とりあえず川と反対の北の方へ行き、途中の時計店に入ってみる。いわゆるロシアで一般的な時計店のようで、このへんはロシアのどこの都市の店でも同じで、売り方や品揃えの雰囲気に大きな差はない。ノーファインダーで店内の写真を撮ってしまう。何気なく堂々としかも素早く撮ってしまえば一瞬で撮影は終わってしまい、たいして気にも留められないようだった。旅行も終盤になって漸くこのようなこつを掴むことができたのだった。
1992年10月 ロシア日記・記事一覧
#商業系
とりあえず川と反対の北の方へ行き、途中の時計店に入ってみる。いわゆるロシアで一般的な時計店のようで、このへんはロシアのどこの都市の店でも同じで、売り方や品揃えの雰囲気に大きな差はない。ノーファインダーで店内の写真を撮ってしまう。何気なく堂々としかも素早く撮ってしまえば一瞬で撮影は終わってしまい、たいして気にも留められないようだった。旅行も終盤になって漸くこのようなこつを掴むことができたのだった。
1992年10月 ロシア日記・記事一覧
#商業系
15:00 昼食後、若干の休憩を各自部屋で取ってからロビーに集合して市内の散歩に出掛ける。18:30にRestaurant Sapporoで夕食ということだけを決めて、とりあえず解散する。まずはゆっくり目抜き通りであるカールマルクス大通り(現ムラヴィヨフ・アムールスキー通り)を歩く。
道行く人々の髪が逆光の中で白く光り輝く。白ロシア系の人が多いので金髪や栗毛の人が多く、その髪は太陽の光を白く反射する。これは日本人の髪の毛ではなかなか見られない景色だ。
カールマルクス大通り Google Map
今日は暖かく、金曜日の午後で大通りは人通りも多かった。前回、車中から見たときは日曜の夕方で人影がほとんどなく、街が信じられないほど寂しかったが、さすがに今日は目抜き通りらしい風情だった。
1992年10月 ロシア日記・記事一覧
#街並み 海外 #道
1992.10.16(Fri) Khabarovsk
S氏ら再会。3、4日間離れていただけなのだが、ロシアで別れてまた再会するのはなかなか感慨深かった。互いの無事を確認して荷物も受け取り、平和委員会の人々が用意した車に乗る。
いつもながら車は日本車だ。なんのことはない、シビックやシャレード、それからコロナとかブルーバードである。個人的にはロシア製のヴォルガとかモスクビッチとかにも乗ってみたいのだが、彼等はサービスのつもりで良い車=日本車を用意してくれる。見慣れた車内よりもロシア製の車内を見たかったのでちょっとつまらない。でも途中でエンコされても困るので、まちなかで急いでいないときにちょっと乗りたい。もっとも、私たちが乗せられた日本車もスピードメーターの針は全く動いていなかった。速度規制はあるが、自分が何km/h出しているか判らないのだからどうしようもない。でも気にしてるのは僕等だけで彼等は一向に気にしていなかった。そういうのを見るにつけ、世界は広い!と単純に思ってしまう。
市街への道はずっと並木道で、葉が落ちた木々に点々とカササギの巣が掛けられていた。今日は本当に良い天気で、数日前とは違って日中は暖かい。
13:40 再びホテルチャイカに到着。すぐさま昼食。久々に人数が増えて僕等はモスクワ土産の話をして盛り上がる。ウラジオに残っていたY君とH君は、僕等が去った後また寮の女子大生と会ったそうだ。僕等は彼女たちが寮から閉め出しを食ったのが気になっていたが、結局彼女たちはその晩は友達の家などに泊まったのだそうだ。彼女たちから託された誕生日プレゼントの花とカードをY君がK氏に手渡すと、旅行中に誕生日を迎えていた彼は、思わぬプレゼントに満面の笑みをたたえたのだった。
1992年10月 ロシア日記・記事一覧
#道
1992.10.16(Fri) Khabarovsk
ハバロフスクとモスクワの時差は7時間。モスクワへ向かったときは同じ日に着いたが、東に戻るときには半日ほど損をすることになる。モスクワを離陸してから7時間半、ハバロフスク時で正午に快晴のハバロフスク空港に無事着陸する。
ハバロフスク空港 Google Map
Wikipedia > ハバロフスク空港
飛行機からはすぐさま手荷物を持って外へ出ることができる。外国人がやや優先されるのは、どうもいつものことのようだ。
タラップを下りて飛行機の前で数人ずつ記念撮影をする。乗ってきたのはIL-62Mで後ろ4発の飛行機だ。水平尾翼が垂直尾翼の上に付いていて格好いい。
エプロンの上を空港ビルまで歩いて行く。管制塔のある大きな建物もあるが、旅客の手続きは昔風の建物で行われるようだ。
空港建物に入って、預けた荷物をキャッチするのだが、下りるのが素早かった分ここでは相当待たされることになった。飛行機からの積み荷降ろしが前時代的な手作業になっているため、効率がえらく悪い。そこら辺を屁とも思わないのも問題だ。私の手荷物は若干早く出てきたので、皆より先に表に出て、迎えに来てくれているはずのS氏らを探す。
最初にロシアに着いたときは慌ただしかったのと緊張していたので、ゆっくり空港建物を眺めなかったが、よくよく見るといろいろ発見がある。建物の玄関部分がギリシャ神殿風なのだが、柱頭がドリス式だったりイオニア式だったり、はたまたコリント式だったりで統一感がない。
空港建物にあまり期待しても仕方ないのかもしれないが、ホールの柱頭はコリントもどきで、しかもその上に星印がついている。表側の柱頭もホールとは異なるコリントもどきで、松ぼっくり状でもある。ソビエト式擬洋風建築と言うのが適当かも知れない。
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#飛行機