夢のあと

釣りには夢があります。夢を釣っていると言っても過言ではありません。よって、ここに掲載する総ては僕の夢のあとです。

豊洲移転について

2016年09月19日 14時04分28秒 | 社会
盛り土が成されるべきところをコンクリの箱にして空洞化した問題で、各メディアはその責任を追究していますが、まったく追求する意思が感じられません。もしそういう気持ちが本当にあるなら、施行業者に誰(もしくは組織)からの指示でそのような施行をしたのか正せば責任どころはすぐに判明するのにまったくやられていません。要は最終的にその施行でOKという印鑑をついた人(契約を交わした相手)に責任があるのです。勿論それを統括していた同時の都知事にも責任はありますからその両名で責任を取るべきです。
 しかしながらそんなのどうでもいいことです。一番の問題はこういうチェックが効かない組織に都政を任せていて良いのか?ということです。行政がやっていることを一つ一つチェックして確認するのが議員の仕事だと考えます。いままで視察した議員たちは何も考えずにいたわけです。というより、知らなかったフリをしていた方が儲かったのかもしれません。そしてそういう議員たちを選んだ都民が一番の原因です。
 これから豊洲を白紙撤回なんて話も出ています。僕はそれが一番いいのではないかと思っています。何故かと言えば問題箇所は建物の基礎にあたる部分ですから、その部分の構造が違っているのであれば空洞化以外にも何かしら(見えない部分にも)欠陥があることが予想され、食の安全に確証が持てないからです。例えばベンゼンは国の環境基準以下で問題はなかったということですが、そもそもベンゼンは非水溶性ですから水質検査ではあまり検出されなくて当たり前です。それより問題なのがヒ素。和歌山毒物カレー事件で林真須美がこのヒ素をカレーに入れたとされ、4人が死亡67人が腹痛や吐き気などを訴えたの事件。皆様もご存知だと思われます。もっともこのような高濃度で起こす急性中毒症状はヒ素は低濃度でも人体に蓄積されていくとのことです。ただしヒ素といっても自然界には様々な形で存在しており、Wikipediaによると『報告されているヒ素中毒のほとんどは、純粋なヒ素ではなくヒ素酸化物が原因である。特に純粋なヒ素とは桁違いに毒性の強い三酸化二ヒ素(亜ヒ酸)や砒化水素による中毒が多い。なお、(水銀と対照的に)一般に無機ヒ素化合物より有機ヒ素化合物の方が毒性が低い。さらに、3価のヒ素化合物より5価のヒ素化合物の方が毒性が低い傾向にある。』とのこと。今回検出されたヒ素がどんなヒ素なのかの発表はないので、これで大丈夫だとかダメだとかの判断は出来ません。今回検出されたヒ素が三酸化二ヒ素(亜ヒ酸)や砒化水素でないことを祈るばかりです。
 ちょっと話が逸れてしまいましたので元に戻します。お金の話です。東京都の試算によると、豊洲市場は稼働しなくても空調や警備などで1日当たり約700万円の維持費がかかるそうです(この金額もあてになりません。過去からの習性でしょうか?ボッている可能性が高いです)。そしてこれからこの豊洲の市場をどのように安全を確保するのか?白紙撤回を含めて莫大な費用が掛かる事は間違いありません。例えば今と同じ建物を、しっかり盛り土にして作り直すのであれば、ただ作るのではなくて現在の建物や問題となっているコンクリの箱を取り壊す費用とそれを運搬して廃棄する費用、そして盛り土をする費用が上乗せされます。これはもう僕らでは想像すら出来ない費用になります。しかし日本の台所とまで言われる市場ですから、どんなにお金が掛かろうと、確実な安全宣言が出来るようにすることは必須です。
 東京都民の方々には申し訳ございませんが、そのようになってしまったのはあなた方が投じた一票の結果なのですから、その責任をとるのは当然であるようにも思えてしまいます。残念ですが、その莫大に掛かるだろう費用は当時の責任者二人(都知事と建築業者にOKを出した人)の全財産を出してもらい、それでも全然足りないでしょうからそれはそういう人(都議、都知事)を選挙で押した都民、つまりは都税でまかなうしかないように思えます。
 今回の事件は、都議選や知事選でいい加減な投票をすることの危険性が顕著に現われた事件であることがもっとも重要な部分だと思えてなりません。

NHKの受信料は払いたくない

2016年09月14日 00時37分47秒 | 社会
NHK、ネット配信でも受信料」 経営委員長が方針
                       朝日新聞デジタル 9月13日(火)22時55分配信

 NHKの石原進経営委員長は13日、将来的にテレビ放送をインターネットで同時に見られるようにする方針を示し、「公共放送を維持していくためには、ネット配信であっても何らかの受信料をいただく必要がある」と述べた。実現すれば、放送を受信できない世帯からも受信料を徴収することになる。

 経営委員会後の会見で述べた。同時送信を始める時期は明らかにしなかった。NHKは、現段階で番組のネット同時送信に試験的に取り組んでいる。災害時などに報道番組を同時送信しているほか、2015年からはスポーツなど一般の番組の一部を同時送信して、技術面の課題や視聴者の反応を調べている。

 放送法では、受信契約を結ぶ義務があるのは「受信設備を設置した者」となっている。ネット送信は放送ではなく通信にあたるため、NHKがネットのみで番組を見る人から受信料を取るには法改正が必要になる。総務省幹部は「ネット同時送信は世界の流れ。負担の公平性を考えれば、ネット利用者にも一定の負担を求めるべきだ」と将来的な法改正に肯定的だ。(上栗崇)



皆さんが家族でレストランに行って、家族は各自好きなものを頼んで自分はお腹が空いていないので何も食べなかったとします。で、会計の時、頼んでもいない自分の食事料が取られていたら・・・詐欺でしょ。

 上記の記事を読むと、総務省幹部は「ネット同時送信は世界の流れ」だとまで判っているようだが、それどころではなく、すでにNHKの必要性がない時代に流れている事までは解っていないらしい。
 もし上記のような徴収の仕方をするのであれば、その前に協会の放送を受信することのできない(NHKを受信できない)テレビをはじめ、スマホやPCなどの機器を発売してからにするべきだと思うのは僕だけではないはず。

 私的に、NHKは国会中継をはじめ、首相や政府、そして世界の動向など、国民の総てに影響を及ぼすような番組内容に特化し、芸能やスポーツなどの娯楽的な番組は自粛して民間に任せるのが本来の形だと思います。そしてもしそういう放送(NHKを)を見たい人はNHKを受信できる機器を購入し、受信料を納めればよいのではないでしょうか?
 見もしないNHKを受信してしまう機器しか売られていない現在、これで受信料を徴収するのであればレストランで頼んでもいない食事を請求されるのと同じことです。
 暴利をむさぼるとはまさにこのこと。こういうことを言う時代遅れで高飛車な総務省幹部がいるから我々は受信料や税金を払いたくないと思ってしまうのです。

間もなく訪れるその時を想う

2016年09月07日 15時50分52秒 | その他
ヤツの後足が利かなくなって早1年半。この間の僕は大好きな釣りも自粛してヤツの後足になって生活しています。そんな我が家のワンコが先月の25日に満15歳を迎えました。・・・パチパチパチパチ!  その夜はお誕生日を祝ってヤツが大好きなマグロの赤身を少々多めに。
 黒のラブラドール・レトリバー。といっても、もう白髪だらけで黒とは程遠い感じ。お医者さんの話では「だいたい人間の年齢に換算すると100歳」なのだとか。後足が立たなくなってしまっていますが、それでも100歳ともなれば致し方ないようにも思えてしまいます。毎日何度も外に連れ出して用を足させるのも、最初は苦痛(特に夜中)でしたが今では日課と化して、大変だとかそういうことは超越してしまいました。それどころかハーネスに助けられながらも一生懸命に歩こうとしているヤツの姿に逆に勇気付けられる日々となっています。幸いにも食欲は旺盛、排便・排尿も実に正常。足以外にはほとんど異常はないようです。
 そんな我が家のワンコですが、先月の27日から急に前足も立たなくなり、ハーネスを使ってもただぶる下がっているだけになってしまいました。要は介助してもまったく立つ事が出来なくなってしまったのです。いわゆる“寝たきり”です。「犬は歩けなくなると早いよ」って聞いているのでかなり心配です。実際、毎日ただボーっと焦点が合わないような瞳で空中を眺めているだけになってしまっています(画像)。なんか悲しいです。今僕がそう感じているのは以前のようなアイコンタクトがなくなってしまったのでこちらが寂しいだけなのかもしれません。それでも喉が乾いたりお腹が空けばフンフン言って知らせますし、用が足したい時は「ワン」って吼えます。こんな状態ですからいずれにしてもその時は近い将来訪れるでしょう。その時はどんなふうになるのか?想像も出来ません。ただ、痛い・苦しいがない事を祈るだけです。
 一般的に、そのような状態になった時はお医者さんに連れて行くのでしょう。でもすでにお医者さんからは「もう立てるようにはならない」と告げられているので、もし一時立てるようになったとしてもこの歳だとまた同じことを繰り返してしまうように思えてならないのです。要は何度も苦しみを味合わせてしまうように思えてならないのです。そのくらいならいっそお医者さんには連れて行かないで、僕がその最後の時にヤツをしっかり抱きしめた状態で迎えたいのです。
 ついこないだまでの奴は外に行って返って来る時、階段を登り終えると(実際には僕が吊るし上げていてヤツはほとんど力を使っていないのに)一旦振り返り、踊り場から階下を見下ろして「どうだ」って顔して威張っていました。その時の目の輝き・・・。そしてご飯を食べている時の幸せそうな顔。そして時々出されるマグロの赤身を食べている時のウットリした顔。そのどれもこれもがみんなヤツの至福の時なのです。ところが27日からはそのような表情や嬉々とした眼差しがすっかり消えてしまいました。いつかこうなるだろうと想像はしていましたが、徐々にそうなるのかと思っていた僕にとってはあまりの急さに少々驚いています。まさにあの日のあの時をもって表情が一変してしまったのです。加えて自分のことが何もできなくなってしまったことのショックか?夜鳴きが始まり(いままで一度としてなかったのに)、1時間くらい寝て目を覚まし、鳴いて・・・僕が目を覚まして添い寝して全身を撫でて鎮め。何の要求であることが判ったときにはそれを満たして上げて落ち着かせ。そしてまた寝て1時間くらいするとまた目を覚まして鳴いて・・・を繰り返しています。僕も毎日完全な寝不足。1分も体を動かさずに居るとどこでも居眠りをしてしまいます。頭痛も酷く、脳が破裂して飛び出してしまうような日々です。立ち眩みも多くなり、寝起きに必ず起こりますので動き出すまで少々時間が掛かってしまいます。もっともこんな状態ですから、僕自身も寸暇を惜しんで寝ているわけで、そのトータルでみれば1日あたりの睡眠時間はある程度は取れています。とはいえ朝昼の区別はなく、長時間一気に眠れることはなく、不定期で短時間の睡眠だけでは体調が崩れても仕方がないことです。とはいうものの、こちらが病気になってしまったら介護できなくなってしまうので注意しなくてはならないことも事実。でも、だからといって介護の手を抜いたり休んだりする事もできない。そんなジレンマの狭間でも“介護ってこういう事なんだ”と改めて感じています。


 15年の月日は長く思えますが私的には短く感じています。こないだまで子犬だったのに、もう今は撫でて上げても反応がないくらいになってしまっていて・・・まるで生ける屍。ただ毎日、食べて、飲んで、用を足して寝る・・・それだけ。自分では何もできなくなってしまったので、何か要求があるとフンフン鳴いて、でもしゃべることは出来ませんからこちらは何を要求されているのか?が判らない。で、要求の的に合わないときっとまどろっこしくなるのでしょう。フンフンではなく大きな声でワンっ!って。我が家のワンコはド太い声なので夜中にこれをやられると近所迷惑です。ですからそうならないように、思いついた事を片っ端からやってみるしかありません。要は要求に応えるのにとても時間が掛かってしまうのです。その間、ワンコはイライラするでしょうし、苦痛を感じていることだってあるかもしれません。僕が仕事に出ているときも、足がまともな頃は喉が渇けば自分で水を飲みに行けたわけですが、今では僕が帰るまでどんなに喉が渇いても我慢することしか出来ないのです。幸い職場は同じ敷地内なので合い間にちょくちょく見に行くのですが、それでも時々は職場までワンッと聞こえることもあります。喉が渇いたとかお腹が空いたとか、そのくらいなら良いのですが(ホントは良くない)、背中が痛いとか(背骨が曲がっているのでそういう時もあるらしく、背中をさすっていると鳴き止んで静かになることも多々あります)、そういう時はかなりの時間苦痛と不安を持ったまま過ごしている事になります。こんな感じで過ごす毎日ですから、客観的に見ても本人(本犬?)はもうほとんど幸せを感じていないように思えてしまいます。こんなことで生かしておくのは・・・どうなんでしょ。幸せが感じられなくなったら・・・そして、思い通りにならない不安と痛み、そして自分の体が思い通りにならなくなってしまった落胆と共に生きているだけだったら・・・。
 もう100歳を超えているのだから延命治療は避けて、でも痛いとか苦しいとかそういう不快は出来るだけ感じさせないで(これはあくまでも希望)、この犬が最期を迎える時は僕の腕の中で終わらせて上げたいと思っています。これは僕自身、その時はそうして欲しいと思っているからです。でもこれは僕のエゴなのかもしれません。
 間もなく来るだろうXデー。僕はその時どう思い、どう行動して送って上げられるのか?その時この犬に“この人に飼われて良かった”と思ってもらえるのか?アイコンタクトが出来なくなった今、それを知る術をもなくした僕。でも、そう思ってくれるかどうか?なんて判らなくてもいいようにも思えています。ただ、この犬が来るべき最期の時ににそう思ってくれることを願って、わずかに残るヤツの命の灯火を僕のできる限りの応援で燃やし尽くしてもらえればいい。だから今考えられる出来る最大限のことはして上げたい。たったそれだけのこと。