乗客の安全管理を軽視して運行しているのは、JR西日本だけではなかった。私は偶然、その実態を目の当たりにすることとなった。
27日夕方のこと。私はJR武蔵野線東川口駅から乗車して、南浦和駅で下車した。乗車したのが16時58分という学生達が乗り込む時間であったこともあり、車内はかなりの込み具合であった。私の前に幼児を抱いた母親がいたが、席を代わろうとする者がいなかった。そんな状態だから松葉杖の私を見ても席を立とうとする者はいなかった。普段「社会的弱者」に席を譲るよう声掛けする私も込み合った車内で争いごとになるのも懸命でないと、大きな顔をして席に座る若者に声をかけることをしなかった。
問題の場面は、電車が南浦和駅に着いてから起きた。
乗り込んだ電車のドアが階段の前に止まることもあり、乗降客の数が他のドアよりもかなり多かった。私は開いたドアの反対側に押し込まれたままであったので、降りるのが最後の方になった。降車する客の数の多さから来ることだろうが、私が降車し終わるのを待たずに乗り込んでくる客が数人いた。バランスを失いかけた私を気遣う余裕はないらしく、その後も客は先を競って乗り込んできた。
何とかそれでも降車した私は、列の最後尾に幼児を抱いた母親がいるのを目にした。母子を気遣って先に乗せようとする者はいない。危険を感じた私は、そのドアの前から少し離れた場所で、状況を見守った。その時である。母親の身体が半分入ったかどうかという状況で、電車のドアが閉められたのだ。信じられない光景であった。
両肩をドアで挟まれたものの彼女は何とか車内に身体を滑り込ます事ができて事なきを得た。そして電車は何事もなかったかのようにそのまま発車した。
私は、最後部車両が近付いてくると、車掌に向かって、松葉杖を振り上げ「どこを見てるんだ」と怒鳴った。すると、なんと、彼は私に目を合わすことなく無視をして前方を見ていた。
この駅で車掌が交代することを知っている私は、乗務を終えたばかりの車掌の責任もあるからと、声を上げながら松葉杖を最速ギアに切り換え(そんなものないですね)、車掌に向かって突進(?)した。
降車した車掌は2人いた。2人のうち1人は駅員かと見ていたのだが、この駅まで2人とも乗務していたという。ということは、3人の車掌がいながらあのような危険な状況を作り出していたということになる。
何という「安全管理」なのか。乗客がいながらドアを閉めてしまうことが大都会の交通機関で“常識化”しているとはいえ、今回の場合、ドアに挟まれたのは「社会的弱者」だ。JRは、優先席に幼子を抱えた親のイラストを掲げているくらいだから、特別の配慮が必要なはずではないか。
実は2年か3年前、私自身が東川口駅で乗車時にドアに挟まれた事がある。体験者にしか分からないことだが、このドアが閉まる圧力は想像以上に強くて身体に来る衝撃は、大人で比較的体格のいい私でも痛みを感じる強さだ。その時、前に年老いた女性がいてその方が当然のことだがゆっくりと電車に乗り込んだため、恐らくそれにいら立った車掌がドアを閉めたのだろう。そう判断した私は、南浦和駅で乗務を終えて車掌室に向かう車掌をつかまえ、車掌室に乗り込み、車掌の上司である助役にJR東日本が「安全運行」を最優先するとの確約をさせた。
「ドア挟まれ事故」は、これまで多く起きており、死者まで出ているのにその実態が意外に知られていない。10年前の新幹線三島駅で手をはさまれたまま引きずられて乗客が死亡したことは、死亡事故であるだけに記憶に留められている方も少なくないだろうが、その翌年にはJR西日本の宇治駅で10歳の少年がドアに挟まれて引きずられ、線路に転落している。また2002年には、JR京葉線の東京駅で父親ともう一人の子どもに続いて車内に乗り込もうとした母親がベビーカーを押したところドアが閉まり、ベビーカーの片方の前輪を挟んだまま発車し、男児(2歳)を乗せたまま約20メートル引きずった。不幸中の幸いだが男児は額に受けた軽いけがですんだ。最近では昨年12月、JR総武線新小岩駅で、39歳の男性がジャンパーをドアに挟まれたままホーム上を約80メートル引きずられ、3ヶ月の重傷を負っている。
他にも、「ドア挟まれ事故」はある。しかし、その教訓は活かされず、都会では日常的に乗客をドアに挟み続けている。
私に吊るし上げを食った2人の車掌の内1人Yは年恰好からいってもヴェテランであり、若い車掌のミスを補完したり、指導する立場にあるはずだ。ところが彼は、何を怒っているんだとばかりに薄笑いを浮かべながら、最初は自分が乗務を終えていると言い張った。私に「駅構内にいる限り勤務中で責任があるはずだ」とつかれると、Yは「後部を見ていたから目に入らなかった」と責任逃れをした。そのふざけた責任逃れの態度もあって大声で激怒する私に、乗客たちは何ごとかと見守り、駅員もすわトラブル発生!とぞろぞろと集まってきた。
ただ、次に到着する電車のこともあるので私はその場を離れ、駅長室に抗議の場を移した。ところが駅長は不在で助役Tと話す事になった。T助役はひたすら謝罪(謝罪する相手が違うのだが)して、徹底的な調査をすると約束した。私は今回の出来事を踏まえた、今後の安全対策を含む報告書の提出を求めた。そして、「あなたが私のパイプ役ですよ」と念を押した。
しかしながらしばらくして私の携帯にかけてきたTは、他の助役への引継ぎを言ってきた。引継ぎをして怖いのは、「情報の聞き漏れ・取り違え」だ。私は仕方なく大元のJR東日本広報部をターゲットに変えた。
電話に出た広報部員Yはしっかりした対応で、前向きな姿勢が感じられた。たYの説明によると、今後の対応は他の部署が担当なのでと言われ、それに対しては仕方なく素直に従った。
数時間後、私に連絡をしてきた担当者は、まず、当該電車に乗務していた車掌の聞き取り調査の結果を報告した。
「乗客が全て乗り込むのをモニターを見て前方2両をチェックして、その他の車両を自分の目で見て確認をした後、笛を吹き、ベルを鳴らし…」
その説明は、まるで車掌に渡されたマニュアルを読むかのようであった。早い話が、電車に全ての客が乗るのを待ち、決められた安全確認事項は欠かさず行ない十分余裕を持って発車したと言いたいようである。その説明では、車掌が乗客の乗り込み確認をしてからドアを閉めるまで最低10秒は待ったことになる。冗談ではない。それでは私が大げさに騒ぎ立てていることになる。担当者はあまり考えずに言っているのだろうが、10秒というのは、分かりにくい方はオリンピックの陸上競技の花である100メートル競走を思い起こしていただければ分かりやすいだろうが、人間の一つの動きの中ではそんなに短いものではない。全乗客が乗り込んでからそんなに時間が経過していたら母親がドアに挟まるわけがないではないか。
さらに、担当者は、現在JR東日本が安全運行に関する「5カ年計画」を実施中で、社員計画にも力を入れていると、“丁寧に”説明した。空疎な、危機意識がまるで感じられぬ説明であった。こういったやる気のない対応を聞き流すことも出来るだろう。だが、私の中に沸々と「やる気」が湧いてきた。大人の1人として、これを許すまいという気持ちが固まったのだ。「危機管理」を専門の一つとする以上、これを聞き流してしまうことはできない。何もしないで将来、「ドア挟まれ事故」で犠牲者が出たら、特に子供や社会的弱者といわれる人たちが犠牲になったら悔やんでも悔やみきれないだろう。これまでの経験と知識をフル稼働してJRに改善を迫っていくつもりである。読者の皆さんの中で、様々な経験やお考えをお持ちの方がいるはずである。このブログのコメント欄でなくて私のメールアドレス宛でも結構です。どうぞご意見や経験談をお寄せ下さい。
27日夕方のこと。私はJR武蔵野線東川口駅から乗車して、南浦和駅で下車した。乗車したのが16時58分という学生達が乗り込む時間であったこともあり、車内はかなりの込み具合であった。私の前に幼児を抱いた母親がいたが、席を代わろうとする者がいなかった。そんな状態だから松葉杖の私を見ても席を立とうとする者はいなかった。普段「社会的弱者」に席を譲るよう声掛けする私も込み合った車内で争いごとになるのも懸命でないと、大きな顔をして席に座る若者に声をかけることをしなかった。
問題の場面は、電車が南浦和駅に着いてから起きた。
乗り込んだ電車のドアが階段の前に止まることもあり、乗降客の数が他のドアよりもかなり多かった。私は開いたドアの反対側に押し込まれたままであったので、降りるのが最後の方になった。降車する客の数の多さから来ることだろうが、私が降車し終わるのを待たずに乗り込んでくる客が数人いた。バランスを失いかけた私を気遣う余裕はないらしく、その後も客は先を競って乗り込んできた。
何とかそれでも降車した私は、列の最後尾に幼児を抱いた母親がいるのを目にした。母子を気遣って先に乗せようとする者はいない。危険を感じた私は、そのドアの前から少し離れた場所で、状況を見守った。その時である。母親の身体が半分入ったかどうかという状況で、電車のドアが閉められたのだ。信じられない光景であった。
両肩をドアで挟まれたものの彼女は何とか車内に身体を滑り込ます事ができて事なきを得た。そして電車は何事もなかったかのようにそのまま発車した。
私は、最後部車両が近付いてくると、車掌に向かって、松葉杖を振り上げ「どこを見てるんだ」と怒鳴った。すると、なんと、彼は私に目を合わすことなく無視をして前方を見ていた。
この駅で車掌が交代することを知っている私は、乗務を終えたばかりの車掌の責任もあるからと、声を上げながら松葉杖を最速ギアに切り換え(そんなものないですね)、車掌に向かって突進(?)した。
降車した車掌は2人いた。2人のうち1人は駅員かと見ていたのだが、この駅まで2人とも乗務していたという。ということは、3人の車掌がいながらあのような危険な状況を作り出していたということになる。
何という「安全管理」なのか。乗客がいながらドアを閉めてしまうことが大都会の交通機関で“常識化”しているとはいえ、今回の場合、ドアに挟まれたのは「社会的弱者」だ。JRは、優先席に幼子を抱えた親のイラストを掲げているくらいだから、特別の配慮が必要なはずではないか。
実は2年か3年前、私自身が東川口駅で乗車時にドアに挟まれた事がある。体験者にしか分からないことだが、このドアが閉まる圧力は想像以上に強くて身体に来る衝撃は、大人で比較的体格のいい私でも痛みを感じる強さだ。その時、前に年老いた女性がいてその方が当然のことだがゆっくりと電車に乗り込んだため、恐らくそれにいら立った車掌がドアを閉めたのだろう。そう判断した私は、南浦和駅で乗務を終えて車掌室に向かう車掌をつかまえ、車掌室に乗り込み、車掌の上司である助役にJR東日本が「安全運行」を最優先するとの確約をさせた。
「ドア挟まれ事故」は、これまで多く起きており、死者まで出ているのにその実態が意外に知られていない。10年前の新幹線三島駅で手をはさまれたまま引きずられて乗客が死亡したことは、死亡事故であるだけに記憶に留められている方も少なくないだろうが、その翌年にはJR西日本の宇治駅で10歳の少年がドアに挟まれて引きずられ、線路に転落している。また2002年には、JR京葉線の東京駅で父親ともう一人の子どもに続いて車内に乗り込もうとした母親がベビーカーを押したところドアが閉まり、ベビーカーの片方の前輪を挟んだまま発車し、男児(2歳)を乗せたまま約20メートル引きずった。不幸中の幸いだが男児は額に受けた軽いけがですんだ。最近では昨年12月、JR総武線新小岩駅で、39歳の男性がジャンパーをドアに挟まれたままホーム上を約80メートル引きずられ、3ヶ月の重傷を負っている。
他にも、「ドア挟まれ事故」はある。しかし、その教訓は活かされず、都会では日常的に乗客をドアに挟み続けている。
私に吊るし上げを食った2人の車掌の内1人Yは年恰好からいってもヴェテランであり、若い車掌のミスを補完したり、指導する立場にあるはずだ。ところが彼は、何を怒っているんだとばかりに薄笑いを浮かべながら、最初は自分が乗務を終えていると言い張った。私に「駅構内にいる限り勤務中で責任があるはずだ」とつかれると、Yは「後部を見ていたから目に入らなかった」と責任逃れをした。そのふざけた責任逃れの態度もあって大声で激怒する私に、乗客たちは何ごとかと見守り、駅員もすわトラブル発生!とぞろぞろと集まってきた。
ただ、次に到着する電車のこともあるので私はその場を離れ、駅長室に抗議の場を移した。ところが駅長は不在で助役Tと話す事になった。T助役はひたすら謝罪(謝罪する相手が違うのだが)して、徹底的な調査をすると約束した。私は今回の出来事を踏まえた、今後の安全対策を含む報告書の提出を求めた。そして、「あなたが私のパイプ役ですよ」と念を押した。
しかしながらしばらくして私の携帯にかけてきたTは、他の助役への引継ぎを言ってきた。引継ぎをして怖いのは、「情報の聞き漏れ・取り違え」だ。私は仕方なく大元のJR東日本広報部をターゲットに変えた。
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数時間後、私に連絡をしてきた担当者は、まず、当該電車に乗務していた車掌の聞き取り調査の結果を報告した。
「乗客が全て乗り込むのをモニターを見て前方2両をチェックして、その他の車両を自分の目で見て確認をした後、笛を吹き、ベルを鳴らし…」
その説明は、まるで車掌に渡されたマニュアルを読むかのようであった。早い話が、電車に全ての客が乗るのを待ち、決められた安全確認事項は欠かさず行ない十分余裕を持って発車したと言いたいようである。その説明では、車掌が乗客の乗り込み確認をしてからドアを閉めるまで最低10秒は待ったことになる。冗談ではない。それでは私が大げさに騒ぎ立てていることになる。担当者はあまり考えずに言っているのだろうが、10秒というのは、分かりにくい方はオリンピックの陸上競技の花である100メートル競走を思い起こしていただければ分かりやすいだろうが、人間の一つの動きの中ではそんなに短いものではない。全乗客が乗り込んでからそんなに時間が経過していたら母親がドアに挟まるわけがないではないか。
さらに、担当者は、現在JR東日本が安全運行に関する「5カ年計画」を実施中で、社員計画にも力を入れていると、“丁寧に”説明した。空疎な、危機意識がまるで感じられぬ説明であった。こういったやる気のない対応を聞き流すことも出来るだろう。だが、私の中に沸々と「やる気」が湧いてきた。大人の1人として、これを許すまいという気持ちが固まったのだ。「危機管理」を専門の一つとする以上、これを聞き流してしまうことはできない。何もしないで将来、「ドア挟まれ事故」で犠牲者が出たら、特に子供や社会的弱者といわれる人たちが犠牲になったら悔やんでも悔やみきれないだろう。これまでの経験と知識をフル稼働してJRに改善を迫っていくつもりである。読者の皆さんの中で、様々な経験やお考えをお持ちの方がいるはずである。このブログのコメント欄でなくて私のメールアドレス宛でも結構です。どうぞご意見や経験談をお寄せ下さい。
不足しています。手術件数の増加にはさまざまな要因がありますが、ひとつは「医療技術の向上」ということがあります。ひと昔まえなら、「とても手術など無理」とされてきた状態の悪い患者さんが手術室にお越しになるケースがずいぶん増えました。アイロニカルですが医師側としてはより多くの「リスク」を背負い込むことにもなります。さらにいえば近年の訴訟事案の急上昇も常に私たちの頭のある部分を占めています。このことは私たちから困難な状況に立ち向かう「勇気」を奪います。誤解を恐れずに言い換えればこれは医療サービスを享受する側の「求めるもの」の増加ということかもしれません。もちろん、なるべくして「訴訟」と相成ったケースの多いこともわかりますが。
十分なスタッフはいないのに、こなすべき手術の数が増えてゆく、そしていままで経験のないような状態の悪い患者さんもやってくる。「訴えられるカモ・・」とおびえながら。病院幹部からのメールはいつもこうです。「手術件数の向上めざして努力せよ。しかしミスは許さない。」
今回の件、成り行きに興味があります。改めて思うのは、JRの供給するサービスと、それを享受する側の「求めるもの」のアンバランスが広がっているのではないか、ということです。他社との競争や、時間通りの運行など、大衆の求めるものが大きすぎるという事情あるのかもしれません。JRであろうとわれわれ医療業界であろうと、その最優先事項に「安全」がくるべきであって、それ以外のところにエネルギーをさかざるを得ない状況を深く憂慮するものです。
浅井氏のように毅然とした態度はつねに必要だと思います。
あ、医者として発言させてもらうなら、ギプスが外れようというときにまた転倒なんて聞かされると・・・
さぞやっかいな患者さんなんでしょうねぇ・・・
ごめんなさい。笑ってしまいました。一つ前のお医者さんのコメントの最後が、あまりにも浅井氏の人柄をうまくスケッチしておられるようで。松葉杖を最速ギアにきりかえてホームを突進していらっしゃる浅井氏の姿が浮かんできて(他人のために)、頼もしいというか、胸が熱くなるというか、感動しました。
転倒なさることなく、ギプスが無事とれますように。
yasuhikoさんが書かれている「白い虚塔」の世界、怖いですね。私も医者をやっている友人が結構多くて、その種の話を聞いています。「白い虚塔」の平成版が必要ですね。
ゆりさん、私は「他人のため」になんかやっておりませんよ。あくまでも自分の気の向くままに行動しているだけです。もちろん、ほめられるのは大好きですが…。