昨年3月末、ファルージャで米人4人が殺害され、怒り狂った住民たちに死体を引きずり回された挙句、鉄橋に吊るし上げられた。マスコミは黒焦げ死体写真を掲載しなかったものの、現場の状況を克明に描写して一斉に「米民間人が犠牲になった」と報じた。あたかも「イラクの復興」のために頑張っているアメリカ復興業者を恩知らずの野蛮なイラク人が虐待したと言わんばかりであった。
私は4人の“民間人”の素性を調べ上げ、すぐに彼らが民間人ではなく、ブラックウォーターという「戦争請負会社」の従業員、つまりは傭兵だと皆さんに伝えた。私の他にも、同様の解説や報道をするHPやブログは見られたが、マスコミの圧倒的な情報量の前に敵うはずはなく、日本の世論は「野蛮なイラク人」に傾いていった。
その後、ジャーナリストの橋田さんが橋渡しをしたムハンマド君の姿を目の当たりにしたり、ファルージャの制圧のニュースが入るようになり、マスコミの伝え方が変わってきたことも影響して、見方を考え直す動きも出てきた。
しかしそれでも、まだまだ「警備会社」の実態は理解されることはなかった。今回の齋藤さんが連れ去られた事件でマスコミが踏み込んだ書き方をして初めてイラクにおける警備会社の素性が明らかにされたのだ。
これら警備会社と名乗る、「戦争請負会社」又は「民間軍事会社」は今に始まったものではない。かつては、フランスの外人部隊のような軍服に身を固め、自動小銃で武装する、一見して「戦闘員」と分かる組織であった。
フォーサイスのような著名な作家によって実態を暴かれ、「戦争の犬」と名付けられると、国際世論は彼らに非難のシュプレヒコールを挙げるようになった。
そこで、「security(安全又は警備)」「risk management(危機管理)」といったイメージのよい単語をつけた会社が目立つようになり、やがて「隙間産業」として勢いを増した。
今回のイラク戦争でもそうだが、派兵の数、戦死者の数、戦費の額はマスコミの手で国民の目や耳に直接伝わっていく。それらの数が増えれば増えるほど、当然のことだが反戦の気運が高まる。そこで考えられたのが「戦争の民営化」だ。
米軍はこれまでで最高15万人の米兵をイラクに送り込み、今でも13万8千人が駐留している。米兵の戦死者は1600人を超えた。戦費はかさむばかりだ。これを一部肩代わりをさせようと、約2万人の“民間人”が送り込まれている。彼らが戦闘で死のうと、米軍の戦死者数が増えるわけではない。民間会社に払われる経費も「復興事業費」だから納税者の目はごまかせるし、同盟国などに請求して肩代わりさせることも出来る。「戦争の民営化」は、ブッシュ政権にとっては妙案そのものなのだ。
そこに組み込まれたプロの傭兵は、これまでとは桁違いの報酬を手に入れられると聞き、イラクに殺到した。フランスの外人部隊のメンバーは、私が80年代に取材した頃の話しだが、安月給に不満を持つものが多かった。危険手当を含めて月給約1000ドル(当時の為替レートで10数万円)だったから不満を持つのも当然のことだ。しかし、聞くところによると、今もその給料はほとんど上げられてないという。イラクで米軍の請負仕事をすれば、一日500ドルから1000ドルもらえる、しかも好きな戦争が出来るというのだ、彼らが殺到しないわけはなかった。もちろん、私は齋藤さんの名誉のために行っておくが、彼がイラクに行った動機についてはカネの為であったかどうかは知らない。
情報の一部では、齋藤さんの他にもイラクで活動をしている日本人がいるとの事だ。また、齋藤さんの話を聞いて、これから出かける者もいるだろう。聞くところによると、齋藤さんの生き方は、少なくない若者の心を捉えたらしい。
ただ、私は多くの戦場に足を踏み入れた年長者として忠告をしておく。このような「間違った戦争」に「間違った関わり方」をしないようにして欲しい。職種としては、高給の「復興請負業者」や「警備員」かもしれないが、実態は「戦争の犬」なのだ。プライドの高い地元民にとって、軍服を脱いだだけの戦闘員は、イラクを不法占領し、彼らの生活を破壊している憎むべき対象であることを忘れて欲しくない。ファルージャの「袋叩き」の再現の当事者になる可能性だってあるのだ。
私は4人の“民間人”の素性を調べ上げ、すぐに彼らが民間人ではなく、ブラックウォーターという「戦争請負会社」の従業員、つまりは傭兵だと皆さんに伝えた。私の他にも、同様の解説や報道をするHPやブログは見られたが、マスコミの圧倒的な情報量の前に敵うはずはなく、日本の世論は「野蛮なイラク人」に傾いていった。
その後、ジャーナリストの橋田さんが橋渡しをしたムハンマド君の姿を目の当たりにしたり、ファルージャの制圧のニュースが入るようになり、マスコミの伝え方が変わってきたことも影響して、見方を考え直す動きも出てきた。
しかしそれでも、まだまだ「警備会社」の実態は理解されることはなかった。今回の齋藤さんが連れ去られた事件でマスコミが踏み込んだ書き方をして初めてイラクにおける警備会社の素性が明らかにされたのだ。
これら警備会社と名乗る、「戦争請負会社」又は「民間軍事会社」は今に始まったものではない。かつては、フランスの外人部隊のような軍服に身を固め、自動小銃で武装する、一見して「戦闘員」と分かる組織であった。
フォーサイスのような著名な作家によって実態を暴かれ、「戦争の犬」と名付けられると、国際世論は彼らに非難のシュプレヒコールを挙げるようになった。
そこで、「security(安全又は警備)」「risk management(危機管理)」といったイメージのよい単語をつけた会社が目立つようになり、やがて「隙間産業」として勢いを増した。
今回のイラク戦争でもそうだが、派兵の数、戦死者の数、戦費の額はマスコミの手で国民の目や耳に直接伝わっていく。それらの数が増えれば増えるほど、当然のことだが反戦の気運が高まる。そこで考えられたのが「戦争の民営化」だ。
米軍はこれまでで最高15万人の米兵をイラクに送り込み、今でも13万8千人が駐留している。米兵の戦死者は1600人を超えた。戦費はかさむばかりだ。これを一部肩代わりをさせようと、約2万人の“民間人”が送り込まれている。彼らが戦闘で死のうと、米軍の戦死者数が増えるわけではない。民間会社に払われる経費も「復興事業費」だから納税者の目はごまかせるし、同盟国などに請求して肩代わりさせることも出来る。「戦争の民営化」は、ブッシュ政権にとっては妙案そのものなのだ。
そこに組み込まれたプロの傭兵は、これまでとは桁違いの報酬を手に入れられると聞き、イラクに殺到した。フランスの外人部隊のメンバーは、私が80年代に取材した頃の話しだが、安月給に不満を持つものが多かった。危険手当を含めて月給約1000ドル(当時の為替レートで10数万円)だったから不満を持つのも当然のことだ。しかし、聞くところによると、今もその給料はほとんど上げられてないという。イラクで米軍の請負仕事をすれば、一日500ドルから1000ドルもらえる、しかも好きな戦争が出来るというのだ、彼らが殺到しないわけはなかった。もちろん、私は齋藤さんの名誉のために行っておくが、彼がイラクに行った動機についてはカネの為であったかどうかは知らない。
情報の一部では、齋藤さんの他にもイラクで活動をしている日本人がいるとの事だ。また、齋藤さんの話を聞いて、これから出かける者もいるだろう。聞くところによると、齋藤さんの生き方は、少なくない若者の心を捉えたらしい。
ただ、私は多くの戦場に足を踏み入れた年長者として忠告をしておく。このような「間違った戦争」に「間違った関わり方」をしないようにして欲しい。職種としては、高給の「復興請負業者」や「警備員」かもしれないが、実態は「戦争の犬」なのだ。プライドの高い地元民にとって、軍服を脱いだだけの戦闘員は、イラクを不法占領し、彼らの生活を破壊している憎むべき対象であることを忘れて欲しくない。ファルージャの「袋叩き」の再現の当事者になる可能性だってあるのだ。