尼崎脱線事故から10日が経過し、JR西日本に関わる問題が次々に起きている。それを受けて、マスコミと世論が「JR西日本叩き」で明け暮れている。
私は事故直後、マスコミに先駆けて、運転士が生きていれば自死に追い込みかねないような風潮に釘をさした。JR西日本の体質に最も早く着目して事故の遠因はそこにあると指摘したつもりでいる。だが、このところのマスコミ報道を見ていると、あまりに行き過ぎだ。
事故直後、私が指摘したように、事故の遠因の一つは、「早く、正確でなければ電車じゃない」という世間の風潮にある。そんなせっかちさな国民性が、世の中の価値観を固定させ、会社や役所に知らず知らずの内に重圧をかけて来たのだ。
もちろん、運転士の行動を、JR西日本の落ち度を報道するなと言っているのではない。「井戸端会議」で取り上げるなと言っているのではない。皆さんお分かりのように、事件や事象には様々な“顔”があり、それをバランスよく検証するから全体像が見えてくるのではないか、と言いたいのだ。マスコミ報道も世論も、一つの情報で、右に行けば右向け右、左に行けば…。これでは、あまりにさみし過ぎるし、危険だ。
「人間は考える葦である」とは、フランスの物理学者パスカルが言った有名な言葉だが、今の日本の「考えるなんてメンドー」という風潮は、日本の危険な将来を示唆しているような気がしてならない。こういう時こそ、物事を俯瞰して「情報を読む」ことが大切なのだ。
私は事故直後、マスコミに先駆けて、運転士が生きていれば自死に追い込みかねないような風潮に釘をさした。JR西日本の体質に最も早く着目して事故の遠因はそこにあると指摘したつもりでいる。だが、このところのマスコミ報道を見ていると、あまりに行き過ぎだ。
事故直後、私が指摘したように、事故の遠因の一つは、「早く、正確でなければ電車じゃない」という世間の風潮にある。そんなせっかちさな国民性が、世の中の価値観を固定させ、会社や役所に知らず知らずの内に重圧をかけて来たのだ。
もちろん、運転士の行動を、JR西日本の落ち度を報道するなと言っているのではない。「井戸端会議」で取り上げるなと言っているのではない。皆さんお分かりのように、事件や事象には様々な“顔”があり、それをバランスよく検証するから全体像が見えてくるのではないか、と言いたいのだ。マスコミ報道も世論も、一つの情報で、右に行けば右向け右、左に行けば…。これでは、あまりにさみし過ぎるし、危険だ。
「人間は考える葦である」とは、フランスの物理学者パスカルが言った有名な言葉だが、今の日本の「考えるなんてメンドー」という風潮は、日本の危険な将来を示唆しているような気がしてならない。こういう時こそ、物事を俯瞰して「情報を読む」ことが大切なのだ。