夢のあと

釣りには夢があります。夢を釣っていると言っても過言ではありません。よって、ここに掲載する総ては僕の夢のあとです。

今シーズン最後の渓流釣り

2014年09月29日 08時00分23秒 | 渓流釣り
今シーズン最後の渓流釣りに行って来ました。
 当初、今年最後は先日見つけた巨大ヤマメに逢いに行こうと思っていたのですが、先日行った時も見えなかったし、当日は僕らの会の会員が狙いたいとのことでしたので、僕は他の川に行きました。
 大アマゴで有名だったこの渓も、現在はニジマスばかりで思っているような釣りが出来ません。漁協の営利主義的放流には本当に憤りを感じます。

 相変わらずニジマスが釣れて来ます。中には64㎝なんていうもの居てそれなりに引いてくれるのですが、掛けた時から判ってしまうので釣れても感動の「か」の字もありません。それどころか、上記のような腹立たしさが残るだけです。そもそも大アマゴで有名だったこの渓なのですからこんな放流方法(価格の安いニジマスを大量に放流すること)はやめて、同じ仕入れ額で購入できるだけの在来種のアマゴを放流してもらいたいものです。大型の綺麗なアマゴに竿を絞られたら誰だってその川に通うに決まってます。そうすれば釣り人が宿に泊まったり食事をしたりするのですから地域活性につながることは確実です。

 そんな渓ですから何匹も何匹もニジマスを釣ると、稀にアマゴが釣れて来ます。今回はこんなアマゴが釣れてくれました。朱点が朱ではなくオレンジっていうか鉄錆色で毒々しいアマゴです。
 僕が住んでいるのは関東ですのでアマゴ圏ではありません。で、アマゴは見たことがありませんでした。一度アマゴってやつを見てみたくて行った時、初めて釣ったアマゴがこんな感じのアマゴでした。今となってはなんとも思わないアマゴですが、当時の僕は触ることさえ躊躇われてしまいました。病気のヤマメが釣れたと思えたのです。薄気味悪くてしばらく吊るしておいたのですが、勇気を出して大急ぎで鈎を外してリリース(って言うより投げ捨てた感じ)しました。
 こんな思い出があるサビサビ色のアマゴ。尺丁度くらいのアマゴですが、側線下まで派手に朱点があって、ヒレにも黒点があって・・・ヒドイものです。こんな魚で今年の渓を締めくくった僕です。気分がいいはずがありません。

とはいうものの、まだ未練がましく禁漁まで日がある渓には行こうと思っています。

これが終わるとタナゴ釣りやヒラメ釣りにシフトして行く予定でいます。

巨大ヤマメ

2014年09月24日 20時25分35秒 | 渓流釣り
まさに怪物・・・そんなヤマメと遭遇してしまったので現在入れ込み中です(笑。
 下のスレにも書きましたが、ヤマメは差し物となると巨大化します。60㎝クラスも多々見受けられます。しかし差し物ではないヤマメ(下流に海や湖などのような広大なエリアがないエリアのヤマメ)ではそれほど大きくならず、尺(概ね30㎝)を超えれば‘尺物’と呼ばれて珍重されるくらいです。ところが、差し物だって基本的にはヤマメですから、ヤマメも環境が整えばそのくらいの大きさになるポテンシャルを持っているわけです。僕のヤマメの自己記録は51㎝ですが、知り合いは63㎝をも釣っています(共にサクラマスと差し物は除く)。そしてこの秋、自己記録をはるかに超えるヤマメと遭遇してしまったのです。
 どのくらいの怪物かというと画像の通りです。
 ここは本来なら鮎のエリアですから沢山の鮎が泳いでいます。先日、純草食性と言われる鮎ですが、魔が差したのかミミズを咥えてしまいました。概ね20㎝ほどでした。鮎は年魚(1年で生涯を終える魚)ですから、沢山の鮎は多少の違いはありますがほとんど同じくらいの大きさです。
で、その鮎が一緒に写った奴の写真です。ヤマメの背中の黒点やこの季節ですから鼻が曲がっているのも判ります。鮎の3倍くらいあるのが判って頂けるのではないかと思います。つまりは60㎝ほどのオスのヤマメです。

 これだけの巨体を維持するにはそれなりに餌を沢山摂らなければなりません。ですから餌を目の前に流せばすぐに食い付いてくるのではないかと思われがちです。たしかに一般論としてはそうなのですが、そういうヤマメはとっくに釣られてしまってここまで大きくはなれないのです。完全に人を見抜き、鈎を忍ばせた餌を判別して生き延びてきた魚です。ですから実に狡猾であり、奴に口を使わせるのに僕の技量ではとても足りません。で、一時は諦めていました。でも、こいつを見てしまってからは寝ても覚めても奴のことばかり考えていて、とてもこのまま見過ごすことはできなくなってしまいました。こんな大きなヤマメにこれから先出会えることなんてまずないでしょう。ここは自分の釣りを進化させるためにも何とか奴に口を使わせて今後の釣りに生かしたいと思い、それはもうありとあらゆる手段を講じました。そして、いまだに完全無視を続ける奴にもう成せる手段はなくなってしまいました。今月末をもって禁漁期になってしまいます。これで終わりでしょうか?あと2回チャンスがあるのでまだ諦めたわけではありませんが、心の底のほんの少しだけ諦めムードになってしまってます。

 奴の狡猾さは想像を遥かに超えていますので、孤軍奮闘はしてみますがきっと空回りになるでしょう。これだけの大きさになっているのですからもう奴も寿命だと思います。釣られなければ奴は今年で寿命を全うし、来年はもう会えないと思います。それでいいのかもしれませんが、やはりあと2回のチャンスは無駄にしたくないと思ってしまいます。

秋あまご

2014年09月15日 09時56分00秒 | 渓流釣り
秋。それは‘ヤマメ・イワナを釣りの対象とした釣り人’にとっては特別な季節です。
大物が釣れる確立が高い時期なのです。
特に大物狙いの釣り師たちが一年を通してもっともときめく季節です。‘あの場所に大ヤマメが入ったのではないか?’とか‘あの淵の大ヤマメは移動したのではないか’などと思案にふける日々を間近に迫った禁漁期が煽ります。
‘ヤマメ・イワナを釣りの対象とした釣り’、特に‘ヤマメをメインに狙う釣り’は大きく二つのカテゴリーに分けられます。山岳渓流に分け入ってヤマメを釣る、昔から『渓流釣り』と言われるタイプと、『本流釣り』と言われる里山から河口までをテリトリーとして大ヤマメを狙うタイプの釣りです。

“本流釣り”はまさに本流の大物を狙う釣りです。小さな支流よりスペース的にも充分で餌が豊富な本流は魚が大きく育ちやすい環境です。今は過剰放流の時代ですから、尚更本流に落ちて巨大化したヤマメが多くなり、ヤマメでも40㎝・50㎝時には60㎝をも超えることがあります。しかし、そのほとんどがパーマークは消え去り、尾ビレ回遊魚的な形に変化した、つまりはサクラマス的な魚体であることが多く、その魚体にヤマメの片鱗を探せと言われても、ほぼ見当たらなくなってしまいます。まるでヤマメとは別の魚のようです。こんな事から『ヤマメ』と『サクラマス』、同じ魚なのに別の名前が付いているのが私的にすんなりと受け止められてしまいます。


一方、支流に棲息圏をもつヤマメたちはサクラマス的な変化はしません。彼らは秋が迫ると産卵に向けて体を変化させます。オスは吻が尖り、俗に言われるハナマガリとなり凄みが出ることは一緒ですが、その他にも体色は紅が濃くなり、体表のヌメリも多くなる所為かパーマークが奥まって見えるようになります。・・・こんな魚を目の当たりにすると嵠師たちは秋を感じるのです。

 先日、大物狙いの会員から某河川の大アマゴを狙いたいとの意向があり、その案内役として同行させて頂きました。本流の大物は勿論ですが、この時期になると本流の大物が産卵のために支流に入ってくるので(このような魚は『差し物』と呼ばれます)釣りやすくなるのです。勿論、その本籍地は本流ですからヤマメと同様アマゴ(ヤマメの亜種)もパーマークは消え、サツキマス(アマゴの降海型)化した魚です。僕自身、過去にこの川の差し物を狙って釣行を重ねた時期がありました。釣技の低い僕ですから一日で何匹も釣れることはなく、釣れて一匹、でも釣れない日がほとんどという釣りです。でも、一匹でも釣れるとその感動は筆舌に尽くしがたい物があるので相当の日々をこの川で費やしたものでした。差し物狙いですから秋限定の釣りですので今時分が丁度その時なのです。
 現地について釣り服に着替えているとさやさやと流れる風は肌寒ささえ感じました。いいタイミングかもしれません。しかし、いざポイントに向かう僕の足にまだ温かさが残る水の流れを感じました。ここは僕が過去に一番実績を上げているポイントなので、同時に今日一番の本命ポイントなわけです。同行した彼に是非釣ってもらいたいので僕はカメラだけを手に向かったのですが、ポイントは昨年から今年の雨で砂利が入って小さくなってしまいました。合わせて底床も浅くなってしまっていました。もっとも、差し物はポイントの大小はあまり関係ないので、早速彼に竿を出してもらいました。しかし超小物の魚信があっただけで不発。まだ差し物の時期に入っていないことを理解しました。そこで、差してないのであれば本流に居るはずですので本流釣りに変更。僕が過去に実績を持つポイントを次々と移動しながら釣って行きました。彼の釣りに邪魔にならない規模の場所では僕も竿を出しました。ひとついいのを掛けましたが最近低迷している僕ですから案の定のバラシ。掛けた状況からして多分ニジマスでしたが、サイズ的にはまぁまぁだったように感じました。またある場所(ここは定員1名の狭いポイント)では同行した彼が化け物を掛けがのですが、これまた痛恨のバラシ。その後は彼に一通りのポイントを探ってもらったのですが残念な結果に終わりました。
 そしてまだ時間があるので最後に差し物は諦めて魚の顔を見に支流に入りました。この支流は綺麗なアマゴが釣れるので僕の一番のお気に入りの沢です。僕は彼の釣りを見たかったので一緒に釣ろうと思ったのですが、彼が『分かれて釣りたい』とのこと。きっと何か魂胆があるのでしょう(笑。小渓ながら過去に何匹も尺は釣っている沢ですのであなどれません。今年生まれのオチビちゃんに邪魔されながらもポツリポツリと釣れてきます。そしてそんな中で釣れた一匹が画像のアマゴです。ぴったり尺というなんともおめでたい魚ですが、秋色の魚体、そして顔。特筆すべきは側線下に朱点がないことです。勿論放流魚ですが、天然物を髣髴とさせるようなこの魚に出会えてとても嬉しく感じるとともに、渓に佇みながら『秋だなぁ・・・』と感慨にふけってしまいました。
 そんな彼らに出会える年に一度の季節。あと残りはわずかですから皆様も是非出かけてみてください。

忘れていた物

2014年09月03日 23時05分10秒 | 渓流釣り
渓流釣りはほぼ3年間餌釣りから離れててんからに傾倒していた僕ですが、ここのところ再び餌釣りもやるようになってきました。
 てんからはとても面白い釣りです。毛鉤を魚の居るレンジまで持っていくことはせず、魚の方をその気にさせ、水面近くまで魚を引き出して口を使わせて掛ける釣りです。ですから毛鉤操作によって釣果に雲泥の差が出る釣りです。よって毛鉤にはあまり頼らないので普通は一種類の毛鉤で総てをまかないます。とはいうものの、本当に総てがまかなえるか?と言えば・・・正直言って無理です。でも、それでいいのだと思います。その場にいる魚の総てを釣ることを目的にしてはいないのですから。もっとも魚がいるレンジまで毛鉤を届けて釣るテンカラという釣りもありますが、こちらの方がどちらかといえばまかなう範囲は多いと思われます。こちらはナチュラルドリフトが基本ですので釣りのテクニックというよりは毛鉤巻きのテクニックや道糸やハリスの選択が重要になります。如何に虫に似せらた毛鉤を如何に自然せるかの勝負です。
 ではなぜ僕がまかなえる範囲が広いテンカラを選ばず、範囲の狭いてんからを好むかと言えば、釣れた時の“してやったり感”が大きいからです。てんからで使う毛鉤はゴミにしか見えません。一方テンカラで使う毛鉤は虫(餌)なのです。ではなぜそのゴミにしか見えない毛鉤に魚が食いついて来るか?といえば、その動きに魅せられて食いついて来るのです。ですからてんからで使われる毛鉤をナチュラルドリフトすればほぼ9割以上の魚は口を使わずにUターンしてしまいます。つまり、もし釣れたら自分の毛鉤操作が魚の食欲の活性をあおり、その食欲が警戒心を上回らせた証拠なのです。ですからポイントを前にして“ここは早めに誘いを掛けよう”とか“ここは駄々引きで”とか攻め方をいろいろと考えて毛鉤を撃っていきます。そしてその計画通りに魚が出てくれたら至福の時が訪れるのです。

テンカラではなく、てんからの魅力について少々触れましたが、テンカラのように餌に似せた毛鉤を使って釣るのなら餌釣りをしてしまえばいいと思ってしまう僕ですので、今の僕の渓流釣りにはテンカラは無く、てんからと餌釣りしかありません。以前はフライ・フィッシングやルアーもやったのですが、リールが付いていると魚とのやり取りが安易過ぎて面白さが半減してしまうことに気が付き、今ではやっていません。餌釣りは○十年の経験がありますので本当の僕は餌釣り師だと思います。で、最近再び餌釣りを始めたのです。そうしたらすこぶる上手く行かず、なんかぎごちないのが自分でも分かります。でも釣果はそこそこあって、ヤマメの尺オーバーが4釣行連続。しかも35㎝オーバーの「スーパーヤマメ」と呼ばれる物も2匹。「やはり(てんからに比べて)餌釣りは釣れるなぁ・・・」と思って図に乗っていたら、その後急に釣れなくなってしまいました。これはどうした事か?3年のブランクはこれほどまでに大きいのか?などと考えあぐねている最中、釣り友の某大物釣り師と連絡を取る機会があり急遽一緒に行くことになりました。彼にはいまで沢山のことを教えてもらい、僕の釣への影響はとても大きいものがあります。ですから僕は勝手にお師匠さん呼ばわりさせていただいています。おりしもこんな沢山の疑問に埋もれているタイミングですので願ったり叶ったりです。
 餌釣りでも以前のように釣れなくなった理由に時を感じていた僕ですが、彼の釣りは、その原因が“時”ではないことを教えてくれました。彼はその場その場で釣り方を変えていました。僕の釣りは相手がヤマメだろうと岩魚だろうと、ポイントが淵でも瀬でも、とにかく自分の釣り方を押し付ける釣りですのでそれがその日の魚の気分に合えば釣れるのですが、合わなければ撃沈です。そんな簡単なことに今まで気が付かずにいました。日々進化し続ける渓流釣り。それを追従するために変幻自在の釣りができることが必要であることを痛感した一日でした。