イラクで武装勢力の待ち伏せ攻撃に出遭い、まさしく九死に一生を得たもののそのまま武装ゲリラに連れ去られた英国警備会社「ハート危機管理」社員、齋藤昭彦さんの安否は依然として確認されていない。
情報を総合すると、齋藤さんは高校中退後陸上自衛隊に入り、2年ほど在籍しただけで海外に“活躍の場”を求めて出て行ったという。陸自では、「習志野駐屯部隊・第1空挺団」に所属したというくらいだから戦闘員としての能力にはよほどの自信があったのだろう。第1空挺団は、自衛隊の中でも精鋭が集まる落下傘部隊として知られ、数少なくない「空挺上がり」が海外に職を求めている。
海外に職を求めると言っても、彼らの場合は、「外人部隊」や「外国軍」の傭兵になる道を選ぶ。まるで「硝煙」の臭いに魅かれるかのように戦場に赴く若者は引きも切らない。
一部報道では、齋藤さんはフランスの外人部隊に20年ほど在籍していたとの事だから、この世界でもヴェテランの部類に入る。ハート危機管理という会社が、世界の特殊部隊の中でも最精鋭と言われるSAS出身者で作られていることからして、齋藤さんは間違いなく「一線級の戦闘員」だ。
齋藤さんと聞いて、私は「もしやあの時の日本人?」と瞬時に思った。それは、これまで取材現場で2度3度と会い損ねてしまった日本人傭兵のことが頭を掠めたからだ。1度はレバノン、そしてもう1度は旧ユーゴスラビアの戦場で日本人戦闘員が前線に出ていると聞き、人を介して話をしたいと取材を申し入れた。だがいずれの場合も、はっきりとした理由もなく申し出は断られた。
その傭兵の名は、現地人だから当然と言えば当然だが、紹介者はきちんと発音できず、サトウであったか、サイトウであったかは確認できていない。また、仮にサイトウであったとしても、今回人質になった人物と同一かどうかは分からない。また、レバノンで一度、日本人と思しき(同じ東洋人でも何か“臭い”が違うんですよね)戦闘員を見かけた事があり、声をかけて追ったが逃げられてしまったこともある。
英国の傭兵については、かつてSASに所属し、その後、“警備会社”を設立して、海外の戦場に戦闘員を送り出していた「戦争の犬」とあだ名されていた男に数日間密着取材した事がある。彼は生活のどの場面を切り取っても、「戦闘マシーン」そのものであった。仕事中や街を歩く時はもちろん、家の中にいる時も神経は常に張り詰め、気をぬく気配はない。「いつ息を抜くのか」と聞くと、「そんな時はないよ」と答え、笑いながら身体にできた傷を見せた。見せてくれた上半身や足には無数の傷が刻まれていた。
日本の報道では、齋藤さんの職業を警備会社社員と紹介しているが、実態は「警備」という言葉から受けるイメージからは大きくかけ離れた世界にいる人物である。警備会社というよりも民間軍事会社又は民間武装部隊といった表現が似つかわしい存在である。つまり、齋藤さんは、現地人だけでなく欧米の兵士達や復興業者からも「戦闘員」と思われている人なのだ。一般民間人とは違うのだ。私はここで齋藤さん達のような道を選ぶ人たちの人生の選択の是非を論ずるつもりはない。ただ、ファルージャの戦闘のきっかけになった「黒焦げにされた4人の米人民間人」の時もそうであったが、実態を知らないマスコミが勝手に渦中の人物のイメージを作り上げて、ヒーローにしてしまうのを恐れるのだ。そうすれば自然のことだが、「アラブ憎し」「イラク人は野蛮」の大合唱が起こりかねない。
状況を考えれば、残念ながら齋藤さんが最悪の結末を迎える可能性は100%に近い。小泉さんが、自衛隊を撤退するとでも言えば話は別だが、余程の条件を提示しない限りは齋藤さんを救出することは不可能である。残された可能性は、米英軍が力ずくで奪い返すことだが、外国人で生存していたのが唯一日本人の齋藤さんだけだとすると、そこまで米英政府が危険を冒すとは考えにくい。あるとすれば、齋藤さんを拉致したグループが偶然米軍の他の作戦に引っかかってくるケースだ。日本の首相官邸もその辺りは良く分かっているようで、第一報が入った時から「あきらめムード」が漂っているという。皆さん、メディアで伝えられている「全力を尽くす」などという政府関係者の言葉にはくれぐれも騙されないように!
情報を総合すると、齋藤さんは高校中退後陸上自衛隊に入り、2年ほど在籍しただけで海外に“活躍の場”を求めて出て行ったという。陸自では、「習志野駐屯部隊・第1空挺団」に所属したというくらいだから戦闘員としての能力にはよほどの自信があったのだろう。第1空挺団は、自衛隊の中でも精鋭が集まる落下傘部隊として知られ、数少なくない「空挺上がり」が海外に職を求めている。
海外に職を求めると言っても、彼らの場合は、「外人部隊」や「外国軍」の傭兵になる道を選ぶ。まるで「硝煙」の臭いに魅かれるかのように戦場に赴く若者は引きも切らない。
一部報道では、齋藤さんはフランスの外人部隊に20年ほど在籍していたとの事だから、この世界でもヴェテランの部類に入る。ハート危機管理という会社が、世界の特殊部隊の中でも最精鋭と言われるSAS出身者で作られていることからして、齋藤さんは間違いなく「一線級の戦闘員」だ。
齋藤さんと聞いて、私は「もしやあの時の日本人?」と瞬時に思った。それは、これまで取材現場で2度3度と会い損ねてしまった日本人傭兵のことが頭を掠めたからだ。1度はレバノン、そしてもう1度は旧ユーゴスラビアの戦場で日本人戦闘員が前線に出ていると聞き、人を介して話をしたいと取材を申し入れた。だがいずれの場合も、はっきりとした理由もなく申し出は断られた。
その傭兵の名は、現地人だから当然と言えば当然だが、紹介者はきちんと発音できず、サトウであったか、サイトウであったかは確認できていない。また、仮にサイトウであったとしても、今回人質になった人物と同一かどうかは分からない。また、レバノンで一度、日本人と思しき(同じ東洋人でも何か“臭い”が違うんですよね)戦闘員を見かけた事があり、声をかけて追ったが逃げられてしまったこともある。
英国の傭兵については、かつてSASに所属し、その後、“警備会社”を設立して、海外の戦場に戦闘員を送り出していた「戦争の犬」とあだ名されていた男に数日間密着取材した事がある。彼は生活のどの場面を切り取っても、「戦闘マシーン」そのものであった。仕事中や街を歩く時はもちろん、家の中にいる時も神経は常に張り詰め、気をぬく気配はない。「いつ息を抜くのか」と聞くと、「そんな時はないよ」と答え、笑いながら身体にできた傷を見せた。見せてくれた上半身や足には無数の傷が刻まれていた。
日本の報道では、齋藤さんの職業を警備会社社員と紹介しているが、実態は「警備」という言葉から受けるイメージからは大きくかけ離れた世界にいる人物である。警備会社というよりも民間軍事会社又は民間武装部隊といった表現が似つかわしい存在である。つまり、齋藤さんは、現地人だけでなく欧米の兵士達や復興業者からも「戦闘員」と思われている人なのだ。一般民間人とは違うのだ。私はここで齋藤さん達のような道を選ぶ人たちの人生の選択の是非を論ずるつもりはない。ただ、ファルージャの戦闘のきっかけになった「黒焦げにされた4人の米人民間人」の時もそうであったが、実態を知らないマスコミが勝手に渦中の人物のイメージを作り上げて、ヒーローにしてしまうのを恐れるのだ。そうすれば自然のことだが、「アラブ憎し」「イラク人は野蛮」の大合唱が起こりかねない。
状況を考えれば、残念ながら齋藤さんが最悪の結末を迎える可能性は100%に近い。小泉さんが、自衛隊を撤退するとでも言えば話は別だが、余程の条件を提示しない限りは齋藤さんを救出することは不可能である。残された可能性は、米英軍が力ずくで奪い返すことだが、外国人で生存していたのが唯一日本人の齋藤さんだけだとすると、そこまで米英政府が危険を冒すとは考えにくい。あるとすれば、齋藤さんを拉致したグループが偶然米軍の他の作戦に引っかかってくるケースだ。日本の首相官邸もその辺りは良く分かっているようで、第一報が入った時から「あきらめムード」が漂っているという。皆さん、メディアで伝えられている「全力を尽くす」などという政府関係者の言葉にはくれぐれも騙されないように!