夢のあと

釣りには夢があります。夢を釣っていると言っても過言ではありません。よって、ここに掲載する総ては僕の夢のあとです。

東北の一日も早い復興を祈って

2016年01月29日 04時53分40秒 | 社会
記念すべき宿です。

 ここのところ、人を探していました。東日本大震災で被災してどこかに引っ越してしまった山形屋旅館の女将です。どこにいるのか?それよりまず生きているのかいないのかさえ判らないままに時が過ぎてしまっていました。以前あれだけお世話になりながらないもできないもどかしさがいつも心の中にありました。僕が(故)I先生と初めて竿を共にした以前http://blog.goo.ne.jp/ashitamotenkida/e/aadd459d9cea39edf9c664f9a56bed97で紹介した僕にとっては記念すべき宿です。
 夫婦でやっている決して大きくはない宿でしたが、ご夫婦の心が温かく、それが僕らの心を掴んで離しませんでした。そんな女将の現在の状況はまったく不明でした。
 先日、釣り仲間が集まる事があって、我々も被災した当旅館に何かが出来るのではないかという話になりました。偶然にも仲間がこの旅館があった場所の近くに行ったので、ついでと言っては何ですが当旅館があった場所を見てきました。・・・建物は総て流されて門柱だけが残っていたそうです。この話を聞いたときは最悪の結末をある程度覚悟せざるを得ない状況だと思いました。日が経つにつれて災害状況の大きさに驚くと共に、TVでは非難所の放映が多くなり。そのある放映された避難所のインタビューを受けていた人の後ろに山形屋さんの女将に良く似た人を見つけました。一瞬でしたが間違いなく女将だと思えてなりませんでした。・・・・・生きている・・・・・ただそれだけで嬉しく感じました。恐ろしい思いをしたことでしょう。でも、生きているってことだけでも儲けもの(言葉は適切ではないかもしれませんが)です。いつか、どこかで何かの機会にお会いできたら嬉しいなっ・・・なんて思っていました。大好きだったI先生と初めて竿を出した時に泊まった宿。つまり、I先生と初めて一つ屋根の下で過ごした宿です。僕の思い入れが少ないはずがありません。I先生のことを思い出すたびに悲しさが込み上げて来て涙が出てしまう僕でしたが、昨年くらいより良き思い出として心の整理が着いて来ております。悲しくて辛いと思っていたI先生とご一緒させていただいた日々が今、楽しくて僕が一番輝いていた時の思いでに変わってきているのです。そんな素敵な思い出を残してくれたI先生も山形屋さんが宿を閉じて数年で天国へと旅立って行きました。そして2011年(平成23年)3月11日。そう、東日本大震災です。渓流釣りが大好きな僕は東北に数人の釣り友達がいます。とても心配になりました。そしてこの山形屋さんも。
 山形屋さんは石巻の幸町にあった小さな宿です。震災直後には水没していたとか。いずれにしても大打撃を被った地域です。I先生が他界されたので山形屋さんとは疎縁になっていましたが、僕の心の中に素敵な宿としてその存在感はかなりのものがありました。でもこんな状況下でご夫婦が生きている可能性の方が低いなか、上記のようなTVを見たのでこんなに嬉しいことはありませんでした。ただ、その映像に映った人が女将である証拠はどこにもありません。探すべきか?探さざるべきか?迷いました。このまま生きている事を信じていた方が幸せかもしれないからです。そして探す勇気もないまま月日が流れて行きました。
 しかし、先日同業者で作っている釣りの会の幹事会が開催され、その席で山形屋さんはどうなってるんだ?という話が出ました。みんなにとっても思い出が詰まっている懐かしい宿。きっとみんなが僕と同じ気持ちで、探していいのか探さない方がいいのか迷い続けていたのだと思います。そしてこういう気持ちのまま過ごすのも精神衛生上良くないし、何よりも僕が見たTV放映は他の人も見ていたという情報もあって、生きている確率の方が高いように思えて来ました。そして誰がというのではなく・・・探そう・・・そんな言葉が出始めました。そしてこの会の副会長(会長のI先生は他界されたので実質上の会長)から『探しましょう!そしてもし生きておられるのであればこの会でも何かが出来るかもしれません。そうすればこの宿が大好きだったI先生もお喜びになると思います。』と。
 そして幹事会に出席した6名全員で探し始めました。情報は住所と電話番号と『山形屋』という宿の名前だけ。それまで『山形屋さん』で事足りていたので本名も知りません。まずは山形屋を管轄している役場(渡波支所)に電話したところ『宿の名前では判りません。』『旅館協会みたいな所に聞いてみたらいかがでしょう?』と。で、旅館協会みたいなところの電話番号を聞いたら『NTTで聞いてください。』とまったくやる気がない返事。こんな奴に聞いても何も出て来ない感じがしました。そこでグーグルマップで現地の航空写真を見てみました。以前は隙間なく建っていた建物がなくなって、草原にいくつか建物が建っている感じです。勿論山形屋さんがあった場所も草原になっています。そして、山形屋さんの近くに建っている建物の住所から古い電話番号(2000年のもの)を調べ出し、現在商売をしている建物はその名前から電話番号を調べ出し、それらの番号を片っ端から電話していきました。流石に古い電話番号の方はほとんど通じず。いくつかつながったものもありますが、情報はまったく得られませんでした。商売をしている所からはいくつか情報を得ることが出来ました。でもほとんどが相手にされません。昔よく利用させていただいた釣り具屋はあまりにもそっけない対応でガックリ。もう二度と利用しないと思いました。でも、何軒かは相手にしてくれて・・・タクシー会社は市町村で作っていた震災前の地図を引っ張り出してきてくれて、そこからご主人の本名を知る事ができました。本名が判ったので再び渡波支所に尋ねたところ、今度は個人情報保護法があるから教えられないと。でも、必ず転居届けを出しているはずですから知る事は出来るはずです。ただ教えられないだけです。ですから次のような提案をしてみました。『法律があるので教えてもらえないのは判ります。でしたら、有料でも構いませんので、こちらの故人情報(住所、名前、電話番号など)を明かしますので、それを相手に伝えていただけませんか?これなら相手が連絡を取る取らないは自由ですし、個人情報保護法に違反しないはずですから。』と。そうしたら『そういうことはやっていません。』だって。個人情報保護法ですっかり楽を覚えてしまった彼らの姿が見えました。役所がどんな役をするところなのか?をまるで理解していないこういう族に我々が給料を出しているかと思うと腹立たしささえ感じてしまいます。自分たちが被災された方々に何が出来るか?はたまた自分たちにしか出来ないことは何なのか?もし法律に触れるなら触れないで出来る方法はないのか?最低でもこのくらいのことは考えてもらえないと役所が存在する意味がありません。
 復興に当たっては住民たちは一生懸命です。でもその中心にならなくてはならないはずの役場がなにもしません。というより自らの楽のために我々の出鼻をくじく行為をして来ます。他の役場ではどうなのか知りませんが、少なくとも渡波支所はそういう役場でした。
 少し触れましたが、住民たちは復興に向けて一生懸命やっている人たちが多いです。僕が今回この人を探すために色々なところに電話しまくりました。そして、一番優しかったのは山形屋旅館の近所でやっている『あまの美容室』さんでした。そして震災後に山形屋さんが自分たちが過ごした土地に来ていて、その際ご夫婦と会話を交わしたことをお話してくれました。このことからご夫婦が健在であることが判りました。もう、これだけで嬉しくって気持ちは舞い上がってしまいました。加えてその会話で、今は仙台に住んでいること、そして始めての土地で不安だったにも関わらず、周囲の人がみんな優しいので楽しく過ごせている事を教えてくれました。そして、これから自らの足で情報収集をしてくれると。まだ震災の混乱が残る中、僕のために動いてくれるということです。こんなまでしてくれるあまの美容室様に感動してしまいました。大変申し訳ないと思いながらも埼玉に住んでいる僕は現地での情報収集は無理なので恐縮ではありましたがお願いしてしまいました。それともう一軒『日の出館』という施設でしょうか?連絡したら情報は全然ありませんでしたが『集会などがあるので集まった人に聞いてあげる』と。役所と違って沢山の親切な人がいることに喜びを感じました。
 とにかく山形屋旅館のご夫婦が生きておられることが判明した今、今回は手段を選ばず出来るだけの事をして探し出したいと思いました。数件の不動産屋さんにも電話しました。もしかしたら山形屋旅館さんがあの土地を売りに出しているかもしれないからです。もし売りに出していればそこに糸口があるかもしれません。しかしダメでした。東急リバブル東北支店仙台センターに電話した時、最初に出た女性の方に訳を話すと色々と調べてくれたのですが、担当の方(男性)に代わったらいきなり仕事の話以外は取り扱わない感じ(要は『買う気はないんでしょ?』っていう感じ)。その通りですから仕方がないのですが、そういうことをあまり表に出すと悪い印象を持たれますので、この人も悲しい人でした。また、昔の地図で住所から電話番号を調べて個人の家にも電話してみましたが情報が古過ぎたのか一軒も通じませんでした。それから(故)I先生の奥様にも電話してみました。灯台元暗しで案外年賀状とか来ているかもしれないと思ったのです。でもやはり音信普通になっていました。こんなことをしていたら僕が張った情報網に引っ掛かってきたものがありました。で、早速電話してみました。もしかしたら・・・という期待を胸に。受話器から聞こえるプルルルルル・・・プルルルルルという音、そして祈る想い・・・『ハイっ』と出たその声・・・ピンッ!と来ました。そうです、あの山形屋旅館さんの女将の声です。この時点で間違いないと思ったのですが確証はありません。そこで『突然電話して申し訳ございません。恐縮ですがつかぬ事をお伺いしたいのですが。。』と切り出すと『ハイ』と。で、『○○さん(本名)は昔石巻で「山形屋旅館」をやられていませんでしたか?』と。『は~~~い』と突然声のトーンが上がり、この声とともに僕が探していた山形屋旅館さんの女将であることの確証が取れました。『昔いつもI先生とお世話になった○○○(管理人の本名)です。』と名乗ると『はい、はい、はい。あの時の・・・』と。声が震えはじめ、“あの頃”の話を色々としました。僕も鳥肌が立ってまさに感動の嵐。そして被災した時の貴重なお話も聞かせてくれました。そして何よりも嬉しかったのは現在も夫婦共に元気になさっていることでした。
 こうして幕を閉じた山形屋旅館さん探しでしたが、その中で沢山の現地の人とお話をしました。親切な人は『探してあげる』って言ってくれて・・・。山形屋旅館さんの消息が判明したので、翌日はそんな人たちに結果の報告とお礼の電話をしました。一番親切にしてくれたのは『あまの美容室』様。自分の足で近所を廻ってくれて、関係がありそうな所にも出向いてくれて・・・とにかく一生懸命にやってくれました。そして、どうしてそんなに優しくしてくれるのか?の理由がお礼の電話での会話で解りました。あまのさんも神戸の人が探してくれていて再会できた過去があったのです。その時のことをお話しているあまのさんは『こんな私なんかでも探してくれた人がいたことを思うと今でも嬉しくて。。。』と電話の向こうは涙声。続けて『山形屋さんもきっと同じだと思います。』って。色々と話をしてくれて・・・最後には『こちらに来る事はありませんか?』と聞かれたので、現在僕は色々な人やワンコの介護で時間が取れないがこれらが一段落したらまた万石浦で糸を垂れたい旨を伝えました。そうしたらとても喜んでくれて『もしそんな時がありましたら宿を取らないでご一報下さい。そして我が家に泊まって下さい。』と。ちなみに、お嬢様がやられているお店が『美味しい』と評判ですので、もしこちらに来られる時には是非食べてみてくださいと。このお店だそうです。
http://imamura-ishinomaki.com/
一週間くらい前に予約しないと食べられないほど混雑しているので要注意だそうです。
と、コマーシャル付でした(笑。

 まだまだ被災された地区は復興が行き届いておりません。今回僕が苦労したようにご健在であっても連絡が取れなくなっておられる方も多いと思います。本来であれば引っ越す時には転居届けなどを出すわけですから役所がその橋渡しをしなければなりません。しかし、個人情報保護法が成立したあと役所の連中は“楽”を覚えてしまいました。これが原因で親子、家族、親戚、そして友人であっても、特に高齢者などでは会えずして亡くなられてしまう人もおられる事と思います。石巻の渡波地区では民間は復興に向けて一生懸命にやっているのにその邪魔をしているのが行政であることがとても良く解りました。『個人情報保護のために教えられない。』・・・「だったらこちらの個人情報を教えるから先方に連絡してくれないか?」・・・『そういうことはやっておりません』というやり取りから皆様もお解かりになるかと思われます。住民の税金で給料をもらっている彼らですからこのくらいの恩返しはしていいのではないでしょうか?これなら何の法律にも触れないのですから。

なにもそんなに怒らなくても。。。。。

2016年01月29日 04時49分11秒 | タナゴ釣り
ワンコの都合で出勤時刻が変わる管理人です。
今日はワンコがなかなか用を足してくれなかったので少々送れ気味の出勤でした。でも今日は副業がお休みなので焦る事はありません。平日ですし。と思って行ったら先客が入っていました。しかも僕がやる場所にしっかり陣取ってます。仕方がないのでお隣でやらせてもらおうと挨拶したら『どんどんやってください』とお許しを頂けました。年の功はほぼ一緒の方でした。早速釣りの用意をしている僕に色々と話しかけてくれます。でも道具の自慢話ばかり。わざわざ立ち上がって用意している僕のところに持って来て見せてくれます。自作の竿、自作の糸ウキ、自作の親ウキ、砥ぎ鈎、そして合切箱・・・等々。竿以外はそれはそれは素晴らしい物ばかりです。一通りの道具見せが終わったら釣果自慢。『俺は一束釣らないと釣ったとは言わない』とか。僕は相当やりそうな人と一緒に釣らなくてはならないので、“今日はとっとヤバイなぁ”と思っていました。といいますのも、最近の僕は頑張っても50行かない日が多々あるからです(もっとも朝の1時間の釣果ですが)。先日雪が降って、それが融けて川に入っているので水温が相当低下しております。普段より、より渋いことは釣る前から判っていたからです。しかも、雪解け水で少しだけ水が高くなっていてその先客の方はほぼ止水なのに対し、僕の方は結構な流れがあって、尚更状況が良くないことが判っています。100なんて絶対に無理であることは明白です。
 用意を済ませて釣り始めるもノーピク。タナを変えながら探っている僕に先客さんが『今日はダメでしょう。何やっても・・・。』って。でも、こんな時こそ釣りたくなるのが管理人の性です。そしてとうとう待望の一匹目が来ました。隣でやられている先客さんは僕が来てからまだ一匹も釣っていませんでした。僕が釣ったのを見て『そっちにも居るんだね』って。一匹釣ると今日の釣り方が解って来ます。ところが流れの中を釣っているのでオイカワとタモロコが大歓迎してくれます。これらの外道を交わしながら釣らなくてはならないのですが、そうすると今度はフナが多くなってしまって。で、タナを上げるとノーピク。タナによる釣り分けが出来ない日であることを悟りました。外道覚悟で釣っていたら先客さんが立ち上がって僕の方に来て、僕が釣っているすぐ脇にしゃがみこんで『オタク結構釣ってるね、どうやってんの?』って僕の釣りを見出しました。そしていきなり『えっ?何それ。爪楊枝?』って。そうなんです。最近の僕は爪楊枝で作った親浮きに嵌っているのです。作り方は簡単、爪楊枝を買って来て(っていうか、普通自宅にありますよね。アレを使います。使い古しでもいいです)水が浸み込まないように適当に塗装しただけです。それの足(尖った方をウレタンパイプで止め、上の方にも太めのウレタンパイプを入れてその中に道糸通して。要は斜めウキ状態にしただけの物です)。素敵な道具で釣っている先客さんとは雲泥の差でした。そして流していたら魚信があって、運良く掛かって。先客さんは『今のは上げたら掛かってたの?それとも魚信があった?』って。爪楊枝ウキは上記のように作られているため、浮きが真っ直ぐに立ちません。斜め通しウキならぬ、斜め立ちウキです。それが流れの中で向きを変えたのです。これは立派な魚信です。でも、そういうことは判っていないでしょうし、説明するのも面倒臭いので魚信はあった事だけはお伝えしました。そしてもう一匹追加したら『そんな粗末な道具で良く釣るね!』と言って自分の釣り座に帰って行きました。粗末と言われてまんざらでもない管理人でした。だっていい場所でいい道具を使っている人より釣れているのですから。しかも、その後ちょっと誘うことをしたらより釣れるようになって来て・・・先客さんがなんか道具をいじり出したと思ったらUFO登場。ヘラブナ用の練り餌を詰めて投入。しかしここまでやっても相手にされないようです。流石に自分の竿を持って来て『悪いけどタナ合わさせてくれる?まだ一匹も釣れていないんで』と腰が低くなって来ました。僕の仕掛けを上げて先客さんの仕掛けに沿わせて浮きの位置を決定。誘うことも教えようかとも思ったのですが、彼の仕掛けは折角の砥ぎ鈎の性能を殺してしまう黒いハリスでしたし餌も彼はグルテンでしたので、僕の誘い方には適していません。で、言及しませんでした。しかし、その直後彼にも待望の一匹目が来て大喜び。『俺は一束釣らないと釣ったとは言わない』なんて言っていた人がたかが一匹でこんなに喜ぶとは。。。しかし後が続かず。僕が見ている分には、どうやら彼は大きく親ウキが引き込まれたり、糸ウキが大きく動いた時しか合わせていないようです。この時期の魚信は暖かい時期と違ってそんなに大きく動く事は希です。魚信が判っていないのか?はたまた判っていても合わせないのか?一方、好調になってきた(とはいえ、この状況下ですから高が知れてます)僕を見て、とうとう『隣でやっていいですか?』って。僕は『えっ?どいてくれるの?・・・ラッキーっ!』ってことで場所交換を提案。先客さんは『いやいや、場所を譲ってくれるとは・・・こんないい人に初めて出会ったョ』って。先客さんは早速UFOを投入。脇で見ていた僕は『アッチャーーー』って感じ。流れのなかにUFO入れたら結果は見えてます。そして僕の方は前もって集めてくれていたので誘いを掛けて。。。調子が上がって来たと思ったら突然先客さんが立ち上がって・・・もう帰ると。どうやら僕が怒らせてしまったような。。。53対4ですから。僕も折角調子が上がってきたのですが先客さんが帰った直後、セットしておいたタイマーが鳴ってタイムアップ。今日は休みなので2時間の釣りでした。道具だけに頼る釣りをしている人って可哀想ですね。なんか悪いことをしてしまったような後味の悪い釣りになってしまいました。

K-Cup '16

2016年01月20日 20時30分40秒 | 渓流釣り
今年も3月27日にTOKYOトラウトカントリー(奥多摩 http://ttcmayfly.web.fc2.com/)にてK-Cupが開催されます。

詳細はhttp://ttcmayfly.web.fc2.com/event/2016Kcup.pdfを参照にしてください。

 ちなみに一昨年まではオフィシャルサイドでしたが、昨年は選手として参加してみました。オフィシャルの時は選手たちが緊張して普段ではあり得ない失敗をしたりする姿が滑稽でとも楽しみでした(ちょっと意地悪ですね)。でもその失敗の一つ一つに人間味が感じられて、僕の目にはそれが妙に美しく写っていました。いいですよね!ドキドキするって。釣りからドキドキを取ったら面白さは半減してしまうようにさえ思えます。ところが、釣りも続けているとドキドキする事が少なくなります。そこで昨年は選手として参加させていただきました。しかし、結果は箸にも棒にも引っ掛からずに惨敗。やはりここTOKYOトラウトカントリーの常連さんは半端無い実力の持ち主ばかりです。悲しい結果ではありましたが、年甲斐もなくスタートが近付くとドキドキしはじめ、自分の中で『これこれ、この緊張感が堪らない』と悦に入っていました。そして緊張感とともに時を過ごし、終えてみると情けない釣果にがっくり。でもとても楽しい大会であることに間違いはありません。オフィシャルも選手もみんなで楽しめる大会です。しかもこの大会は一番の大物(体長)を釣った人が優勝ですので、たとえ初心者であっても一匹でも釣ればそれが最大の魚になる可能性だってあるのです。要は運があるかどうか?も結果に大きく影響して来ます。加えて、飛び賞などもあってほとんどの選手に賞が行き渡るように図られています。自分たちで作った大会ですが、選手として参加しても本当に楽しい大会であることを体験しました。
 こんな楽しい大会ですからテンカラやフライ・フィッシングをやる人は是非参加してみてください。オフィシャルをはじめ、参加される選手までがとてもフレンドリーな方たちですので一人で参加されても楽しいと思います。それどころか選手数15人程度の小規模大会ですから釣りを通して友達を作るチャンスでもあります。時間がございましたら是非参加してみてください。間違いなく楽しいですから。こんな大会ですので参加希望の方は早目に申し込まないと定員に達してしまう可能性もありますので要注意です。
 

正月くらい

2016年01月02日 23時47分15秒 | タナゴ釣り
我が家では『正月くらいは家に居ろ』と言われています。勿論、今までの僕の行動を見ていて『正月くらいは殺生するな』と言う事なのでしょうが、こちらにしてみれば『正月くらいはゆっくりと糸を垂れさせてくれ』と言いたいところです。ところがみんなは『正月くらいはゆっくり起きて』と朝寝坊し放題。そこで僕はみんなが起床するまでに帰ってくれば問題はないはずってことで昨日試してみました。kろえが案外うまくいったので今日も朝のヒトッツリ。結果は71匹でした。
 昨夜は1時と5時半にワンコに用足しをせがまれて外に出ました。昼間はあったかい日も朝晩は冷え込みます。この寒さでこちらもすっかり目が覚めてしまいます。朝早くできることなんてあまりありませんから(音を出すとご近所に迷惑でしょうから)釣りに行くくらいしかないのです。
 きっと明日も釣り場に向かいます。正月くらい・・・いいでしょ?
 

初釣り

2016年01月01日 22時45分03秒 | タナゴ釣り
 我が家では古くからのしきたりで元旦は家に居なくてはなりません。それで家には居るわけですが、元旦は面白いTVもないし、釣りのことをするわけにはいかないし・・・で、毎年退屈に過ごしていました。で、今年はちょっと工夫しました。元旦は家族みんなが朝寝坊するのでいつも通りくらいの釣りなら出来そうです。そこで、少しの罪悪感を感じながら元旦から竿を出して来ました。
 こんなことですからいい釣果は臨めません。1時間半ほどの釣りでしたが39匹でした。

 最近ポイントとタナがわからなくなってきています。タナを変えると二~三匹がパタパタと釣れて後はタモロコになってしまいます。これはポイントを変えても同じです。ですからタナを変え、ポイントを変えながら釣っています。寒くなると群れを成すはずのタイリクバラタナゴですが、ここに来て逆にバラケている感じがします。ですから当然釣果も上がりません。もっと寒くなったら群れてくれるのか?経験不足の僕にはまだそれさえも解っていないのでもう少し経験を積まなくてはなりません。