夢のあと

釣りには夢があります。夢を釣っていると言っても過言ではありません。よって、ここに掲載する総ては僕の夢のあとです。

魚は痛みを感じているのか?

2013年07月15日 09時19分56秒 | 釣り全般
今回は夢のない現実的な話です。
魚釣りは魚に傷付ける行為ですから、決していいことではありません。ですが、釣りという趣味を持ってしまった以上、それを分かっていて釣るのと解っていないで釣っているのとでは雲泥の差があるように思えます。
 何故か魚は痛みを感じていないという風潮があります。魚が鈎に掛かって暴れるのは、自分の行動を阻止されるからであって痛みを感じているわけではないのだとか。。。でも本当にそうなのでしょうか?釣った時に魚の顔が苦痛にゆがまないし、泣き叫ぶわけでもありません。学者的に言うと、魚が痛みを感じていないとする根拠は痛みを感じるもの(自由神経終末とか痛点とか言われる)が見当たらないか、かなり少ないらしいことにその端を発しているようです。と言いながらもそういう論文を僕は知りませんし、実際にそうなのかも知りません。しかしながら、そういう可視的な見方しか出来ないのは学者のサガ。生物をマクロ的に見られないようです。
 魚のみならず痛みというものについての知識があればこの答えは明白であり論議する価値すらないことが解ると思います。学者は当然知っていなければならないことですが、一般の人たちはこの『痛み』というものへの理解がない人も多々おられますので、まずこれを理解していただきたいと思います。
 では『痛み』とは何者か?ということですが、普段の生活においてナイフや包丁、はたまたぶつけたり擦ったりして怪我をすることってありますよね。例えば刃物で手を切ってしまったとします。そこからは血が出て来て痛いですよね。でも、傷の程度にもよりますが、翌日くらいには傷口は開いているのに痛くない経験はありませんでしょうか?多分ほとんどの人がそういう経験をお持ちだと思います。でも、よく考えるとあれって不思議だと思いませんか?傷口がまだ開いているのに痛くないのですから。注意深い人は何でなんだろう?と不思議に感じたことがあると思いますが、一般的には『痛くないから、まっ、いいか』ってことでこの不思議な事象を深く考察する事は希で、そのまま忘れてしまっていつの間にか治ってしまっているというのが普通だと思います。ところがここに痛みの本質が隠れているのです。
 傷はそのままでは細菌が入ってしまったりするのでその傷は出来るだけ早く治さなければなりません。しかしながらその開いた傷口に接着剤を塗ったりしなくてもちゃんと体が治してくれますよね。では誰がその傷を治しているのでしょう?これは脳です。脳は体の総てを管理・維持しています。傷や病気を負った場合に脳がそれを認識して勝手に治療してくれているのです。ですから脳はどこを治さなければならないか?を判断しなくてはいけません。ところが脳の方から四六時中体の隅々まで行って監視できるわけではないので、体の一部が傷や病気で壊れたらその事を脳に教える必要があります。その連絡が痛みなのです。
 例えば上記のように刃物で手を切ってしまった例でお話しすると、刃物で切られた手の細胞は死んでしまいますので何も出来ませんが、その周囲の生きている細胞が切れた事を認識して脳に『ここが壊れたから治してくれーーーっ!』って信号を送るのです。これが痛みです。で、脳がそれを認識して『よし、分かった!』となって切れた部分の修理・修復に取り掛かるのです。そして傷が快方に向かうと今まで『治してくれーーーっ』て騒いでいた細胞たちは、脳が傷を認識して治し始めてくれたのですからもう騒ぐ必要がなくなり騒ぎを止めます。要は痛みがなくなるのです。ですから、翌日くらいになって傷口がまだ開いたままでも痛くないという事が起こるのはこのような事なのです。
 では、この痛みという感覚がもしなかったらどうなるでしょう?そうです。皆様が考えたとおり傷はまったく治ってくれません。これは恐ろしい事です。どんなに小さな傷だって、もしまったく治らなければそこから細菌感染を起こし、それでも治さないのですからどんどんその感染は進み、そしていつしか全身に細菌が回って、いわゆる敗血症(はいけつしょう)を起こして死んでしまいます。
 これで痛みと言うものが解ってもらえたでしょうか?上記のことが解れば痛みは誰にとっても嬉しくない感覚ですがとても大切な物である事がお解かりいただけたのではないかと思います。
 それと、痛みは決して心地良い信号ではありませんが、もしその信号がその生き物にとって快適な感覚だったらどうでしょうか?その信号が気持ちいいのですから自らの体を自分で傷付けて喜んでしまう危険性があります。となると、これも修理・修復が間に合わなくなって死んでしまう結果となります。要はその信号はその生き物にとってとても不快である必要があるのです。
 このようにして生き物は自分の体の傷や病気を自ら治すことが出来るのです。ですから、想像するにほとんど総ての生物がこの感覚を持っていると思われます。生物はこの感覚がないと生きていけないわけですから。勿論細菌やバクテリアなどのような低次元な生き物にはないかもしれませんが、彼らはその分繁殖力が半端ではないのでこんな感覚がなくても種は維持できてしまうのです。よって、ここでお話しているのはそういう低次元な生き物以上のお話と思っていただきたいと思います。
 例えば何も考えてなさそうな植物だって傷付けば数日後には治っていることが多いことからも、多かれ少なかれ人間の痛みに相当する感覚があるのではないかと思います。
 さていよいよ本題の魚は痛みを感じるか?についてですが、上記のことを理解すれば答えは明白でしょう。それが人の痛みと同じ感覚かどうか?は知る由もありませんが、それ相応の不快な感覚を持つ事は確かです。というより、そうでなければ生きて行けないのです。人と同じ感覚はどうかは魚になってみなければ解りません。それどころか、痛みという物が僕とそれ以外の人が同じ感覚かどうかさえも解りません。例えば僕が赤いと思う色は小さい頃からその色が赤だと教えられたから赤と認識しているだけで、もしかしたら隣の人は僕が緑と教えてもらった色に見えているかもしれません。それでも、その人はその色が赤だと教えてもらって育って来たのでその色を赤だと言っているのかもしれません。要は感覚と言うのはその総てにおいてその生き物になってみなければ解らないので、それを論議する事は無意味です。ですから、ここで言える事は痛みという僕と同じ感覚を魚が持っているかどうかはわかりませんが、少なくとも彼らにはとても不快な感覚があると言うことです。

 で、ここからは蛇足になりますが、『じゃぁ、何故釣りなんて事をするのか?他の生き物に痛みかそれに相当する苦痛を与えて嬉しいのか?』と言われそうです。確かにその通りです。釣りなどのように生き物に怪我をさせることは決して良いことではありません。でも、人が生きて行く上で必ず他の生き物は犠牲になります。皆様も牛・豚・鳥などの肉を食べるでしょうし、植物も食べるでしょう。そうしなければ人は生きて行けないのです。ですから我々は生きるために牛・豚・鳥や植物を殺し自分の命を維持させるのです。これは生きていくために仕方なく殺す行為ですから許される範囲だと思います。ところが釣りは別にしなくたって自分が死ぬわけではありません。なのに辞められないのは自分の心に与える餌が釣りだからです。釣り師にとって釣りをしている時はこの世の物とは思えぬほどの悦楽を得ています。人は生きる上で心身がともに元気である必要があります。先にも言いましたが心身の『身』の方は牛・豚・鳥や植物を殺して食べさせていただくことにより元気になり、心身の『心』の方は魚に傷付けさせてもらうかもしれませんが、そうすることによって元気が正常に維持されるのです。
 加えてそうして来た結果、悪いことばかりではないことに気付かされてきます。それは魚という生き物をより深く知ることが出来ること、そしてその事を通して自然の摂理が見えてくることです。そしてそこから発展して自然を大切にするようになり、加えて自分のやって来た行動に自戒の念が沸いてくることです。例えば、僕も含めて、現在沢山の人がC&R(キャッチ・アンド・リリース)を唱えていますが、あれはもう充分釣って来た人の言葉であって、最初からC&Rをやっているのはタナゴ釣りの人くらいではないでしょうか?僕自身も昔は沢山の魚を捕って食べました。もっともその頃は魚は沢山いたので今のような状況は想像すらしていませんでした。多分僕と同年代の人たちはみんなそうなのではないかと思います。そしてそれを続けて来た結果、魚は減るし魚の品は落ちるしと、とんでもないことになってしまいました。そこでC&Rをはじめたのです。よく考えれば勝手な話ですが、当時はみなが将来を理解できていなかったのですから仕方がないのです。僕らがやって来た反省を含めて、後世にいい環境を残してまた沢山の喜びを感じ、味わっていただきたいと思う心からです。

 話は逸れましたが、人が生きていくためには沢山の他の生き物たちの犠牲の上に成り立っています。ですがこれも宿命とでも言いましょうか、神様が生物界のバランスをとるためにそう創ったのです。ただ、我々人間は理性を持っています。出来るだけ他の生き物を犠牲にしないで生きる事が出来ればそれに越したことはないということは重々承知しています。また生物界の頂点に立つ生物として生物界のバランスを取る事も必要な事は解っています。ですからそういう意味からすれば決して悪いことをしているわけではないのですが、結果的に魚たちを傷付け、苦しめることに変わりはありません。それでも辞められない釣りという趣味は恐ろしいほどの魔魅を兼ね備えてしまったとんでもない娯楽なのかもしれません。

DOG STYLE cafeというお店

2013年07月11日 23時25分28秒 | 旅行
今日は家族でお出かけです。
女房・娘はサクランボが大好きなので、以前からサクランボ狩り計画はあったのですが、延び延びになっていました。どうしてかっていうと僕は果物が駄目なので僕は何もやることがないこと。そして、何より大好きな渓流釣りの最盛期にバッキングするからです。
 しかし、今回は僕も思い腰を上げました。心の重荷になっていたからです。でも、一日潰してたった30分のサクランボ狩りに行くのも馬鹿らしいので、オプションでホタルを見に行こうと言うことになりました。ホタルなんて昔は近所に沢山居ました。小さい頃に鯰や鰻を狙って釣る時は必ず夜釣りでしたので、特別珍しいものでもありませんでした。ところが現在はほとんど見られなくなっているようで、娘はホタルを見るために椿○荘のホタルでもいいからってんで女房と見に行きました。でも、なかなか見られずに、唯一匹の誰か知らない少年が手に抱いたホタルが見られただけだったそうです。よってホタルの乱舞というものを見たことがありません。すでにホタルが見られる有名所は盛期を過ぎています。で、調べたら7月中頃までみられるところがありましたので行ってみることにしました。

 今日も暑い日です。本当なら朝早く行った方がいい○○狩りですが、今回に限ってはホタルの事もあるのでなるべく遅い時間に行きました。とはいうものの、せっかく外に出るのですから何か美味しいものでも。。。が、我が家の旅行は愛犬も一緒ですので、お店選びは相当限られてしまいます。でも、毎日食事を作ってくれる女房にとっては、何もしないで食事ができるだけでいいのだそうです。一軒目はネットの画面では美味しそうな店でしたが行ってみたら手入れも行き届いておらず、入る前からちょっとショック。しかも聞いてみたら犬はテラスだけって。このクソ暑いのにテラスでは暑いのが苦手な我が家の犬にはとても無理です。そもそも暑いのが苦手だし、歳も高齢(12歳)なのでここ二三年の夏は四六時中エアコンを利かせた部屋で生活している犬ですから本当に体調を壊してしまうかもしれません。それどころか、場合によっては死んでしまうかもしれません。で、ここはお断りして急遽他の所を探しました。で、ヒットしたのがこのDOG STYLE cafeというお店でした。

 カ-ナビを頼りにすぐに着きました。ガラス越しに見える店内にマスターが見えていましたので駐車場を聞いてみたら、その場(店の真ン前)で良いとのこと。さっそく入ると二匹のジャックラッセルがお出迎え。その後スタイル抜群の奥様も出迎えてくれて、なんだか通りがかりの一元客とは思えない歓迎を受けました。奥様はジャックにクビッタケで楽しいお話が次から次に出て来ます。なんか初めて来た客と思えない雰囲気です。一度目にしてすでに常連みたいな気分でした。その後犬連れではない綺麗でこれまたスタイルの良い若い女性も来て、奥様とマスターはこちらの方とも気さくに話をされてましたので、この店がとても和やかな店であることと犬だけの店ではない事ががわかりました。食事は家族3人で3様のメニューを頼んだのですがどれも美味しく、ワンコ用の食事もあり、これまた我が家のワンコが気に入ったらしく秒殺で食べてしまいました。
 いきなり最初の立ち寄り地点から根を生やしたいとてもいい気分のお店でしたが、まだ今日の本命のミッションであるサクランボ狩りもありましたので後ろ髪を惹かれる思いで店を出ました。車で出るときまでマスターが出て来て見送ってくれて(画像)。。。楽しい旅の一コマでした。マスター&奥様。楽しい時間をありがとうございました。

 そしてサクランボ狩りはまるかチェリー園という所。過去に何度か行って美味しいサクランボがある事は分かっているお店でした。ただ、僕が果物アレルギーを持っているのでつい行きそびれて、毎年『来年こそは』と思っているサクランボ狩りのお店です。女房・娘がサクランボ狩りをしている間、僕はワンコと川原でお散歩です。暑いので2Lのペットボトルに水を入れて、それをワンコにぶっ掛けながらの散歩でした。水を総て使い果たして帰ると、丁度サクランボ狩りも終了したらしく、まさにオン・タイム。しばらくお店の人と歓談して終了。女房・娘は夢にまで見たこの場所でのサクランボ狩りを終えて『美味しかった』『新しい種類のがあったの。まだ市場に出ていない』などと興奮状態。僕は暑い中30分も犬と一緒に歩いていたのでゲッソリなのに。

 次はホタル。上毛高原駅付近の「ホタルの里遊歩道」に行ってみました。さくらんぼ狩りをしてからホタルが出る暗くなるまで時間が余りましたので、お土産屋さんがないかと駅周辺を探したのですが見当たらず、結局高速入り口の方に向かったファミマで買い物。このファミマは普通のファミマ+農産物直売所みたいになっていて、面白いものが沢山ありました。でも、時間はあり余ってしまって。。。駅裏の駐車場で女房・娘は車中でクーラーで涼み、僕と犬は外の日陰でマットを引いて外気温に体を慣らしてました。そして7時を回ったので遊歩道を歩き出しました。なかなか見られず、第一観測所を通過。そしてその後やっと二匹を見て。娘は『複数見られたからもうレベルアップ達成』と喜んでくれました。でも、『ホタルの里』の標榜を掲げている場所ですからこんな少ないはずがありません。多分時間がまだ早過ぎるのです。で、ゆっくりと第二観測所に。しかし、ここでも1匹しか光っていません。少々ホタル鑑賞としては時期が遅くなった僕らですから、一番標高が高いこの地点が出会える確立が最も高い場所です。早く見たいが為に先を急ぐ女房・娘にその事を話して待ちました。すぐに第三地点方面からホタル見の人が来たので聞いてみたらまったく見られなかったとの事。そんな事をしていたら二個・・・三個とだんだんと数を増やして来ました。そしてその光は数えられないくらいになって・・・幻想的な世界に僕らを引き込んでくれました。

 楽しくて美味しい食事、そして夢にまで見たというサクランボ狩り、アトラクションでホタルの幻想的な空間・・・素晴らしい旅ができました。


 で、当然管理人さんは何をした来たの?って聞かれるでしょうね。
  ・・・・・いいんですよ。これで。残りの夢のためですから。。。