あるBOX(改)

ボクシング、70年代ロック、ヲタ系、日々の出来事などをウダウダと・・・

奥崎謙三氏、死去

2005年06月28日 | 生活
映画「ゆきゆきて、神軍」にて80年代後半、日本を震撼させたの奥崎謙三氏が、今月の16日に死去していたそうな(なんか「奥崎氏」とか「奥崎さん」では座りが悪いので、以降は「奥崎」と敬称略で記させてもらう)。

ドキュメンタリー映画「ゆきゆきて、神軍」(87年/疾走プロ製作、原一男監督)にて、上官らの戦争責任を追及する元日本兵として登場。

神戸市内で自動車部品販売業を営みながら(YUASAバッテリーのロゴ入りジャージ着てたけど、YUASAさんは嫌だったろうなぁ・・・)、天皇や旧陸軍時代の上官の戦争責任を問う過激な言動を続けた。

「ゆきゆきて、神軍」ってのは、ひたすらインパクトの大きなドキュメンタリーで。

以下、あらすじ。

遺族には戦病死と伝えられた、ニューギニア戦線の日本兵2人が、終戦後23日で軍法会議にも掛けられず上官命令によってに処刑されていた。
主人公の元日本兵・奥崎はそれを追求するため、かつての上官たちを訪ね歩く。時に暴力を振るいながら、強引なやり方で真相に近付いて行く・・・。

その「真相」とは。米軍に包囲された極限の戦場で、補給も無い日本軍が行っていた人肉食の果ての所為・・・・。

――その過程も刺激的だが、「知らぬ存ぜぬは許しません」「暴力を振るって良い結果が得られるのなら、暴力は許されるのです」と言う奥崎あってのスリリングさ、ショッキングさ。

収録直後、銃殺を指示した元中隊長の殺害を試みるが、不在にて失敗。拳銃で相手の長男に重傷を負わせ、懲役12年の実刑が下された。

圧巻は、そんな奥崎にも嫁がいて、最大の理解者として奥崎収監時にはマイクで奥崎の正当性を訴えたりするトコロ。

思想性ゼロっぽい、余りにもフツ~の御婆ちゃんな風貌が、尚いっそう凄みを感じさせるワケで(旦那を思う一心な行為なのか。このシーンが、ある意味一番インパクトあったかも)。

あと、地元警察も「おぉ、これは奥崎センセイ」と、ある意味放置してるのも凄かった(車に「田中角栄を殺す!」とか看板出してるのに)。
右翼も、ここまでイッた人間には手を出せなかったのか?
その辺「極めた人間」として畏敬の対象だったワケなのね。

その後、サブカル人脈が製作した「神様の愛い奴」では、出所後の奥崎が描かれていたが。
まぁ「悪ノリ」ってくらい「あれをヤらせ、コレをヤらせ」ってな感じで「俗人・奥崎」を描いていた風だから見ていない。

出所した時には嫁も亡くなっており、妙な取り巻きに囲まれ。結局、晩年は一人で倒れて入院していた奥崎。

戦争ってのは恐いよ。同僚の肉食って引き上げて、平然と社会生活おくる人間を作り上げ、そして奥崎みたいな「怪物」作り上げちまうんだから。

以下、奥崎の略歴一部。

1956年 不動産業者 傷害致死罪にて懲役10年
1966年 大阪刑務所を出所
1969年 新年皇居参賀にて天皇に向けパチンコ玉を撃つ
1976年 天皇ポルノ写真事件
1980年 参院選全国区に出馬
1983年 旧陸軍時代の上官の長男に発砲
1987年 上記発砲、殺人未遂にて懲役12年の判決
1998年 府中刑務所を出所

――享年85歳。
奇しくも、平成天皇と皇后がサイパン慰霊を行った同時期であった・・・と。

御冥福を御祈りいたします。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 参った参った・・・ | トップ | 「ライブ8」日本開催決定<br... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

生活」カテゴリの最新記事