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鼎談

2005-02-22 23:48:47 | Weblog
 昨夜、友人2人と会食。2人は私より年下だが、もう五十路に入った“おじさん”だ。
 1人は弁護士、もう1人は開業医だから話題は豊富だが、この日の鼎談は、別にあらかじめ決めたわけでもないのに話の流れから健康に始まり健康に終わった。
 医者と言うと、とかく「紺屋の白袴」の典型で健康に気を配らない人が多いというイメージが強いが、友人Tは徹底した健康志向。弁護士のAが時に血圧が180にも達する事があるというのに「薬は嫌いだから」と不養生を決め込んでいると聞くと、「薬に対する考え方」をレクチャー、態度を改めるよう熱心に説得を始めた。
 Tは消化器外科を専門とする大病院の責任ある立場の医者であったが、7,8年前独立。さいたま市で開業している。開業してからは内科治療もするようになり、私も時折り世話になっている。それは、彼が持ち前の情熱で内科治療においてもひとかたならぬ研鑽を重ねており、「そんじょそこらの内科医」よりも頼れるからだ。
 だが、一方のAも容易には折れないと言うか、考え方を変えようとしない。毎朝早起きして近所を散歩して柔軟体操と腕立て伏せをしているから大丈夫だと応戦した。
 2人のやり取りを聞いていて、私は子供の頃を思い出していた。昭和20年代、男の寿命は60歳位のイメージで、50代といえば「老境」という風に考えていたように思う。祖父や祖母の姿を2人に重ねてみるのはホント妙な感じがするものだ。その歳にいざ自分がなってみて思うことは、今の50代はあの頃の50代に比べて格段にパワーアップしているということだ。仕事でも私生活でも刺激的な毎日を送る50代はざらだ。
 だが、私たちのようなノー天気な者ばかりではないことも事実だ。「宮仕え」などで我慢に我慢を重ねて長年働き続けてきた50代の中には、昔のようにそろそろ引退して静かな余生を送りたいと考えている者も少なくない。そんな人たちにとって「元気ある50代」のイメージは迷惑この上ないだろう。
 この世の鼎談は、いい意味でも悪い意味でも「存在感のある団塊の世代」の行く末を考えるに良いひと時であった。
 

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