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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

三文オペラと化した脱線事故報道

2005-05-06 01:39:19 | Weblog
 尼崎脱線事故から10日が経過し、JR西日本に関わる問題が次々に起きている。それを受けて、マスコミと世論が「JR西日本叩き」で明け暮れている。
 私は事故直後、マスコミに先駆けて、運転士が生きていれば自死に追い込みかねないような風潮に釘をさした。JR西日本の体質に最も早く着目して事故の遠因はそこにあると指摘したつもりでいる。だが、このところのマスコミ報道を見ていると、あまりに行き過ぎだ。
 事故直後、私が指摘したように、事故の遠因の一つは、「早く、正確でなければ電車じゃない」という世間の風潮にある。そんなせっかちさな国民性が、世の中の価値観を固定させ、会社や役所に知らず知らずの内に重圧をかけて来たのだ。
 もちろん、運転士の行動を、JR西日本の落ち度を報道するなと言っているのではない。「井戸端会議」で取り上げるなと言っているのではない。皆さんお分かりのように、事件や事象には様々な“顔”があり、それをバランスよく検証するから全体像が見えてくるのではないか、と言いたいのだ。マスコミ報道も世論も、一つの情報で、右に行けば右向け右、左に行けば…。これでは、あまりにさみし過ぎるし、危険だ。
「人間は考える葦である」とは、フランスの物理学者パスカルが言った有名な言葉だが、今の日本の「考えるなんてメンドー」という風潮は、日本の危険な将来を示唆しているような気がしてならない。こういう時こそ、物事を俯瞰して「情報を読む」ことが大切なのだ。

松葉杖で演奏中

2005-05-06 00:38:12 | Weblog
 「取材ヘリの問題に取り組む」等と決意表明をした2時間後、埼玉県立博物館で行なわれている「年中行事絵巻」と題する展覧会を観に行こうと、アパートの外階段を歩いて降りようとした時、一大事(もちろん個人的なことだが)が起きた。
 先に下りて路上で待つパートナーと読みかけの本の話をしつつ、隣家の猫ジミーの姿を探していたのが禍したのだが、階段を踏み外したのだ。それも、1段ではなく2段分落ちたようだ。幸いにして柔道をやっていたのがこういう時に助けになるものだが、顎を引く癖があるから後頭部をぶつけることはなかった。
 激痛が走ったが、彼女が前々から観に行きたがっていた展覧会だ。
「今日しか残された日はない」
 そう自分に言い聞かせて虚勢を張って立ち上がったものの、痛くて踵を地面につけられない。「折ったかな」との不安が頭をよぎった。私は歩く時、足元を見ずに前や上ばかり見ているようで、小さい頃から古釘を踏んだり、どぶに落ちたりしてきた。かつて「田舎の香水」と言われた肥溜めに落ちかかったことも一度や二度ではない。数ヶ月前にも駅の階段で同様の転落を経験している。そんな歩き方だから、余談だが、路上に落ちた金を拾った経験もない。
 119番で休日救急診療の病院を探してもらうが、この日は「旧浦和市内の病院で診てくれる所はない」と言われた。そこで、隣の蕨市にある市立病院に駆け込んだ。
 診断は、くるぶし骨折。それも、手術する可能性があるかもと指摘された。当直の医者は、あまり話していると、その内説教をしたくなるような礼を欠いた医者であったので、指示通り6日に専門医に再診してもらうことにした。
 こういう時にありがたいのは、家族の存在だ。今朝電話でニューヨークに赴任するTV局の友人が「まだ続いてるの?」と言うほど、世間的には“常識破り(と言っても、年齢だけ)”のカップルだが、他の面では、恐ろしいほど価値観を共有できている。こんな松葉杖姿のオッサンを「可愛い」などと勘違いしている部分については、つけているコンタクトの度が狂っているか、今朝飲んだコーヒーに悪いものが混ざっていたのだろう。ただ、こちらにとってこの表現、間違っているとはいえ、これまで言われた事がなかったから、決して耳障りではないのでこのままにしておこうと思っている。
 8日から行こうと決めていた伊豆への小旅行もやめようと彼女が言ってくれた。また、昨年お邪魔してとても気に入った旅館に、状況を説明して近くのバス停への送迎が可能か訊ねると、キャンセル料はいいから取り止めたらと言ってくれた。この世知辛い世の中にあって、こういう思いやりはこちらの心に響いてくる。医者から止められても松葉杖で出かける決意だ。
 ただ、同じ決意でも、「災害時のヘリ」については、しばらくは様子見せざるを得ない状況になってしまった。