夢のあと

釣りには夢があります。夢を釣っていると言っても過言ではありません。よって、ここに掲載する総ては僕の夢のあとです。

命を頂くということ

2013年02月18日 22時52分17秒 | ヒラメ釣り
いままで釣った魚はC&R(キャッチアンドリリース)かT&R(タグアンドリリース)の僕ですが、ここ何回かヒラメを持ち帰って食べて居ます。やはり自分で釣った魚はとても美味。勿論最初からC&RやT&Rをしていたわけではなく、初心者の頃はみんな捕って来て美味しく頂いてました。しかし、その罪滅ぼしという意味もあってC&RやT&Rに決めたのですが、最近訳あってまた食べてます。その訳とは・・・釣り仲間が大きなヒラメを釣って、親戚も呼んでヒラメパーティーをしたときの事、参加してくれた親戚の人がアニサキスという寄生虫が原因で病院行きになったことに端を発してます。要はどのようにしたらこういう不幸な事故に合わなくて済むか?を検証しているのです。
 普通、ヒラメが釣れたら血抜きしてクーラーボックスに入れてそのまま帰宅して女房が包丁を入れて・・・という経過で頂いていたヒラメですが、この方法だとアニサキスが居た場合は大変なことになります。そもそもアニサキスは宿主(寄生している魚)の腸に住んでいます。寄生虫は寄生していないと生きて行けない生き物ですから、もし宿主が死んでしまったら、それは自分も死ぬことを意味しているのです。ですから寄生虫は宿主が死なないように寄生しています。ところがもしその宿主が釣られてしまって死んでしまうと自分も死んでしまうので、その場から他の宿主に引越しをしなければなりません。で、彼らは死んでしまった宿主の腸を突き破って這い出して来るのです。それが身に入ったアニサキスです。アニサキスは人には寄生できません。よって人がこれを食べると、アニサキスは新しい宿主を見つけようとして人の消化管(胃や腸)から抜け出そうとしてそこ(消化管:胃や腸)を突き破って出て来ようとします。これが激痛なのです。僕は経験がないのでよく判りませんが、世間的にはこの世の物とは思えない痛さとか言われるくらいですから相当痛いのだと思います。でも、もしこの痛みを我慢できれば、基本的に人には寄生できないので死んでしまって、消化管に開けられた穴も徐々に自然治癒されてしまうので特別な問題はないようです。
 こういうアニサキスという寄生虫が取り付いた魚を食べる時は、基本的には火を通して食べるのが最も安心なわけですが、やはり釣ってすぐの魚は刺身が一番と思う人も多いと思います。その場合は超薄切りにして、アニサキスも一緒に切ってしまうのも一法ですし、良く噛んで食べればアニサキスもかみ殺しますので大丈夫と言われています。でも、安心して食べては居られないので美味しさは半減してしまいます。そこで色々と調べたら、アニサキスが居る可能性がある場合は、釣ったらすぐに(腸に住んでいるアニサキスが身に移動する前に)内臓をアニサキスと共に取り出してしまえば良いらしいです。そこで実験となったわけです。
 ヒラメが釣れたら即刻頭を切り落とし、内臓と共に除去。その際、腸管にアニサキスの有無を確認してから廃棄。 その直後に腹腔(内臓が入っていた所)をチェックし、もしアニサキスが発見できたら即刻除去。そして、こうしてアニサキスが発見できた魚は家でサクにしてじっくりと観察して確認することです。
 で、早速お持ち帰りサイズの丁度2kgくらいのが釣れました。早速頭を落として腸管を開いてチェック。3匹くらいニョロニョロしてました。すぐに腹腔内を確認したのですが、腹腔内には確認出来ず。そしてそのままクーラーボックスへ。すぐに次を釣るために餌を付けて仕掛けを投入したのですが、なんとなく気分がすぐれません。そういえば今までは血抜きの傷だけ入れてあとはイワシの桶に入れて、そこそこ血が出たと思ったらクーラーボックスに入れて・・・その間はヒラメは生きていますので絶命の瞬間は目にしていないのです。ヒラメたちはクーラーボックスという僕の見えない密室で静かに息を引き取っていたわけです。しかし、アニサキスがいるとなるとその場で絶命させるわけで、否が応でも絶命の瞬間を目の当たりにしなくてはならないのです。背骨を一気にやるのでほぼ即死なのですが、これがとっても嫌なのです。特に最近はC&RやT&Rしかしなかった僕ですから尚更でした。
 そしてすぐに二匹目が掛かって。これはスイスイ上がってくる小物で800g程度でした。これを捕ったらまるで幼児虐待ですからT&Rしました。
 その後しばらく魚信が止まって船中がマッタリムードです。僕は先ほど殺したヒラメが妙に頭にこびりついて色々と考えました。ヒラメだけではなく、牛だって豚だって鳥だってみんな命を絶たれ、それを僕らが食べて自分の命をつないでいるっていう現実。僕は牛や豚が殺される所を見たことがありませんが、そういう現実があるのであれば(僕らが生きていくために他の動物の命を絶つ必要がある現実)、それは目を背けてはいけない事だと思えたのです。動物だけではありません。植物だって良い果実を採ろうと思ったら音楽を聞かせたりするそうですから人間が理解していない感情みたいな物があるように思えます。あくまでこれは憶測の域を出ないとはいえ、少なくとも植物だって生命が宿っている事は間違いありません。つまり、僕らの命は沢山の命を頂いて維持されているわけです。  本日ネットでそういうところの映像を見ました。かなり強烈な映像で、今日は一日中その映像が頭の中を巡っていて。。。出来たら忘れたい。でもこれは現実。我々が生きていく上で仕方がないことです。ですから目を背けてはいけないのです。忘れたい。でも目を背けてはならないという相反する気持ちが葛藤となって今日一日僕を苦しめてくれました。例えば韓国などでは今でも犬を食べます。我が家にはペットとしての犬がいます。同じ犬なのにかたや食材、かたやいい生活(?)をしています。食材となった総ての動植物たちは、その命を僕らに捧げてくれているお陰で僕らの命が続いているのです。要は彼らの命で僕らの命が支えられているのです。そしてそれらの動植物が何かしらの夢を持って生きているかどうか?は知る術もありませんが、彼らの命を頂いた僕らは多かれ少なかれ必ず夢を持って生きています。彼らのためにもその夢は現実として成熟させる責任が我々にあるように思えました。

 こんな事を考えていたら食事に出てくる料理の総ての材料に感謝、そして尊敬の念を持つようになれました。『みんな、僕を生かしてくれてありがとう!』と。

 我々人間はこの世の中で一番悪いやつなのかもしれません。