明日へのことば

2010-11-20 04:15:24 | 折りに触れ思うこと
「ラジオ深夜便」に《お経再発見の日々から》という、詩人 伊藤比呂美さんのインタビュー記事が載っていた。 お経の口語訳に取り組んでいる人。

彼女が訳した偈(げ)

わたしは願っています
死ぬときには
あわてず
さわがず
みだれずに
自分らしい心のままで
死んでいけますように
身にも心にも
くつうはなく
落ち着いていけますように
悟りに入るように
穏やかに
仏さまを目の前に見ているような心持ちで
仏さまが迎えにきてくれたような心持ちで
わたしたちを救いたいという
仏さまの本とうの願いに乗って
じょうずに
死んでいけますように
 
        「往生礼讃」の文中にある「発願文」より


これを聴け
日没の無常の偈だ
人はあくせくと日々をいとなみ
いつか来る死について考えない
風に揺れるともしびのように
はかない命である
死に変わり生き変わりつながっていく縁である
まだ悟らないのか
苦しみから逃れられないのか
どうしてそんなに安穏としていられるのか
おそれはないのか
これを聴け
強くて健康で気力のみなぎるいまのうちに
死についてかんがえておけ

         「日没無常偈」より


どちらも死についての考察だけど、何か背筋がピンとする。
お経って現代語に訳すと、こんなに分かり易くスッと心に入ってくるんだ。
「死」について話すとき、「まだ早い」とか「何云ってんの」とか「縁起でもない」とか、何となくタブーだったけど、死生観はきちんと持っていたい。

因みに偈(げ)とは~経文で仏の徳をたたえ、仏教の心理を詩の形で述べたもの。


わたしが
これまでに
なしてきた
いろんなあやまちは
はるかむかしから
みゃく
みゃく
とつながる
むさぼる心・いかりの心・おろかな心
をもとにして
からだ・ことば・いしき
をとおして
あらわれて
きたものだ
わたしはいま
きっぱりとここにちかう
そのすべてを
ひとつ
ひとつ
心をきりきざむようにして
悔いて
いきます
         
                「懺悔文」より