものはまた使おうと思って貯めました。
 それがこれです。随分と作ったものだと我ながら感心しました(実はまだこの3倍くらいあります)。そしてその一つ一つに僕の夢が込められていたのですから、使えるのであればもう一度このパーツに夢を注ぎ込もうと考えました。
 多分もう死ぬまで買わなくて大丈夫だと思います(悲。

ちなみに鈎はほとんどがネムリ鈎で、最近は伊勢尼型を多く使っている僕はかなり出番は少なそうです。でも、折角あるのですからこれからもネムリ鈎を使った面白い釣りも続けましょう。
 
 

夢の跡

2013年02月09日 12時43分04秒 | 釣り全般
この鈎、大きさが40cmほどの巨大な鈎です。
以下のようないきさつで作られた特注の鈎のうちの一本です。

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昭和54年5月頃より徳之島母間沖サンゴ磯を根城に600キロ、
乗用車程の大アラが居ると言う噂が
大島郡内や全国の磯つりマニアの話題となり騒動の始まりとなった。

地元の人も過去そういう大魚が目撃された事があると証言

証言その一

母間在住のTさんの話し、
40年くらい前80歳余りの老人の話では
下久志と井之川の中間の海岸でものすごい大きな魚を見たと
言う話を聞いたことがあると証言

証言その二

母間の元郵便局長さんは、
今から17、8年前に聞いた話であるが、母間港の中間辺りで、
鱗の大きさが麦わら帽子位のものを見たと言う話を
聞いたことがあると、証言

噂や過去の目撃証言等で拍車がかかり
ついにはこの魚を釣り上げる話になった。


昭和54年5月頃より釣り上げ計画を立てる
奄美磯釣りクラブでは会員140人を動員して
7月4日から一週間がかりで、釣り上げる計画を立てる

6月に準備のため大島磯釣りクラブの7人の
実行委員会が結成され大島本島より、
今まで誰も見た事が無いような特注の釣り針を持参した。
その時この釣りクラブが発行したプリントには、
次のような事が書かれていました。

①今から十年前ダイバーが海に潜っていた時、
岩のような巨大魚に遭った。
魚が尾びれを動かしただけでダイバーはひっくり返ってしまった。

②7,8年前には、岸から約150メートルのところに
浮かびあがったので、多くの人に目撃されている、
その大きさは人により証言が異なるが乗用車位だという人も居る。

③数十年前には実際に大きな魚が捕らえれている。
重さ600キロもあり、
腹の中から女物の下駄や着物がでてきた。
この魚の子供が数十年生きつづけて、今時々姿を見せる
巨大魚になったと考える人も居る。

実行委員会幹部は1977年の釣りの主要魚世界記録表を調べ
地元の人の証言を聞いて、
この魚は体長4メートル、重さ2トンと推定
大魚はマダラハタ、もしくはアカマダラハタと推定
そして、バールを元に鍛冶屋で特注の釣り針を2本製作させ
その針で乗用車を釣り上げるテストをし、それに成功する、

釣竿はドラム缶8台の上にイカダを組、その上に動かっ車二個を組
大きなワイヤを釣り針につける、
ウキはドラム缶4台にイカダを固定し、その上にウキの見張りが乗り、
トランシーバで竿台上の人との連絡をとる、ウキの合図で
手動で引き寄せる事になった。
豚肉をエサに使用された。

又地元の人達はこれに応援
支援チームを作る事により協力する事になった。
30名ほどで支援チームを作り魚を誘うため、
巻きエサのウニを取ったり岸にやぐらを作る準備をした。

6月の下旬より、大魚の噂は噂を呼び
NHK初め民放関係者週刊誌、各新聞社
からの取材電話や現地取材記者の往来が激しくなり、
地元母間は勿論徳之島全島または観光旅行者なども
この大魚釣りの準備を見物に集まった。

そして釣りが始まったのですが、
待てど暮らせどあたりもなく一向に大魚が釣れる気配は無かった。
7月8日(旧暦の6月15日)大潮に奄美磯釣りクラブの会長は期待をかけた。
不発に終り一度あたりがあったらしいがそれは鮫だったようです。

7月9日地元の協力もむなしく、解体宣言して、
あとかたづけをして引き上げた。
これに要した費用は1千万を超えたと言う
気の毒な話です。

この大アラ釣りを見ようと、島民が繰り出し、
6日から8日までの間で一万人余りに及んだ

この事件をその後大アラ事件と呼ぶようになったが、
なかには、大ボラ事件と呼ぶ人もいる。
真相は深い海の中、誰にもいるいないの断言
は出来ないでしょう。
(http://www.tokunosima-jc.com/tokunosima/main/ara.htmより)

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確かに大ボラ事件と言う人もいます。島に金を落とさせるためにやったのではないかという人もいます。売名行為だと言う人もいます。いろんな人がいます。
 結果が出るまではみんな期待していたはずなのに、結果が出なければケチョンケチョンに言ってくれます。こういう人ってどうなんでしょ?
 僕は釣れなくて良かったと思う派です。夢は夢で置いておいた方がいい場合が多々あります。この事件で夢を見た人は(TVでも放映されたので)相当な数に上ったと思います。現実にこの大アラがいるかどうかはどうでもいいことで、いると信じて色々な試行錯誤を繰り返し挑んでいった奄美磯釣りクラブの方々そしてその行方をかたずを飲んでみていた人たちがその一瞬だけでも夢を見たということが大切なのではないでしょうか?ですから僕はこの鈎を夢の跡として大切にしたいと思っております。

仕方なくBlogタイトルを更新しました。

2013年02月09日 00時26分54秒 | Weblog
Blogタイトルの変更理由
いままで『霞ヶ浦のタナゴ釣り』としてやってきた当Blogですが、本日付けで『夢のあと』と表題を変えます。
 僕にとっての霞ヶ浦は、お師匠さんやお師匠さを通じての友達、周辺に住まわれている方々、そして遠くからでも霞ヶ浦を訪れる方々、そんな方々と一緒に時間を共有した素晴らしい場所でした。釣りを通して沢山の友達が出来、釣りと言うよりも友達に合いに行くといった意味合いがどんどんと増し、交友を深めました。今でも僕の人生の中ではまさに至福の時だったと思っています。
 それが、あの3.11の福島原発事故で巻き散らかされた放射性物質で総てが終わりました。
高濃度の放射能が検出された福島原発の周辺住民は避難させられたのですが、国及び東電は総ての地区を計った訳ではないので所々にホットスポットが形成されても計測すらされない場所が多々ありました。知り合いの簡易線量計では驚くような数値が記録され、とても霞ヶ浦に近付く気にはなれなくなりました。それでも国は非難した人たちも数ヵ月後には戻れるような事を言っていました。本当にそうなのだろうか?と疑問を持ったのは僕だけではないでしょう。現に2年が経とうとしていますが、いまだに沢山の非難したまま帰れない人たちが沢山居ます。もっとも、国も東電も『何十年、何百年も帰れません』とは言えなかったのでしょう。保証が大変になりますから。
 今でも東電の社員はいい給料といいボーナスを支給され、実際に事故の回収に当たっているのは東電の下請け会社の社員という有り様。加えて汚染作業も袋に入りきらなかったと言って除染した高濃度汚染物質を川に流したり。。。誠実さがまったく見えません。そして、今も国会事故調査委員会に対して東京電力が虚偽の説明したりして・・・隠蔽体質もまったく変わっておらず。

こんな状態では多分本当に何十年・何百年というスタンスで物事を考える必要が出てきました。霞ヶ浦は広くて浅い湖です。沢山の流入河川があるので霞ヶ浦に降り注いだ放射性物質に加えてそういう流入河川から流れてきた放射線物質も流れ込みます。そして広くて浅いという事はそこで水分が蒸発しますので濃縮されるはずです。こんな条件がそろっているのですから多分以前の環境に戻るには何十年・何百年とかかるでしょう。例え国や東電が大丈夫と言ってももう信じられません。こんな怖い場所でのほほんと竿を出す必要は何処にもないのです。2年間近く様子を見ていましたがもう霞ヶ浦は諦めました。というより諦めざるを得なくなりました。
 となるとこの『霞ヶ浦のタナゴ釣り』も中に浮いたままになります。

以上のような理由から表題を変えさせていただきました。短い間でしたが、霞ヶ浦にはありがとうとお礼を述べさせていただくと共にお師匠さんや優しかった霞ヶ浦周辺の方々、そして仲間や友達・・・総てにお礼を述べさせていただきたいと思います。
---------ありがとう!---------

そして、今度は表題も新たに『夢のあと』としてこのBlogをやって行こうと思います。
『夢』は寝ているときに見る物ですが、そこから発展して『希望』という意味合いも含まれています。釣り師はこの『夢』を追いかけていると言っても過言ではありません。夢がなければとても釣りなんかやってられません。“今日は大きいのが釣れるかも”とか“今日は沢山釣れるかも”とか“今日は何かが起こりそうだ”とか、とにかく夢を持って家を出ます。またその夢を実現するために道具を整え、釣りの技術を高めるため日々切磋琢磨し、試行錯誤を繰り返し・・・・・。それが釣りだと思うのです。
 いままで僕も沢山のことをやって来ました。そしてその総てが夢をつかむための努力です。そしてそれをここに書き込んで来ました。結果は良く出ることもありますが、ほとんどがロクな物ではありません。でも、この総てがとっても大切な僕の夢のかけらなのです。そして、これからも夢を追いかけて釣り続けて生きたいと考えております。
 よって、ここに掲載したときは夢の後で夢の跡です。よって、「あと」の部分はその両方を意味するので平仮名です。
 これからはタナゴは勿論、渓流(餌釣りと古式てんから)、海の船釣り(ヒラメ)がメインにこのBlogをやって行こうと思っています。勿論、気になることなどは釣り以外でもガツガツ取り入れます。

拙いBlogですがこれからもよろしくお願い致します。

                          (2013年2月9日 管理人)