あるBOX(改)

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元ボクシング世界王者ボビー・チャコン死す

2016年09月09日 | ボクシング
へこみます。
国内のアイドル、ハリケーン・テルさんの死去と同じくらいの
ショックを受けています。

私にとって海外のアイドルはボビー・チャコンでしたから・・・。



アメリカ西海岸のリングを主戦場として数々の激闘を繰り広げた、
元世界フェザー級・Jライト級王者チャコン。
そのチャコンが9月7日に64歳で死去したとの事。
死因は公表されていない。

小柄ながらオーソドックス・スタイルから忙しく放つジャブ、
ワンツーからの連打でペースを掴む「飽きさせない」選手でした。

ロス近郊で生まれたチャコンは、1972年にプロに転向。
盛況の地元会場で台頭し、活躍。宿敵ルーベン・オリバレスにこそ
初黒星を喫したが、後の世界王者対決となるダニー・ロペスとの
ホープ・サバイバル戦でTKO勝ち。一気に注目を集める。
※好選手同士、活きの良いナイス・ファイトでしたからねぇ。

74年にはアルフレド・マルカノ(ベネズエラ)にKO勝ちして、WBC
フェザー級王座を獲得。
2度目の防衛戦でまたしてもオリバレスに倒され無冠になったが、
Jライト級に階級を上げて機会を伺った。

その後アレクシス・アルゲリョの王座に挑み、善戦するもTKO負け。
ラファエル・バズーカ・リモン、コーネリアス・ボザ・エドワーズらとの
サバイバル戦で黒星を増やしながらも2階級制覇のチャンスを待った。



そんな中、愛妻が「もう夫が打たれる姿を見たくない」と自殺する悲劇にも
見舞われたが、それでもボクシングを続けたチャコン。

1982年、遂にリモンとの大激戦を制してWBCのJライト級王座を獲得!
ダウンの応酬から最終回に試合を決定付けるダウンを奪ったチャコン。
その歓喜のジャンプが忘れられない。

翌年にはボザ・エドワーズにも雪辱。
これもダウン応酬の激戦で、チャコンはリング誌の年間最高試合に2年
連続で選出された。



※リモンもボザもサウスポー。
 結局はチャコン得意の右ストレートが決め手になった。

当時「次期スーパースター候補」として台頭していたカマチョとの対戦より
ボザとの試合を優先させたとして王座を剥奪されたチャコンだが。
目標を3階級制覇に切替え、レイ・マンシーニのライト級王座に挑戦。

しかし、これは体力差もあり、3Rに連打を仕掛けられたところで
レフェリーのリチャード・スチール氏が「早すぎるストップ」を敢行。
TKO負けとなる。
※これが原因でスチール氏はブーイングの対象になってしまった。

人懐こい笑顔と、スクールボーイのニックネームが似合う童顔で女性の
ファンも多かったチャコン。



近年はロサンゼルス郊外の興行に顔を出し、再婚した夫人と仲良く観戦する
姿が見られたという。

生涯戦績は59勝47KO7敗1分。
2005年に国際名誉のボクシング殿堂入りも果たしている。

早すぎる死去は残念でならない。
たくさんの感動を有り難う。

ボビー・チャコンよ、安らかに・・・。


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