夢のあと

釣りには夢があります。夢を釣っていると言っても過言ではありません。よって、ここに掲載する総ては僕の夢のあとです。

三者釣り比べ、そして+α

2021年03月26日 20時38分57秒 | 渓流釣り

 コロナ対策の一環として、全国で緊急事態宣言が解除されても、一部の県で緊急事態宣言かそれに類似したものが施行されていたらJGFA(日本記録を唯一公認している組織)は記録を認めないとのこと。こんな時釣りに行っても楽しさが半減。ましてや、もし記録魚が釣れてしまったりしたら悲しさMAXです。で、記録が関係のない釣りのタナゴや渓流を考えました。タナゴは今メチャ混みで場所取りも大変。で、急遽渓流釣りへ。

 渓流に一人で行くのは何年ぶりでしょう?なんか私的に“(渓流釣りは)楽しきゃいい”になってしまっていて、“釣ってやろう感”が持てなくなってしまってしばしの時間が経っています。でもこんな状況ですので、今回は久しぶりに『釣ってやろう』の釣りをして来ました。・・・狙うは大型のヒレピンヤマメです。
 結果、久しぶりにやってヘタクソになった餌釣りでも魚が反応してくれて、1.5号を切られるというアクシデント付き。ニジマスだと思いますが、ジャンプもしないし・・・引きはデカヤマメっぽかったです。岩場だったので糸が擦れたのかもしれませんが、久しぶりの引っ張りっこは楽しめました。
 結果は、餌釣りで4、てんからで2、テンカラで1、すべて小型のニジマス君たちでした(悲。

 切られて落ち込んだ気持ちを持ったまま、いつものように山梨県都留市の『またぎや』で元気をもらって帰って来ました。店長もスタッフもとても暖かく迎えてくれます。ちなみにこの『またぎや』、パッと見は画像のようにお化け屋敷じゃないかと思ってしまうほどキモイ外見です。しかし一旦入って出される料理を食してみればそのクオリティーの高さに驚くはずです。素材にこだわり、技を極めた料理で武装されたお店って感じ。店長はまだまだだと言っていますが、僕にとってはもう“完成品”と思っています。当然ですが焼き鳥は超美味。その他、湧水サーモンの刺身なんか口に入れた瞬間に舌がとろけてしまいます。先日頂いたカレーラーメンも殺人的美味さ。今回頂いたモツ煮はあまりの美味しさにお代わりするほど。都内からのリピーターが多いのも納得です。都留市界隈にお出かけするチャンスがありましたら是非立ち寄ってみて下さい。ただ、これだけのお店ですから満席の事も多々ありますので、出来ましたら電話で予約してから行かれた方が確実に食べられると思います。

 それともう一つ。・・・釣り場移動の際、地元民の方(?散歩してたので)から『感染者の多い所から来ないでいただけますか?』と丁寧に注意を受けました。やはり地方の方、特に感染者が少ない地域の方、それも特に高齢者の方(地方は高齢者が多い)は、コロナが多い関東からの来訪者にとても恐怖に感じているようです。感染を広げるとか広げないとかではなく、それ以前に、我々が地元の人に不安を与える事自体が大きな問題です。


ニジマス

2021年03月20日 23時48分01秒 | 渓流釣り

僕が渓流釣りを始めた頃はなかなか目にすることがなかったニジマス。この魚は釣り堀の魚というイメージでした。しかし現在の渓流、特に渓流エリアの比較的下流域では圧倒的にこの魚が多くなりました。本来であれば大型のヤマメが釣れるエリアです。何故このエリアに大型のヤマメが多いのか?と言えば活動エリアが広大で餌が豊富だからです。ここに大食漢のニジマスが入るとどうなるか・・・結果は見えています。本来棲息していたヤマメは小型化してしまうか、はたまたひどい場合は駆逐してしまうのです。そしてニジマスは大食漢ですから、すぐに釣れてしまう事が多く、釣りとしての楽しさも半減してしまうのです。勿論、掛かった後の引きはニジマスの方が強いので楽しいのかもしれませんが、本来棲息していなかったこの外来魚が釣れた時は、なんかがっかりしてしまいます。

そんな外来魚を何故に漁協は放流し続けるのか?まずはヤマメ・イワナに比べてニジマスの方が稚魚の値段がい安いという事です。要は同じお金で沢山の魚を放流できるのです。しかも、先にも書きましたがニジマスは大食漢で、しかもヤマメ・イワナほどは警戒心が強くないので簡単に釣れます。ヤマメ・イワナより大型化するので、自然というものを考えずに、ただそういうのが好きな釣り人が多く訪れてくれるので漁協が儲かるのです。要はイワナ・ヤマメが賢くて釣れない釣り人が漁協に釣られているという構図が出来上がっているのです。加えてニジマスは北海道以外は繁殖していないと言われているからです。どこからこんなデマな情報が出てるのか?は知りませんが、関東周辺のどこの川も自然繁殖していると思われます。先日も釣りに行ったら、いくつものペアが叩いていました(産卵行動)。やがて浅瀬にパーマークを付けた稚魚が見られるようになり、その後ヒレピンの幼魚が多く釣れ出します。放流魚だけで繁殖しないのでしたらこれらの事はあり得ません。ですから多分自然繁殖しているのです。では何故こんなデマ情報が出てるのかと言うと、この事が漁協がニジマスを放流するにあたっての大義名分になっているからです。つまり、そうしておかないとニジマスの放流が出来なくなってしまうからです。ちなみに、画像のニジマスは57㎝のもの。先日紹介した集英社の「kotoba」に掲載された駒彫り師のE氏が釣ったものです。多分この川で生まれ育った自然繁殖物だと思います。ヒレの線条に乱れもなく、ほぼ完璧な魚体でした。そういう意味では嬉しいのですが、これがヤマメだったらもっともっと、飛び上がるほど嬉しいのではないかと思ってしまうのです。ちなみに、僕のヤマメの自己記録は51㎝でこの川で釣りました。もうかれこれ30年も前の話です。その頃はヤマメが主体で、時々イワナ、そしてこのニジマスとブラウントラウトが釣れ始めた頃でした。その後はニジマスとブラウントラウトが徐々に多くなり、今ではほとんどがニジマス。ブラウントラウトは姿を消しています。時々ヤマメが釣れると『ヤマメだ!』と叫ぶほど。それでもヒレが甘い個体がほとんど。ヒレピンのも時々は釣れますが、ヒレの線条は間違いなく乱れが見られます。つまりは放流物です。完璧な魚体のヤマメはほぼ皆無です。勿論、この川の在来種はヤマメ・イワナですから自然繁殖できないはずはありません。ただ、ニジマスがヤマメを駆除しながら大型化し、大型化したニジマスは魚食性が高くなるので、ヤマメ・イワナの稚魚・幼魚をみんな食べてしまうのではないかと思っています。その結果、時々釣れて来るヤマメはある程度大きくなって放流された、いわゆる成魚放流の魚だけなのではないかと考えます。

日本の渓流釣りではやはり渓流魚と言われる『イワナ』か『ヤマメ』が釣れて欲しいのです。それもヒレが奇麗で大型の魚なんかが釣れたら手が震えるほどの感動ものです。そして、昔はそんな魚が時々竿を撓らせてくれたものです。

ヤマメ・イワナはと遠の昔から繁殖を繰り返し、世代交代を続けて来た日本の魚です。天然物が釣れた時の感動は、それはもう言葉では言い表せないものがあります。何せ悠久の時を泳いで来た魚なのですから。そんな素晴らしい魚がいるのに、漁協の放流によってそれらを途絶えさせようとされてる今、即刻外来魚の放流を辞めさせる必要があると考えます。今なら小支流に生き残っているヤマメ・イワナが居ますのでまだ間に合います。環境省さんがその明晰な頭脳をもって“渓流”と言う閉鎖された世界を理解し、未来に向けて素晴らしい自然が残せるような策が施されることを願って止みません。


ZEROROKU CHALLANGE

2019年10月08日 21時54分29秒 | 渓流釣り

 先日、僕らの会でやり始めた“ZEROROKU CHALLANGE”という楽しい渓流釣りの大会に参加して来ました。要は『ナイロンの0,6号でどれだけ大きな魚を釣ることができるか?』という、その人の釣技がそのまま結果となる実にシンプルな内容です。ただ、渓流釣りと一言で言ってもフライ・フィッシング、ルアー・フィッシング、てんから、餌釣りと色々な種類があります。僕が考えるに、一番有利なのがルアー。次がフライ・フィッシング、そして餌釣り、最後にてんからとだんだん不利になるように思えます。それは当会のエキスパート達も共通した考えです。ではルアーで釣ればいいじゃない?って事になるのですが、やはり個人のプライドがあってルアーをやる人は一人も居ません。僕自身も一番不利と思われるてんからがメインで、今シーズン最後の渓流釣りなので餌釣りも・・・なんて欲張った釣りをして来ました。  結果は・・・優勝者は当会のN氏。餌釣りで55cmのニジマスを見事Get。そして準優勝は僕。てんからで54cmのニジマスGet。僕のてんから竿はグニャグニャの柔らかい竿(下野の『舞』)なので不安が一杯だったのですが、案外いけちゃいました。この竿は岐阜の天野勝利氏がプロデュースした竿です。これだけのニジマスが捕れれば、普通使いには充分すぎるほどのポテンシャルを持っていることを理解しました。天野さん、凄過ぎです。  優勝者には豪華景品・・・があればいいのですが、まったくありません。名誉を狙うアメリカのガムボールみたいな大会ですから、ただ次回のこの大会まで“番長”の称号を与えられるだけです。  今回“番長”の名を得たN氏は当会の大物釣りのエキスパート。昨年も“番長”の称号を得てこれで連勝。・・・流石としか言いようがありません。  これから撮って来たVTRを見ながら彼の釣りの凄さの秘密を暴こうと思っています。


ずっと心の中で生きている人

2019年07月07日 21時41分59秒 | 渓流釣り

 7月5日が来るとどうしても思い出してしまう友。細山長司。この日は彼の命日なのです。  何故か色々と僕のことを気にしてくれて。。。生前は色々とお世話になりました。  器用な人で、色々な物を作ってプレゼントしてくれました。そのうちの一つが画像の魚篭。とても彼のあの太い指で作ったとは思えないくらい繊細に作られています。『たなご釣って、この魚篭に入れて写真にとってネットに上げたら面白いかも。。。』と言いながら笑顔と共にくれました。  本当に素晴らしい人でした。彼が『渓流釣りのカリスマ』と言われる所以は、彼のこんな人柄から来ているのかもしれません。彼は業界の宝でもありましたが、僕にとっては40年もお付き合いをいただき、しかも後半になればなるほど絆が太くなった大切な友でした。本当に惜しい人を亡くしたものです。  この日は僕にとってはとても辛い日なのですが、一緒に行った渓流釣り、ヒラメ釣り、ワカサギ釣り。そして釣りではないですが色々なことを話したり、相談したりされたり。彼との様々な事が沢山思い出せ、今となってはそれなりに嬉しい日になりつつあります。  今になっても楽しい記憶を思い出させてくれる彼には、今でも頭が上がりません。本当にありがとうございました。


懐古

2018年06月01日 17時50分46秒 | 渓流釣り
てんからのどうぐを整理していました。
昔の自作の糸が沢山出て来ました。
それらを見ると、その時に何を考えて作ったのかが蘇って来ます。
一部フライライン、レベルラインもありますが、ほとんどがナイロンの撚り糸です。苦労して手で撚ったり、それだと大変なのでスピニングリールを使って撚ったり。最近ではルーターを使ってますので、当然その撚れ具合が違います。
一つ一つに僕の想い入れがあり、懐かしくて・・・まるでタイムマシーン。
もう使う事はないでしょうが、捨てられなくなってしまいました。
画像はそれらの糸ですが、まだもっともっと出てくると思います。
楽しみだなぁ・・・。

やられっパ

2018年05月25日 09時13分45秒 | 渓流釣り
昨日、天野氏から授かったてんから技術を試しに行って来ました。
まぁ、そちらの報告はするまでもないのですが、こんな光景に出会ってしまいました。
大きな魚がピョンピョンしてました。
天野てんからを授かった僕ですから、ここは何とかコイツを釣って天野氏にお礼の報告をしようと必死。
相当頑張ったのですが、完全に無視されました。
考えてみれば、そんな一朝一夕にしてできるものではありませんね!

伝承てんから

2018年05月19日 20時01分43秒 | 渓流釣り
『天野勝利』・・・。“てんから”もしくは“テンカラ”を嗜好する釣り人でこの名前を知らない人はおられないのではないかと思えるほどの、この世界の重鎮です。一本の竿に一本の糸、その先に毛鉤を付けて釣るのが“てんから”もしくは“テンカラ”と言われる釣り方です。僕が“てんから”と平仮名で書いている方は毛鉤を積極的に動かして虫に見せかける、いわゆる“伝統的”な釣法を指します。兼ねてからこの釣りに興味を持ち、そしてそれを目指して来た僕ですので、昨年天野氏の門戸を叩きました。そしてその凄さに感動し、今年も僕らの会の会員の小次郎氏と共に行って来ました。目の前で繰り広げられる荘厳とも感じられる釣技に二人は感動の渦に飲み込まれていました。彼の釣りはフライ・フィッシングやテンカラのように「natural drift」させるのではなく「natural live insect」。要は毛鉤を操ってまるで生きた昆虫のように見せかけて魚を騙して釣るのです。よって釣り人の毛鉤操作の上手・下手がモロに釣果として現れます。だから面白いのです。誰がやっても釣れてしまう釣りは面白さがありません。
 僕も改めててんからに精進してみたい気持ちになりました。

心変わり・・・第四回犀川弧月釣り大会への参加

2017年10月10日 21時03分07秒 | 渓流釣り
今月の22日に長野で第四回犀川弧月釣り大会が開催されます。
http://teruzo.extrem.ne.jp/kogetu/taikaiyoukou2.htm
当方、これに参加する予定です。

 本来、釣りは魚との勝負であって、人と勝負するものではありません。ですからこういう大会とかトーナメントと言われるものにはまったく興味を示さない僕です。このスタンスはずっと変わらないのですが、じゃーなぜ今回は参加するのか?これは7月にこの世を去った渓流釣りのカリスマ、細山長司氏が我が家に遊びに来てくれた時に誘われたからです。彼とは40年来のお付き合いでしたから、僕がこのテの事が嫌いなのは充分に認識していました。そして彼自身も僕の意見に賛同していました。そのようなベースがあっての上でのお誘いでしたから何かあると感じていました。そしてそれを尋ねると、「大会主旨がいいですから。だから僕も大会役員を引き受けたのです。とにかく初めての開催ですから正直良く解らないのですが、もし成功すれば素晴らしい大会になると思います。とにかく一度参加してみて下さい。』とのことでした。
 そして第一回の犀川弧月釣り大会に参加しました。結果は惨敗。というより僕の中では参加することに意義があって勝つことは意味を持たないのですから誰か他の人に勝っていただいた方が望むところなのです。ちなみに当会会員も数名が参加したのですが、全員惨敗(エントリーは50㎝以上の魚のみ)。大会が終わってから53㎝が釣れましたが・・・こんなモンです。帰路に友達に『何か他の大会と変わった事ってあった?』と尋ねてみたのですが、みんな???。当会の仲間も僕と同じで大会とかトーナメントが大嫌いな人たちですので、そもそも他の大会との違いを聞いたって、他の大会に参加していないのですから解るはずがありません。細山さんが僕を誘った真意は何処にあるのでしょう?
 その後、母が高齢で大変になり、僕の人生の1/4を共にした犬までも高齢で立てなくなってしまって。。。介護の日々となり、釣りさえも行けない状況が続いたため大会に参加できませんでした。というより一日掛けての釣りは不可能になってしまったのです。そしてそういう生活を続けること二年半。とうとう今年の春に二人とも旅立って行きました。これで釣りに行けるようになったかというと、家族がみんな凹んでしまって、今度は家族の面倒を看る必要が出てしまいました。そして努力の甲斐があって徐々に普通を取り戻して来た家族に胸を撫で下ろしていました。本来なら僕が一番凹まなくてはならないのですが、みんなの落ち込み様を見ていると、とても落ち込んでなんかいられない状況で、だからこそ僕は凹まないで頑張ることが出来ました。しかしそれもここまで。やっと家族が普通を取り戻してきて「僕もそろそろ落ち込まなくちゃ」などと冗談を言っていた矢先、釣り仲間の細山氏が突然この世を去ったのです。ダブルパンチだけでもしんどかったのですが、このダメ押しのようなトリプルパンチには流石に耐えられず、精神的に少しおかしくなってしまいました。彼とは彼が他界する4日前にもお会いしてお話をしました。その時は二度目の肺炎を起こして喋るのがきつそうでしたが、それでもあのニコニコした顔で応えてくれ、奥様も献身的な介護に満足していると。そして釣りの約束までもしました。ですからここで逝くなんて微塵にも考えていなかったのです。その4日後、奥様から突然彼の訃報を告げられ、頭が真っ白になってしまいました。そして僕の心が音を立てて壊れて行くような感じがしました。いままでの人生では釣りさえあればどんな辛い時でも乗り越えらた僕です。しかし、今回は釣りに行くと細山氏が心に出て来て、釣りをしている事自体がとても辛いくなってしまったのです。釣りができない僕は、要は八方塞がりに陥ってしまったのです。何もする気が起こらず、ただ悶々とした日々を単調に過ごしているだけの人生。とてもつまらない人生になってしまいました。そこで、細山氏とあまり関係のないソウギョ釣りに走ったのです。とりわけソウギョが掛かって上げるまでの時間は至福の時でした。相手が大きいのでちょっとしたミスで糸が切れてしまいます。慎重に、しかしある時は大胆に、そして繊細に事を進めなければなりません。こんな中で細山氏の事や家族の事を考える事は不可能です。要は総てを忘れさせてもらえる唯一の時間なのです。渓流は流石に無理を感じて行く気が起きませんでしたが、ソウギョ釣りにわずかな光が見えた気がしていました。
 そんなある日、封書が届きました。この大会への参加依頼です。細山氏の事で上記のように苦しんで、精神的におかしくなっていた時ですから、この封書はまるでアテツケのように感じてしまいました。ですから参加はしないと決めていました。その後、突然沈み込んだりする妻を元気付けようと新潟の片貝の花火を見に行った時、妻が「行くの?」って聞いてきたので『行かない』と応えました。すると「どうして?」って。訳を話したら・・・「パパが大会嫌いなのを知っている細山さんがパパに来て欲しいと言ったのは細山さんに何かしらの考えがあっての事だと思います。そしてそれは彼亡き今も変わらないと思います。落ち着いてよく考えてから結論を出せば?」と言われてハッと我に返りました。そして妻が言う事に賛同し、釣りしていて辛いのは解っているのですが、それでもとにかく参加しようと考えました。
 そして時は過ぎ、9月末日が迫って来ました。この日はほとんどの渓流が禁漁期に突入する日なのです。そこで、一大決心をして再び渓流に身を委ねてみました。するとやはり出て来る出て来る細山さん。頭の中は細山さんだらけ。あそこをこう流してたナとか、あそこに立って釣ってたなとか。。。そういう一つ一つの想い出が僕を苦しめるのです。しかしこの時、一匹のヤマメがその悲しみを払拭してくれたのです。そのヤマメは釣れれば自己記録更新サイズの大ヤマメでした。結局切られてしまったのですが、まるでソウギョが掛かった時のようにすっかり他の事を忘れての攻防でした。釣れなかったのはざんねんですが、この釣りを終えた後の爽快感は、以前何の不自由もなく釣っていた頃の、釣りを終えた時にいつも感じていた感覚そのもの。僕の心が彼から少しだけ離れられた証です。その後僕の事を心配してきてくれた当会会員の小次郎さん、そしてその後あった駒彫り師でやはり当会会員のヘラおじさんとお話して完全復帰を確信しました。とても清々しい気持ちです。その後夕方のひと時も竿を出したのですが、とても気持ちの良い釣りをすることが出来ました。これも、何となくではありますが細山さんが大会を楽しむために仕組んだ出来事のようにも感じられました。
 そして先週、大会の舞台になる犀川に行って川を見て来ました。しかし小さなニジマスが4匹釣れただけだったので何の知見も得られないまま帰宅しました。
 今回は大会に向けて最後のテスト釣行です。犀川ではありませんが、昔から大物が多い川で、偶然にも先にも出てきたヘラおじさんが所属する駒の会の展示会が催されるので行く予定でいました。これなら朝夕のひと時はテストできると思って行って参りました。朝一から大物に恵まれ、60cmオーバーのニジマスを筆頭に40㎝台がほとんどでしたが40匹くらい釣ることが出来ました。久し振りの大釣りです。沢山の知見を得られ、色々な記憶が蘇って来ました。
 二年半のブランクはそう簡単には埋まりません。大会で勝てるなどとは微塵にも考えていません。でも、これが細山さんの意なのです。人と勝負する気はまったくありません。でも大物がいるという川で、たとえ釣れなくても期待に胸を膨らませながら竿を振るのもまた良し。そんな感じで参加して来ようと思っています。
 今回は会員のコバちゃんがお付き合いしてくれます。ありがたいことです。とりあえず出来る限りのことをして楽しんで来ようと思っています。

キラキラ

2017年07月21日 21時06分30秒 | 渓流釣り
まだ釣りに行く気が起こらない管理人です。
こんな時に限って梅雨明けですって。

今年は天野てんからを習ったので、その技術向上を図っていくはずですが、釣りをする気が起こらなくなってしまったので、自分の中で作った目標にはほど遠い状態です。

 が、色々とやってはいます。今日はてんからで使う糸を作ってました。糸の太さを変えて総て4本撚りで段継ぎにして作ります。簡単な事なのですが、自分に合った糸を作るにはそれぞれの段をどのくらいにするのか?を考えると無限通りの繋ぎ方があるのですから大変ですが、出来上がった時の喜びは大きいです。

 昨日作ったヨリ糸、強い光を当てるとキラキラしててダイヤモンドを繋げたみたい。・・・この糸を振るのが楽しみです。そして釣果も輝いてくれたら・・・。

発言の訂正

2017年07月14日 22時46分15秒 | 渓流釣り
いままで僕はてんからに使う毛鉤に限っては何でもいい。でも、毛が付いていないと毛鉤とは言えないので毛やそれに相当する羽などを付ける必要はある。・・・こんな考え方をしていたのです。しかし、ここに来てちょっと考え方が変わってきています。出に対しては誘いが大切なので今まで通り毛鉤にはあまり関係ない(テンカラやフライ・フィッシングではあることは解っています)と思うのですが、掛かりに関しては毛鉤の形状がかなり影響していると思えて来ているのです。
 魚が毛鉤に対してどちらから食ってくるか?そしてそれを考慮した場合、毛鉤の形およびマテリアル系はどのような物がいいのか?それらを考慮した場合、どんな毛鉤にどんな誘いを入れたら良いのか?は自ずと決まってくるはずです。
 今は画像のような、いわゆる逆さ毛鉤の釣りに凝っていますが、アイを「i」にすることによってかなりバラシが減りました。

 まだまだ解らない事だらけですが、こんな感触を持ちはじめています。てんからは一年生と心に決め、固定概念を捨てて新たに逆さ毛鉤の釣りを始めたことにより新たな知見がチラホラと見え始めています。
 『毛鉤は羽が付いてりゃいい』と言ってきたことを撤回します。何でもよくはないです。

『心』を頂く

2017年07月11日 14時34分40秒 | 渓流釣り
 『心』と言う事葉はよく使われる単語ですが、“『心』とは何ぞや?”と問われても、それに対して僕は正確には答えられません。人そのものというか。。。人の本質というか。。。人間味というか。。。いずれにしても「何かを思う気持ち」なのかもしれません。漠然とは解っていても正確に言葉にするのはとても難しい言葉です。
 こんなはっきりしない抽象的な言葉ですが、とても大切な言葉であることに異論はないと思います。それは自分に関する総ての関係の源はこの『心』に発していると思われるからです。
 ちなみに、昨今の自民党の支持率の下落も、自民党にこの『(国民に対する)心』が見えないことを各々の国民が感じているのではないでしょうか。もっともああいう不誠実な党員が集まっている集団ですから、そうでなくとも行く末は見えています。


 愛も心に起因する感情だと思います。人を好きになったりすることもしかり。飼っている犬に対する愛情や、親に対する愛情も、はたまた友達に対する愛情も、みんなこの『心』に起因していると思います。

 先日(2017年7月5日)、釣りを通じての旧友が他界しました。彼は誰もが羨むほどの強靭な肉体を持っていました。しかし、白血病を患ったあとに肺炎を併発したりしていました。肺炎は一度乗り越えたのですが、その後に再燃。しかし当の本人も経験済みの事ですから治ると信じていました。そんな中、突然心不全を起こしてしまったようです。奥様の話では全然苦しまなかったとの事ですのでそれが唯一の救いであります。でも、もう彼と話す事も意見を交わす事もあり得なくなってしまったのです。今年の僕は最悪で、今年の2月に愛犬が旅立ち、それを追うように翌月に母も他界。ダブルパンチの僕ですのでなかなか『心』の整理ができずにいました。しかし、時間が経過する連れて心が平常に戻り始めていた矢先の出来事でした。彼が僕をどう思ってくれていたのかは知る由もありませんが、友達関係であった事だけは間違いない事実です。彼からは沢山の幸せを頂きましたし、僕も彼に出来る総てのことをして来たつもりでいます。つまり『心』と『心』がつながっている状態が何十年も続けられてきたのです。これを友と言わなかったら何なのでしょう?事実彼は僕を友と言ってくれていましたし、僕の『心』は彼を「友」以上の存在の「親友」と位置付けしていました。そんな彼の突然の死、そしてその前から引きずっている母と愛犬の死。結果、頭の中がボーっとしてしまって、脳がオーバーレブしてしまった感じです。
 少しでも早く元に戻らないとと、なるべく考えないようにしています。でも、今の僕に考えるなと言われても無理なのです。『心』が壊れると体も壊れて来ます。僕の場合、『心』に一番効くのは釣りなのですが、それが今回は無理なのです。彼は釣り友ですから。しかも釣りをする気にもなれないです。心身共にかなりきつい状況となってしまいました。
 そんな中、また他の知り合いから突然お肉が届きました。それも牛とか豚ではなく熊の肉です。熊肉は体を暖め、滋養強壮に効き、肌をスベスベにすると言われています。今までも何度か熊の肉は食べたことがありますが、時々匂いがきつい事もあります。しかし今回頂いた熊肉にはほとんど匂いはなく(僅かに熊の匂いがしていました)、とても美味しいお肉でした。きっと熊の肉の中でも食べやすいいい部分だけを送ってくれたのではないかと思っています。その肉は美味しさはもとより、彼の『心』の味がしました。彼は僕の『心』を気遣ってくれたのだと思います。まだそれほどお付き合いはないので、まだ友達とも呼べるほどのレベルに達している間柄ではありませんが、こうして彼が僕に『心』を使ってくれたことに僕の『心』が共鳴し、また活動を始めたように感じています。そして今はつらいですが、頑張らなくちゃと思えるようになってきました。流石にしばらく釣りに行くことはないでしょうが、頑張ろうと思えるようになっただけ進歩しました。
 彼の『心』は間違いなく僕の『心』の滋養となりました。ありがたいことです。そしてまた素晴らしい友が出来そうで、こんな辛い中でもひとすじの光を感じております。
 天野さん、『心』をありがとう!

「i」毛鉤再び

2017年06月09日 22時53分45秒 | 渓流釣り
先回、「i」毛鉤にの性能ついて書きました。
そしてまた「i」毛鉤についてです。
「i」毛鉤の性能は、誘い釣りでテンションが抜けた時の毛鉤の姿勢がいい事が重要です。そのためには蓑毛(ハックル)がロート状を保っている方がいいです。ただ、少々ロート状形態が崩れても重心のアンバランス、及び沈んで行く時の各部の水の抵抗のアンバランスが保たれていれば問題はありません。毛鉤は何度も何度も打ち返すので、水の抵抗や空気の抵抗でだんだんとロート状形態が崩れてしまいます。とはいうものの、逆さ毛鉤はその性能を100%発揮するために、やはりロート状形態を保ちたいものです。そこで今回は蓑毛の根元をしっかりと糸で巻いて糸と糸で挟み込む様にしました。これでより頑丈な毛鉤になるのではないかと思います。
 尚、今までは京都西陣の刺繍絹糸を使っていたのですが、それがもう売られていなくなったので、今回はヤフ○クで購入した新たな絹糸で巻いています。絹糸にこだわるのは、輝きが良いとかも言われますが、僕は見た目よりも丈夫さと結び目の解けなさです。今回買ったこの糸はとてもいい糸で、巻いていくとヨリが解けていい具合に巻けます。僕にもっと毛鉤を巻く技術があればきっと素晴らしい毛鉤ができるのでしょうが、僕の拙い技術ではこんな程度でいっぱいいっぱいです。でも、毛鉤は綺麗に作る必要は感じていません(だから上手くならないのですが)。綺麗さよりも釣っている時にいい姿勢を保つ事が第一、そして第二に頑丈さを求めるだけです。綺麗or汚いは人が見ての話で、我々が汚いと思っている物でも魚から見たらとんでもなく美味しそうなご馳走に見えるかもしれません。そんな毛鉤で美しいヤマメが釣れた時にはもう最高の幸せを感じてしまう僕です。

あぁ、早く使ってみたいな、この毛鉤。

eyeとi

2017年06月02日 20時29分50秒 | 渓流釣り
天野氏のてんからを見せていただいて沢山のヒントを得ました。そしてその一つに毛鉤のアイがあります。
アイとはeye、つまり目で、毛鉤をハリスに取り付ける輪っかのことです。
今まではハリスへ接続する道具と思っていましたが、あの日からその考えが変わりました。
特に逆さ毛鉤の場合はこれにとても意味があるのです。環付きの鈎を使うのなんて最悪。考えられません。
そこでその機能を100%近く引き出すために、形態を輪ではなくただの糸にしました。
これで掛かりが良くなるはずですので、アワセミスやバラシが激減するはずです。
てんから、もしくはテンカラをされている方なら当然このことは解ると思いますが、一応念のために申しますと、テンカラではまったく意味を持ちませんのでテンカラをやられている方はこんなことはしないでも良いと思います。慣れている方法が一番いいです。しかしてんからをなさる諸氏でアワセが上手く行かないとかバラシが多いと感じられる時にはお奨めです。

 結びコブがあるのでその形は丁度アルファベットの「i」に似ていますので、『eye』と呼ばず『i』と呼びます(同じか?)
 問題はこれでハリスをどういうふうにつなげるか?です。特に逆さ毛鉤はハリスを結ぶ時に蓑毛(ハックル)が一緒に結ばれちゃったりしますので、何か簡単でしかも強いよい方法を考え出さなければなりません。

 今後、呼び名の発音が一緒なので混乱するかもしれませんが、もしそんな時には何か考えなくてはならないでしょう。

毛鉤 Part.Ⅱ

2017年04月18日 21時59分21秒 | 渓流釣り
 下記で久し振りに毛鉤を巻いたことを書きましたが、そのクオリティーの低さに自分自身がビックリしました(笑。
 勿論てんからは毛鉤ではなく誘いが重要なので下の毛鉤でもいいのですが、ちゃんと巻ける技術がある人が巻いた雑な毛鉤と、ちゃんと巻けない人が巻いた毛鉤では見た目はあまり変わらないとしても釣っている時の気分が違います。
 で、練習も兼ねてまたマキマキしてみました。昔よく使っていた逆さ毛鉤とここ数年のお気に入りのサカサマ毛鉤です。

 少しだけクオリティーが上がったと思いませんか?・・・えっ? たいして変わらないって(悲。
  ・・・・・いいんです、いいんです。使うのは僕ですから。

 で、フと思いつきました。動かして初めて効果を出す毛鉤しかないことに。逆さ毛鉤はクイックイッと動かして誘うことが多いです。そして喰いの間はそのクイッとクイッの間であることが多いです。サカサマ毛鉤は適当に滅茶苦茶に動かしまくるのでどこで喰って来るかは未知です。一応この辺で喰って来るのではないかと予測を立ててはいるのですが、そこで喰ってくる事はとても少ないのが現実です。下手な証拠ですね。
 いずれにしても毛鉤をいま流行りのナチュラルドリフトに流して釣るのではなく、自分の手で水流に任せないで自然の虫に似せた不自然な動きを与えて釣るのが好きなのです。特にサカサマ毛鉤はただ浮かして流していたのでは、誰が(含 魚)見てもただのゴミです。食いつくはずがありません。しかし、竿の操作によって動かす事により毛鉤に命を吹き込み魚に餌の虫だと勘違いさせて喰わせる毛鉤です。釣れた時の釣った感は半端じゃないです。釣れる釣れないは二の次になってしまう毛鉤なのです。巻くのも楽だし釣っても面白い毛鉤だから大好きです。

 渓流が解禁となって一ヶ月あまりが経っていますが、まだ渓流には二回しか行っていません。まだ盛期ではないからなのですが、その二回で釣りがチョー下手になっていることに気が付いています。長期休暇を取っていたのですから仕方がありません。初心に帰ったつもりで、まずは以前のような竿の扱いが出来るよう練習をするところから入ります。そんな時にはうってつけの毛鉤だと思います。
 勿論餌釣りもしますので、そちらも初心者レベルに落ちてしまったので今年は新たに0からのスタートを切ります。こんな状態ですから皆様のご期待に沿えるようなつりは出来ないかもしれませんが、これから徐々に改良を加えて自分の釣りを構築して行きますので、いいのが釣れるようになるまで首を長くしてお待ち下さい。
 また0からのスタートは面倒臭い気もあるのですが、下手になってしまったのですから仕方がありません。しかも渓流釣りの素晴らしさは体が覚えてしまっているので辞めることは考えられません。これから新緑の時期になります。この時期の山はとても綺麗です。そんな自然の中に身を委ねて一日を過ごす快感はこの釣りをやられている人しか味わう事ができない至福の時です。釣れなくても楽しいです。そして釣れたらもっと楽しいです。ゴミのような毛鉤で美しい渓魚が釣れたらもっと素敵です。

 機会があったら是非皆様もやってみてください。心がすっきりしますよ!