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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

講演会のはしご、そして中学生の喫煙

2007-02-12 08:30:33 | Weblog
 週末は、講演と駅立ち(駅頭での政治活動)で声をからしていた。

 講演会は二回行ったが、一回目の講演会に阪神・淡路大震災当時、伊丹市に住んでいて被災したNさんがファイルに入れた当時の新聞を持って来場された。

 Nさんは、夫の仕事の関係で、震災後は全国を転々とされたが、大震災の経験を関東の人間に話しておきたいと何度か試みたものの、「そんなもの聞きたくない」と言われ、新聞のファイルも誰に見せることもなく12年間しまわれたままであったと言う。

 そこで早速、主催者にお願いして黄ばんだ新聞を会場に掲示してもらい、ファイルに入れらたものを展示した。そして、講演の最後で彼女にも体験談を語っていただいた。

 彼女自身は、大きな被害を受けたわけではなかったが、周囲の人たちの受けた苦しみは会場の人たちの心を打った。特に、彼女の恩師が、妻の介護に疲れてなくなった話は聞いているのも辛かった。講師という立場でありながら、思わず声を詰まらせてしまったので参加者は驚いたかもしれないが、私はそれを恥とは思っていないから隠すことなく「大震災の体験談を聞くと、当時の思いがよみがえってきて涙が出てしまう」と話した。

 次に、場所を移って話した講演会場は「さいたま芸術劇場」。僕が話をするには立派過ぎる会場で、小ホールとはいえ、ヨーロッパの劇場を思わせるつくりだ。

 講演の内容は、命の重さを話す趣旨であったが、自分たち「団塊の世代」の犯した罪に触れずに「今」を語ることはできない。一時間という、私にとっては短めの講演時間であったが、かつて「シラケ世代」と呼ばれ、「政治なんかくそくらえ」という風潮を作ってしまったわれわれの責任から語り始め、子供たちのいじめや自死を防止するには、大人が魅力的になることが先決だ、との持論を展開させてもらった。

 講演後、フリー・スクールの子達がニコニコして近付いてきてくれたのが嬉しかった。彼らなりに講演の内容をさまざまに表現してほめてくれた。中には、缶コーヒーを買ってきてくれた子もいてその心根の優しさが嬉しくて、正直を言うと、あまり飲みたくはなかったがありがたくいただいた。その子は、私がその後ちょっと咳き込むとのど飴を持ってきてくれた。それもすぐになめたくはなかったが、彼女の心遣いが嬉しくてすぐに口に入れると、嬉しそうにしてくれた。

 イヴェントの後、主催者が食事会を催してくれた。おいしい食事と会話を堪能させていただいた。帰り途、最寄り駅のさいたま新都心駅のホームのベンチで少年二人がタバコをぷかぷかふかしている。体はでかいが、雰囲気からしてどう見てもまだ中学生だ。

 「タバコをこんなところで吸ってはいけないよね。それに、君たちはどう見ても中学生だ。僕は見逃すわけにはいかないな。タバコを消してそのタバコの箱をもらおうか」

 彼らは最初は強がってみたものの、ゆったりと彼らの間違いを説くと素直な表情になり、従ってくれた。まあ、私の場合、日常的にやっていることだが、それにしても最近、その数は多い。

 これを見て、私は「最近の若いモンは」と言うつもりはない。「若いモン」はわれわれ親たちの鏡だからだ。彼らがやっていることは、われわれがやってきたことそのもの。またはその結果生じたことだ。

 フリー・スクールしかり。この種の学校が必要とされる社会自体がおかしいのだ。受験地獄を作り、子供を苦しめて、ある場合は“壊して”しまったのは誰か。われわれ団塊の世代は定年を迎える今、新たな人生に踏み出す前に深く考え、そしてそれをもとに行動をする必要がある。

 

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