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タンジェリン・ドリームのエドガー・フローゼ、死去

2015年01月28日 | 洋楽
1月20日
ドイツ電子音楽のパイオニア=タンジェリン・ドリームの
中心人物だった、エドガー・フローゼがオーストリアの
ウィーンで亡くなった。
70歳。死因は肺塞栓症との事。

1967年にタンジェリン・ドリームを結成。
当初はチェロ・フルート・ドラムなど既成楽器を電気処理した、
フリー・ミュージックを演奏していたが
その後、現代音楽の影響を受けてシンセを導入、一気に電子化。

全員の持ちパートがシンセサイザーで。
歌なし。ギター、ドラム、ベースなしの編成という特異性を
打ち出し、旧来の音楽が持つメロディー、ハーモニー、ビート
パターンを脱却した、「A面1曲」的なアルバムを連発する。



1974年の「フェードラ」、1975年の「ルビコン(Rubycon)」と、
後に名盤と評されるアルバムをリリース。
これらのアルバムは、最新機器ミュージック・シーケンサーを
全面的に使った電子音楽として、プログレ界に新風を送り込んだ
と評された。



※反面「難解」として、マニアックなジャーマンプログレ・ファン
 のみに対する「知る人ぞ知る」存在でもあった。
 ここで渡辺宙明先生やピート・タウンゼントのような「大衆音楽
 への導入」と、タンジェリンらジャーマン電子音楽の「全面導入」
 との比較みたいな話に行きかねないが、ワタシャ両方凄いと思って
 いるので、 あまり「どっちが偉い」とか言いたくない。
 冨田勲先生も、クラフトワークやタンジェリンを認める発言なさって
 おいでですし。

ただ、
本人たちは、より多くの聴衆へ自分たちの音楽を届けようと
腐心したのか1976年の「浪漫(Stratosfear)」では少し難解さが
軽減。
私のような音楽ファンは、やっと彼らの魅力が理解できたっけ。



この音楽スタイルは、後に彼らが手掛ける映画音楽にも引き継がれ、
1980年代にはサントラの仕事がメインのようになった。

ライブ活動も精力的で、電子音を継続させつつ半即興も試みる
スタイルはコンサートの定番となった。
※名盤といわれる「リコシェ(Ricochet)」はライヴ・アルバム。



タンジェリン自体の活動は2000年代も継続。
その作品数は膨大でサントラを加えれば1970年から2007年まで毎年
(しかも複数枚!)アルバムが発表されている。



凄いお方でした。
全アルバムをチェックした訳ではありませんが、
凄さは充分に理解できました。

エドガー・フローゼ氏よ、やすらかに。


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