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佐久間正英さん死去

2014年01月25日 | 邦楽
いろんな記事で
「音楽プロデューサー佐久間正英さん死去」になっているが

私にとっては四人囃子のベースの人でしたよ。

オリジナルメンバーでこそなかったですが
生で見た四人囃子でベースを弾いていたのは
この人でしたから・・・



末期のスキルス性胃がんであることを公表していた佐久間正英さん
1月16日に亡くなっていたことが公表されました。
20日に息子の音哉氏が、正英さんのツイッターを通じて発表。
61歳だった。

音哉氏は
「父は2013年4月にスキルス胃がんと診断され、
音楽をまた作りたいという強い心で10ヶ月に渡る闘病生活を
送ってまいりましたが、15日夜に容態が急変し、そのまま
静かに息を引き取りました」と報告。

葬儀は故人の意思で密葬として行われたとの事。

佐久間さんは、伝説的ロックバンド=四人囃子や
海外でも高評価を得たテクノポップバンド・PLASTICSのメンバーとして活躍。



プロデューサーとしても、P-MODEL、BOΦWY、GLAY、ジュディマリ、
エレカシ、黒夢、くるりら数々のロックバンドを手がけた。

晩年の写真は相当に痩せておられてたから、病が深刻なのは覚悟していたが
やはり61歳での逝去は早い・・・。

四人囃子も「日本語のロック」を実践した人たちだったから、
大滝詠一さん同様に大事な存在をなくした・・・そんな印象です。

しかも、CSN&Y系だったりした「はっぴいえんど」に比べ
四人囃子はモロにハードロック/プログレだったから、
演奏もエキサイティングで、生で見た印象も強烈だった。

※機材の差でプロコルハルムには遅れを取ってた記憶もあるが

チャーのスモーキ・メディスソとの対バンでも音圧でもテクでも引けを取らず
ブルース系のスモーキーに比べ、プログレ/ハードでガンガン突き進む四人囃子は
枯れることなき魅力を発揮しておりました。

すでに白髪交じりでメガネの、痩せたオジサンだった佐久間さんだったが
この時ばかりはカッコ良かったですよ。

きっとプロデュースやってもらったミュージシャンも
「佐久間さん、やっぱりカッコイイ!」とステージで演奏する佐久間さんを
眩しく見つめたのではないでしょうか。



四人囃子は、1stの一触即発も凄いが
2ndのゴールデン・ピクニックスも素晴らしいアルバムだと思います。

佐久間さんは1stこそ参加していないが、
1stの曲もライヴで演奏し、名曲再現の現場に多くのファンを立ち会わえてくれました。

感謝でございます。
佐久間正英さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。


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