連載漫画「ヒゲとボイン」や黄桜酒造のCMなどで知られる、
小島功先生が4月14日に逝去されていた。
脳出血にて昨年11月8日から療養中だったという小島先生、
87歳と長寿ではあったが、もっと画業を続けて欲しかったなぁ。
1928年生まれの小島功先生は美術を学ばれたのち、1956年より
週刊誌のアサヒ芸能にて「仙人」の連載を開始され、
1974年からはビッグコミック・オリジナルで「ヒゲとボイン」の
連載を始め、共に超ロングランのシリーズとなったが、
お倒れになって以降は両作品とも休載中になっていたという。
1990年に紫綬褒章を、2000年には勲四等旭日小綬章を受賞。
日本漫画家協会の名誉会長を務めていた小島功先生は、
TVでも「11PM」で大橋巨泉氏ら相手に飄々としたコメントを発し
「本業あるけどTVに出ても面白い人」という“走り”とも言えたで
しょうねぇ。
黄桜のテレビCMに登場した女性河童の色っぽさへのドキドキ感は
忘れがたいものがありますよ。
※お酒のCMとあってカッパ家族の母親なんですよね。
旦那に酒を注ぎながら自分もイケるくち。子供たちも周囲で
遊ばす良妻賢母。でも色っぽい。理想の女じゃないか・・・
子供カッパも可愛いんだよなぁ。
最小限の線で描き、色も殆ど使わない。
筆の描線だけで色気を表し、空白の妙も知り尽くしている。
※今回、訃報に触れて画像を検索したら色々な画が出てきました。
上記書籍の表紙絵なんて小島功先生にしか描けないのでは?
普通はタイトルに負けてしまいますよ・・・。
手の込んだ絵も、女性の髪など伝統的な日本美術の技法を使って
描きこなしておいででした。
緻密さも併せ持った凄い絵師だった・・・って事ですねぇ。
時に癒され、時にドキドキさせていただき、ただただ感謝です。
小島功先生、素敵な絵の数々を有難う御座いました。
小島功先生の御冥福を心より御祈り致します。
小島功先生が4月14日に逝去されていた。
脳出血にて昨年11月8日から療養中だったという小島先生、
87歳と長寿ではあったが、もっと画業を続けて欲しかったなぁ。
1928年生まれの小島功先生は美術を学ばれたのち、1956年より
週刊誌のアサヒ芸能にて「仙人」の連載を開始され、
1974年からはビッグコミック・オリジナルで「ヒゲとボイン」の
連載を始め、共に超ロングランのシリーズとなったが、
お倒れになって以降は両作品とも休載中になっていたという。
1990年に紫綬褒章を、2000年には勲四等旭日小綬章を受賞。
日本漫画家協会の名誉会長を務めていた小島功先生は、
TVでも「11PM」で大橋巨泉氏ら相手に飄々としたコメントを発し
「本業あるけどTVに出ても面白い人」という“走り”とも言えたで
しょうねぇ。
黄桜のテレビCMに登場した女性河童の色っぽさへのドキドキ感は
忘れがたいものがありますよ。
※お酒のCMとあってカッパ家族の母親なんですよね。
旦那に酒を注ぎながら自分もイケるくち。子供たちも周囲で
遊ばす良妻賢母。でも色っぽい。理想の女じゃないか・・・
子供カッパも可愛いんだよなぁ。
最小限の線で描き、色も殆ど使わない。
筆の描線だけで色気を表し、空白の妙も知り尽くしている。
※今回、訃報に触れて画像を検索したら色々な画が出てきました。
上記書籍の表紙絵なんて小島功先生にしか描けないのでは?
普通はタイトルに負けてしまいますよ・・・。
手の込んだ絵も、女性の髪など伝統的な日本美術の技法を使って
描きこなしておいででした。
緻密さも併せ持った凄い絵師だった・・・って事ですねぇ。
時に癒され、時にドキドキさせていただき、ただただ感謝です。
小島功先生、素敵な絵の数々を有難う御座いました。
小島功先生の御冥福を心より御祈り致します。
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