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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

第6次イラク派遣部隊出発

2005-05-07 23:53:02 | Weblog
 陸上自衛隊の「第6次イラク復興支援群(軍ではないです、念の為)」の第一陣約200名が7日夜、関西空港からクウェートに向けてチャーター機で出発した。
 7日午前、兵庫県伊丹市の千僧駐屯地で開かれた隊旗授与式には、家族ら約1,000人が詰め掛けた。駐屯地の外では、派遣に反対する市民団体が反対集会を行なっていたという。
 それにしても、自衛隊派遣も1年半前にはあれだけマスコミ報道が集中し、国民の日常的な話題になっていたにもかかわらず、第6次ともなると、マスコミは事実関係を紹介する程度で、それを反映してか市民生活でも派遣が話題に上ることはない。
 主要各紙の電子版を見てみると、朝日、讀賣、毎日何れもが7日午後11時の時点では、出発したと報じているものは見当たらず、産経が扱っているものの、自前の記者を送る余裕がなかったのか、共同通信の配信ニュースを使っている。
 ホント、我々は「喉元過ぎれば…」の国民だ。事の本質を見極め、その動きに反対であるのなら例えそれが最終段階に入っていようともその意志を貫くべきではないかと思う。それが、将来同じような間違いを繰り返さない力になるのだから。

災害時の報道取材ヘリ問題

2005-05-07 15:45:23 | Weblog
 お伝えしているように歩き回る事ができない状態なので、「取材ヘリ問題」の取材は電話によるものがしばらくは中心になるだろう。

 先ずは、総務省消防庁消防課の課長補佐で中越地震の際には体育館に泊り込んで活動した重徳和彦氏に連絡を取った。役人の中で、しかも本省のエリートでそこまで動く人間は少ないので興味を持ったのだが、偶然彼は私の高校の後輩(ただ23年も年下)であった。

 残念ながら現在は広島県に出向していて面会は叶いそうもなく、彼から救急救助課の航空専門官を紹介してもらった。彼は阪神淡路大震災当時、神戸消防にいて広報誌の編集長をしていたとかで、いろいろ教えてもらえそうな人物だ。だが、まだ現職に就いたのが今春だからもう少し落ち着いてから話を伺うことになった。

 取材ヘリの問題に関しては、阪神大震災後、マスコミ各社が消防関係者や被災者の苦情を受けて検討会を重ねていたし、中地さんもその会合をのぞいた事があるという。ただ、よくあることだが、結局はハッキリした結論を出さぬまま立ち消えになってしまったらしい。だから、尼崎の脱線事故でも上空に取材ヘリを飛ばしたのだろう。

 その後は、東京都の危機管理監(注1)である中村正彦氏に話を伺った。私の読者が教えてくれたシンポジウム(注2)で取材ヘリに対しての不安とマスコミへの要望を述べた方である。その中村氏は、いろんな職場を転々と渡り歩く役人とは違い、話していても確かに豊かな知識と鋭い見識をうかがわす人物であった。「電話取材ですか?」と、最初は不満そうであったが、足の骨折の話をするとご理解いただいた。

 読者の書かれていたように、中村氏は首都圏を大型地震が直撃した場合、全国から飛んでくるであろうヘリコプター(特に報道用の民間ヘリ)に対しての上空管制のシステムがない中、どうコントロールできるか、とても心配されていた。

 「自衛隊だけで約700機、他に警察や消防のヘリ。まあこれらはある程度こちらの意向が反映されますが、民間ヘリまでは非常時に管制できないでしょう。そんな状況では二次災害だってありえます。だから、平常時の今、そのシステムを作っておきたい。東京都だけでやっても周辺の神奈川や千葉はそれじゃあいいのかと言うことになりますから、政府や国土交通省に(システム構築を)提言しています。でも、なしのつぶてですね」

 シンポジウムの席上で中村氏が、「報道各社は、消防庁などの撮った映像は全部、テレビ局に出す、と言っても『報道規制をするのか』と言われる。『超低空飛行で被災者の顔を撮るのに命をかけているんだと…』とも言われる」と発言したかと聞くと、一瞬言葉を詰まらせたので、「一種のオフレコ的に話をされたのですか?」と水を向けると、「まあ、そんなようなものですね」と述べられた。

 中村さんの真剣さと憂慮は十分私の心に伝わった。足が治ったら都庁に出向いてしっかり話を聞き、指導を仰ぐつもりだ。

(注1)東京都の危機管理監は2年前に新設された特別ポストで、知事と直にやりとりができる、危機管理のプロパーだ。田中康夫知事は、このポストを県議会で次のように紹介している。
「危機管理監が動く時だということになると、彼が部局長にも全ての指示が出せると。むろんそれは知事と連携をしているわけですけれども。しかも石原氏はその危機管理監には、やり過ぎても良いと。やりすぎてもって言うのは人権を弾圧するということではもちろんないわけですけれども。やり過ぎても良いのだということを言っているというのですね。これは非常に私は感銘を受けました。やはりこれが私が言っている、中々マスメディアは理解しませんが、成果民主主義を出すために、私達がこれは公明正大に形骸化した手続民主主義ではなくて、成果民主主義を出すための手続きを踏むということだと思うのですね」
 
(注2)「阪神・淡路大震災10周年地震工学シンポジウム」と題した集まりは、日本地震工学会、日本地震学会、土木学会、地盤工学会、日本建築学会、日本機械学会、震災予防協会が主催して、内閣府、文部科学省、国土交通省、消防庁、気象庁、東京都、兵庫県などが後援したもの
 






松葉杖日記始まる

2005-05-07 02:29:31 | Weblog
 身体が思うように動かなくなると、違った視点が持てるようになる。別にこれを経験したからといって、車椅子生活などをしている方たちの気持ちが分かったなどと言うつもりはないが、視点にこだわる私には、これからの2ヶ月近くの時間は、貴重な経験を与えてくれるような気がする。
 6日朝、診察を受けるために蕨市立病院に向かった。タクシーで約1300円かかる距離だから運転手さんとの話も結構出来る。今朝乗った車の運転手さんは、ご自身が数年前に交通事故で下半身を複雑骨折するという大変な目に遭った人であった。彼曰く「骨折したんだったら入院してしまった方がいいですよ。生活面もそうだし、(保険)金も結構下りるしね」とのこと。
 彼は8ヶ月の入院生活を終えて退院した直後、水溜りで転倒、再度3ヶ月入院した経歴を持つ。まあ、それほどの傷を負えば、私も入院を考えるが、くるぶしを骨折した程度では、考えられない。
 その運転手サン、親切にも私の自宅の近くに評判のいい整形外科があると教えてくれた。ホント、タクシーの運転手は、情報の宝庫だ。
 病院には午前8時過ぎに着いた。ところが受付開始が8時半だというのに、もうすでに続々と患者が院内に吸い込まれていた。私は60番の札をもらい自分の名が呼ばれるのを待った。手続きをする間も結構親切に声をかけてくれたり手を貸してくれる人がいる。何かホンワカしたものを感じた。
 待合室では腕に添え木をした5歳の女の子が恥ずかしそうにしていたが、声をかけて色々話す内その子との「ice breaking」に成功、その子を中心に患者同士の会話が弾んだ。あまりに弾みすぎて、中年の女性が大声で笑ったりしたので看護士から「静かにしてください!」と注意された。「怒られちゃったね」と私が女の子に言うと、また笑いが湧き、それと同時に「いけない!」という表情を全員が顔に浮かべた。
 患者の1人の男性は、“原チャリ(原付自転車)”に乗っていて、路上に飛び出してきた子供を避けようとして転倒、左腕を骨折したと言う。彼はとても心根の優しい人で、自分が負傷した悔しさよりも子供をはねずにすんだ幸運を大切にしていた。
 医者は一見、とっつきの悪い印象であったが、とても丁寧に説明してくれ、信頼できる感じが持てた。診断では、まだ腫れが引かないため断定はできないが、恐らく手術は避けられそうだとのこと。一週間後に再診した後、手術の必要がなければ本格的なギブスで固めるらしい。
 帰りのタクシーの運転手さんは、私の住所を聞いても「すみません、道、分かりますか」と言うくらいの、この道数ヶ月の新米ドライヴァー。何でも「撮影の仕事」をしていたのだが、上手くいかずに運転手になったと言う。ただ、タクシー業界は思いのほか厳しいらしく、転職したいようだが、「もうこの年だからね」と自嘲していた。
 自宅で「取材ヘリ企画」の電話取材をした後、徒歩で駅に向かいかけたが雨が降っており、タクシーを呼ぶことにした。車から降りて電車に乗るまで下を見続けて歩くと、路上や階段に吐かれたつばと痰の多さに愕然とした。それと、前にも書いたが、階段の上下のサインを無視して駆け下りてくる人の数の多いこと。松葉杖でゆっくり階段を上がる者の目には、彼らが大きな恐怖と映る。
 電車では、30代の男性がさっと立ち上がり席を譲ってくれた。帰りの電車では、中年の女性が、席にかけている若い女性に「詰めてあげて」と声をかけて座らせてくれた。「松葉杖生活」の初日、電車のマナーに関しては100点満点だった。
 それに比べて、歩道は完全に不合格。まずは、歩道を走る自転車の怖いこと。そして、違法駐輪があちこちで行く手を阻む。反対方向から来る歩行者が結構前を見ずに突進してくるのも恐怖である事が分かった。
 今日一日の歩行距離は大したことはないが、夕方辺りから、松葉杖を支える手の平が、左足が、古傷の左足の膝が痛み始めてきた。帰宅して両手をよくみると、赤く腫れ上がっている。さあ、後1月半から2ヶ月、松葉杖が離せなくなるわけだが、今後どんなドラマが待っているか、読者の皆さん、ご期待(?)下さい。