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一枚の写真から

2006-04-04 23:04:49 | Weblog
 明日予定している札幌での講演の資料調べに東京の日比谷図書館に足を運んだ。
 学生の頃は、図書館といえば昼寝の場でしかなかったが、大人になってからは、調べたいことが次から次に思い出され、時間を忘れてしまう一種の「遊び場」となった。
 
 今日も新聞の縮刷版を見ていると、あっという間に時間が過ぎてしまい、ハッと気付くと日が落ちていた。慌てて調べものに集中したが、幾つかコピーをとる時に1968年1月22日付けの朝日新聞朝刊の社会面も仲間に加えた。

 それは、九州佐世保に米軍の原子力空母「エンタープライズ」が入港することに反対する抗議運動を伝える写真と記事だ。この時、エンタープライズがヴェトナム戦争に使われていたこともあり、この問題は連日マスコミを賑わす大事件となった。全国から何万人という学生や労働者も駆けつけていた。

 かく言う私は、学生運動各派とは一線を画していたが、青春の熱情から夜行列車に乗って一人現地入りしていた。汽車賃でカネを使い果たし、3日間で食パン数切れを食べただけというひもじい旅であった。

 「『佐世保橋を通せ』と警官(機動)隊につめ寄る市民たち」という説明文が付いた写真の真ん中に、先頭を切って機動隊につめ寄る「デカイ顔」をした若き浅井久仁臣がいる。当時、ジャーナリストの大先輩である岡村昭彦が「君の眼は抵抗そのものだな」と言ったが、確かに写真の中の私から判断すると、あまり恐れを知らない若者だったようだ。

 「怒りの目線」は、権力だけに向けられていたわけではなかった。この時、現場にいた社会党(当時)の幹部連中のいい加減な態度も私にとってはとても許せるものではなかった。投石が当たって負傷した、学生を制止しようとしてけがをしたと言って、この現場から尻尾を巻いて逃げた彼らが、笑いながら退散方法と理由を相談しているのを目撃したのだ。この時、私は大声で、退散する彼らに「全部見ていたからな!」と声を掛けた。そして、「こいつらはやがてだめになる」と直感した。

 彼らはその後しばらくして、政治の世界から消えていった…と思っていたら、40年近くの時間を経て今、民主党の幹部に乗り移っていた。菅直人氏や他の幹部の発言を聞いていると、40年前の社会党の幹部にそっくりなのだ。

 菅氏一人をとってもこれまで、不倫問題や年金問題などで、何度、市民や支持者を裏切ってきたか分からない。菅直人氏が方便を言う度に我々の政治不信が高まってきたことに恐らく彼自身も周辺も気付いていないのだろうが、青年市民活動家として「夢を売ってきた」だけにその責任は計り知れないほど大きいのだ。そして今回また、代表選に出る出ないで世間を騒がしているが、結局は「自分の価値」を量っているのではないかと思えてしまう。素直に頑張ってね、と声が掛けられないのだ。

 古い一枚の写真と記事を見て、今の民主党代表選びに想いを馳せてしまった。まずいまずいと、新橋駅に急ぎ電車に乗った。電車の中で隣り合わせた2人の若いサラリーマンが偶然、民主党の代表選びを話題にしていたので思わず耳を傾けてしまった。

 「もう、菅はいいよな。ノーサンキュウだよ。あいつ、だんだん顔の相が悪くなってるし…」
 「ヤッパ、今度は小沢だよ。自民党に勝てるのは彼くらいしかいないだろう。だから、自民党は小沢を警戒してるよな」

 選挙民の方がマスコミ業界の人間よりも冷静に物事を見ているように思えた。菅氏の限界を見てしまい、愛想をつかした気持ちが彼らの会話の随所に見て取れた。小沢氏に対する期待が高いのもよく分かった。「でもね、小沢さんという人はね」と会話に口を挟みたかったが、間違いなく嫌な顔をされるだろうと、言葉を呑んだ。

 サラリーマンが途中駅で降りてからは、明日の講演会で代表選びの話を頭に持ってくるのも良いなといろいろ空想を楽しんでいると、あっという間に南浦和駅に着いてしまった。ほんわかした季節には、まっこと、空想・妄想がピッタリである。 

 

 

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