夢のあと

釣りには夢があります。夢を釣っていると言っても過言ではありません。よって、ここに掲載する総ては僕の夢のあとです。

復興へのヒント・・・若者の車離れが日本を不況にした

2011年04月22日 23時09分10秒 | 社会
今回の地震は巨大でした。もっとも関東より北の人は知っているのでわざわざ言うまでもないことですが、関東以南の人はあまり実感がないと思うので敢えてことわっておきます。で、自慢できるのが新幹線です。時は丁度あの○○系という先が15mもある新しい新幹線が東北新幹線で走り出したところでした。そのチケットも信じられないくらいの高値がついて世間から『大馬鹿だね』と言われるほどイケイケの時でした。もっとも、趣味なんてみんなマスターベーションですからそういう高値で買った人もそれはそれで価値があるのだと思います。僕らが小遣いを貯めて買う高級な和竿なんかだって、こういう趣味がない人からすればただの棒切れです。でも、その新幹線、あの地震の時は総て自動停止して総ての乗客が無事でした。これは素晴らしい事です。これは世界に自慢が出来ます。こんな未曾有と言われる地震でもその機能がしっかりと作動したのですから、この先は何があっても大丈夫であるような錯覚に陥るほどアッパレなことでした。
 それに、スカイツリー。あれも、あの地震の時に作業員は居なかったのでしょうか?想像ですが、多分あの先っぽで作業していた人も居たのではなかったの思われます。現在スカイツリーは世界一の高さになっていて、そして世界一と言われる地震に耐え、そこで働いている人たちの安全まで確保していたのです。これもまたアッパレです。
 きっとその他にもアッパレな事が沢山あるのではないでしょうか。日本の技術はたいしたものです。
 で、話はコロッと変わるのですが、友達が車を変えました。以前このBlogでも紹介したレースをやっている人です。そしてその話を聞いてびっくり!ぶつからないのだそうです。勿論彼には物足りないパワーですが、家族も乗るのでその辺は我慢です。そして、オートドライブに設定しておくと(車間距離の設定も出来るらしい)、高速などで渋滞していてもその車間距離を保って付いて行き、前の車が車線変更したりすると音で合図してくれるそうです。勿論パワーだってその気になればもっともっと出せるのでしょうが、一般人が運転するには充分過ぎるパワーです。とにかく至れり尽くせりです。車体剛性も相当なものであることは見ただけでも判りますし、実際凄いらしいです。もうこれ以上がないというほど凄いです。
 やはり日本の車は凄いです。僕が若いころは満足できるような車は無くて、その分改造などもお巡りさんは多目に見てくれました(警察官の人間性にもよりますが)ので、ある程度車を解っている人はみんな自分なりにいじって乗ってました。早い車を見つけると追いかけて行ってドライバーに色々と聞いたりして、自分の車をもっと良くしようと努力しました。こんなことをして作り上げた車はまるで自分の分身のような感じがして、愛らしく感じ、大切に乗っていました。こんなふうに乗っていた車も改造では壁が見えて来て、しかもメーカーからどんどんと自分の好みに合った新しい車が発売されるので、ある時を機に買い替えを余儀なくされます。新しい車が来ると、勿論それはそれで嬉しい事なのですが、上記のように思いが通ってしまった車を手放す方が悲しくて・・・ディーラーの人が乗っていくとき、その後姿が見えなくなるまで送って、見えなくなるといきなり涙が出て来て・・・。そんなことを何度も体験しました。多分、自分の中で車を擬人化し、治療したりしてどんどんと良くして行くことに喜びを感じていたのだと思います。たかが一つの機械なのに、その別れは人との別れと同じ気持ちでした。ある時などは一晩中泣いていて女房に笑われたこともあります。しかし、今となってはそんなことはなく、新しい車が来るとさっと今までの車を出せてしまったりします。多少別れの悲しさはありますが、新たに来た車との出会いの喜びの方が上回ってしまうのです。そんな時、以前のあの車に対する熱い気持ちが欲しいなぁ・・・なんて思ってしまいます。何かに熱くなる事、それはタナゴ釣りでも車でも、その方法は何でも良いのです。何かに打ち込んでいるときはとても幸せです。そして、僕自身だけではなくて、そういう熱くなっている人が大好きです。
 ある時、中学校の時の同窓会がありました。知り合いが企画して友達が友達の情報(住所など)を集めて、判る人だけに連絡をして集まったのですが、50人近く集まってみんなで『あのときはこうだったなぁ』とか話しながらワイワイ・ガヤガヤで、まとまりは全くありませんでしたが、僕自身も自由に振舞えたのでとても楽しい同窓会でした。卒業してからかなりの時間が経っていたので、もう誰なのかわからない人がほとんどです。でも、『誰だっけ?』と言葉を掛けて話し出すと名前の記憶と面影で『あいつだ!』って判って来ます。それほどみんなが変わってしまいました。特に女性は大きく変わってしまった人が多く、えらくおばさんになってしまった人が居たり、中には素敵なレディーになっていたりして、見ていてとても面白かったです。僕の場合は当時から超有名人だった(?)ので、ほとんどの人が覚えてくれていたようでした。で、自己紹介は割愛できましたが、中には本当に判らなくなっている人も居ました。当時僕が心を寄せていた女性は所帯窶れしてしまって、当時の面影がまったく無くなっていてびっくりしました。女性は嫁ぐ相手によって随分と変わるもんだと思いました。そこで、女性から見た男たちはどうなんだろうと思って聞いてみました。そうしたらやはり『随分変わったよね。良くなっている人も居るし、かわいそうな人も居る。』って。男から見てもある程度は判りましたが、女性から見てもそれは同じようでした。当時モテモテの男も頭が禿げ上がって活気が無く、総てにおいてやる気が失せていて、男としての魅力が0になっていたりしてました。かと思えば、当時はたいした奴ではなかったのに、ナイスミドルになって良い年を重ねて来たことが解る人も居たりして・・・その違いって何だろう?って興味が湧きました。そして、相当な数の同窓生に聞いて回りました 『今何の仕事してるの?』と『何か趣味やってる?』ってことを主に聞いて回りました。そしてはっきりしたのが、何か熱くなれる物を持っている人が若くいられるということです。例えばいい具合に年を取っている人は『明日も仕事。今日は思いっきり遊んで、明日はまた頑張るぞー』って言うのに対し、やつれた人は『明日、また仕事だよ。やだなぁ』って。この違いはその人の人生には大きな差になります。そこで『明日、また仕事だよ。やだなぁ』って人に『なんで?』って聞き返しました。僕の場合、釣りも好きですが仕事も大好きです。僕の仕事で喜んでくれる人がいると解った時にこの上ない幸せを感じます。ですから仕事が嫌だと思ったことは一度も無かったのでこの人の言葉に不思議を感じました。で、その人にそのことについて詳しく聞いてみました。彼は市役所に勤務していました。基本的に役場と言うところは市民のために働いている訳ですから、そこで働いている人たちは市民にとってはありがたい人たちです。ですから、ガンガン仕事して市民のために頑張れば幸せを感じられるのではないかと思ったのです。しかし、彼からの応えは意外な物でした。『・・・だってさぁ。仕事なんて沢山やればやるだけミスの確率が上がるじゃん。そうしたら上司に怒られる回数が増えるじゃん。で、何よりもそんな一生懸命やったって給料は同じだし、同僚からもいい目で見られないじゃん。だから仕事はなるべく受けないのが良い事なんだ。』ですって。オイオイ、お前ら僕らの税金が給料になってることを忘れるなよ!一生懸命やってくれよ!って言いたかったですが、ああいう大きな組織ではあり得る事です。ここからは想像ですが、きっと彼はなるべく仕事を渡されな言うように毎日コソコソ下を向いて仕事をしているのでしょう。とても辛い毎日です。毎日毎日こんな辛い事でも、彼にとってはお金を得る唯一の手段ですから我慢に我慢を重ねて毎日を生きているのです。こんな状況下で若々しくいられる筈はありません。それに対していい具合に年を取っている人、この人は酒屋さんでした。お父様と一緒にやっています。若気の至りもあって、様々な提案を父親に投げかけ、それが採用された時は嬉しいし、加えてそれが僅かでも売り上げに影響したら本当に幸せだと言っていました。ですから、仕事が楽しくて仕方ないという状況でした。加えて彼は「お客さんにいかに満足してもらうか?って365日考えちゃう癖が付いちゃったよ」って言ってくれました。今はお父様も亡くなられ彼が一人でやっていますが、お店も大きく拡張して現在もかなり良い状態であることは外から見ていても判ります。
 この二人、皆様が友達にするとしたらどちらでしょうか?やはり、魅力的なのは色々と考えながら日々を楽しくすごしている方ではないでしょうか?こういう人は友達もどんどん増えて楽しい人生を過ごせるのだと思います。ですから、僕はそういう人が好きなのです。そして、僕自身も熱く何かをしていたい人間の一人です。釣りもその一環です。

 で、最近の若い人を見ていてこういう熱き心を持っている人が少なくなっているような気がしてなりません。勿論そうではない人がほとんどなのですが、ニートなんて言葉が出来るくらいですからその傾向は強いのだと思います。僕らの時代は三無主義と言って無気力、無関心、無責任の三つが揃った人がそう言われていました。多分同じか、もしかして違うかもしれませんが、限りなく近い人たちだと思いますが、いつの時代でもこういう人は目立たない存在ですのではっきりはしません。でも、いつの時代にも居てたことは確かです。一般の男の子はみんな車やオートバイに熱中してました。授業中に友達から廻って来る車やオートバイの雑誌(週刊誌)を片っ端から読み漁りました。僕のお気に入りはプレイドライブという雑誌でした(今でもあるのでしょうか?)。プレイドライブは主にラリーがメインの雑誌でした。僕自身も載ったことがありますし、僕らのラリーチームの人たちが結構出ていたからその戦績や活動を見てみんなでバカにしたりして楽しんでました。オートバイは文字通りオートバイの総合雑誌でした。かなりブ厚い雑誌でしたが、ほとんどがコマーシャルでしたので安価で購入することが出来ました。オートバイは車と違って価格的にいつでも手が届く範囲ですから、コマーシャルも端から端まで総て見てました。そんな事をしながらお金があったらいい車やオートバイが買えるのになぁ・・・ラリーにも勝てるのになぁ・・・なんて身の程知らずの事を考えてました。でも、学生はお金がないので(一部の人はありましたが、僕の場合ということで)『いつかは・・・』ってことで、とりあえず今ある手持ちの車をどうしたら早くなるか(当時は改造も警察はそれほどうるさくなかった。もっとも外見はほとんど変わらなかったのですが)?そしてどう運転したら早く走れるか?を常に考えていました。色々な部品を買って来ては取り付けて、もし工作が可能なら自分で部品を作ったりして好みの車に仕上げていったものです。これは僕に限ったことではなくて、僕の周りの人たちはみんなそうして車を作っていました。中にはボロボロに見える車でも、乗ってみると妙に早かったりして・・・。何かでお金が入ったり、親の許可が下りた時には即刻少しでも良い車に乗り換えたものです。こうした我々の要望に応えて、車業界はどんどんと魅力的な車を打ち出してきたものですから、我々は指を咥えてみていて、それこそ『いつかは・・』ってことで憧れていたものです。そして卒業して自分で働き出し、給料を貰えるようになると倹約に倹約を重ねて、まずは憧れの車を手に入れたものです。車業界は売れるものですからどんどん成績を伸ばし発展して、いつの間には日本の車は世界一と言われるほどにまで成長して行きました。要は良い循環が出来たのです。当時は車のレースもラリーもそしてオートバイのロードレースもモトクロスもトライアルも、勝つのはみんな日本車でした。ただ、悲しいのはドライバーやライダーはほとんどが日本人ではなかったことです。日本では暴走族とかいって他で能力を発揮できない若者が自己顕示欲を発散するために訳のわからない車やバイクでアウトローに走り回って嫌われていましたので、ちょっと練習したりすると暴走族ではなくても後ろ指を指されたりしました。それに加えて警察もうるさくなって、国内で芽を出すことが不可能になってしまっていたのが原因だと思います。それでも車業界はどんどんと発展を続け、日本の車の優秀性を世界に知らしめ、世界中で日本の車がどんどんと売れて世界中の人が日本車を欲しがり、その需要から関税を掛けられた日本の車はかなり高価(国内で買うよりも)になったにもかかわらず世界中で売れまくり、売れるからメーカーも開発費が掛けられ、より素晴らしい車を出してくるものですから、より良い循環が出来てどんどんと工場もでき、下請けも多くなって雇用が増え、そしてあのバブル期に入っていきました。その後も順調に売り上げを伸ばしたこの業界は日本経済にも多大な貢献をして日本は世界が認める経済大国となったのです。
 ところが、いつの間にかそれも終息を迎えました。まずは若い人たちの車離れから始まりました。要は国内では警察がうるさくてその性能を発揮することができないのですから良い車の必要がないのです。しかも都会は渋滞が激しく、待ち合わせなどでは時間通りに着かないので不便し、車を持っていればその維持費(駐車場代、保険代、税金など)が掛かるわけです。不便な物をもって維持費がかかるのではたまったものではありません。電車やバスのような公共交通手段を利用した方がよほど的を得ていたわけです。そうすると車業界に曇りが出てきました。当然開発費が減り、他の車と共通部品を使ったりして個性もなくなって来て尚更魅力が無くなってきました。そうすると尚更車離れが増して・・・今度は車業界に悪循環が起こってしまったのです。こうしてバブル期が終わり、世界が認めた日本の技術力も影をひそめてしまいました。

 今、日本は復興・復興とみんなが声を揃えていて、僕もそれに賛同しますがみんなどうしていいのか?分からないのが現実でだと思います。実際日本は国土が小さな国ですので資源があると言っても高が知れています。ところが日本には素晴らしい技術力が眠っています。ただ、開発費が出ない状況下ですからその技術力が影をひそめているだけだと思います。資源は有限ですが、技術は無限です。これを無くして皆様が満足できるほどの日本の復興はないと思います。ちなみに原発もその技術は世界に高く買われていますが、今回福島でどんな事をしたって駄目なときは駄目なのです。その上、何かがあった時には沢山の人に多大な迷惑や障害を起こすのですから、こういうことは絶対にやってはいけないと思います。勿論、放射能が即時に消せる薬でも開発されたのであればその範疇ではありませんが。
 このように、人にもその人その人の個性があるように、日本の国には日本の国としての個性があるはずです。それは何なのか?を考え、そこを重点的に伸ばしていくことが復興の一番の早道だと思います。

追加
 昨日、仕事を終えてから野暮用があって車で出かけました。4車線の道を走っていて、対向車を見ているとそのほとんどが一人で乗っています。一人を移動させるために一台の鉄の塊を動かすだけのエネルギーを使うのですからもったいない話です。と言いながらも僕も一人で乗っていましたが。雨が降りそうでしたし、何よりも寒い日だったので車しか考えれれなかったです。ちなみに、台湾では高速道路料金が乗っている人数によって変わります。あやふやですが、二人で乗っていると一人で乗っている車の半額(?)とかそういう割引があるのです。ですから、高速の乗り口にはヒッチハイクの人が沢山います。一人で乗るより二人にしてしまった方が高速代が安いからです。
 で、どうしてこんな無駄が平然と行われているのかと言いますと、そういう車しか売られていないからです。僕が思うにはチョイ乗りの車、つまりは一人乗りで少々の荷物が積めて低排気量(400㏄くらい)でそこそこ楽しめる車を作ってほしいのです。オートバイでは400㏄もあれば物凄いパワーですから一人乗りであればそこそこ走る車は出来ると思います。僕らはノロノロ走る車では嫌なのです。早く走れる車はゆっくりも走れますが、遅い車は早くは走れません。最低でも一般の車に迷惑を掛けない程度の加速、減速、操作性が欲しいのです。その昔50㏄の車が売られたりしましたが、まったく売れませんでした。それは遅すぎるくせに細い道では他の車に迷惑になったからです。一人乗りで小さくて他の迷惑にならない事。そして雨風が防げ、少々の荷物が載せられること。要はカートにボディーを付けたような車。こんな車が出来ないかなぁと思います。出来たらシャーシとエンジンは別売(マウントは一緒にしておけば積み替えも可能)にして、エンジンも選べて(パワーがあるやつとか、燃費がいいやつとか)、車のスタイルも選べるようにして・・・エアコンやオーディオ、はたまたカーナビ等もオプションで。・・・その他シートの色や形なども色々と選べる。・・・つまりはユーザーの好みがそのまま反映することができる車。こんなのが出来たら日本らしさだと思います。

今回は車に例を取ってお話ししましたが、日本の技術を生かす方法はまだまだ沢山あると思います。日本の技術の潜在能力は物凄いはずです。原発のように人に迷惑を掛けない分野では開発費が無かっただけです。もっともっと日本の素晴らしさ、そして日本らしさを世界にアピールして、尚且つ日本の潜在能力が潜在でなくなるようになれば素晴らしい事だと思いませんか!