あるBOX(改)

ボクシング、70年代ロック、ヲタ系、日々の出来事などをウダウダと・・・

1988年06月27日 張正九vs大橋秀行Ⅱパンフ

2008年08月01日 | ボクシング
1988年06月27日
張正九vs大橋秀行Ⅱパンフ

王者・張に大橋が挑んだ2度目の試合。
初戦は韓国でワンサイド負け。キャリア不足が指摘された。

今回は日本タイトルも獲得し、東京・後楽園ホールで再挑戦。



試合は、張の前進を下がりながら迎え撃つパターンで。
挑戦者のパンチも当たるが、カバリングの隙間を突かれての被弾も目立つ。
張のアッパーを受けた大橋は、もろくもダウン。

フリーノックアウト制で行われたこの試合、
3Rに張から3度のダウンを奪われた大橋、もうストップは時間の問題、ゲスト解説の
片岡鶴ちゃんが「大橋に足があったらなぁ~」と諦めにも似た呟きを漏らした直後、
防戦一方だった大橋が、起死回生の右をヒット!

今度は、張がダウン寸前のピンチ!!

しかし、
マトモでは無く、下あご横を外に掠めたような右ショートストレートだったのに
張の足をガクガクにさせるとは・・・。
大橋のシャープな強打を再認識した一発。

しかし、ここで張は、見得も外聞も無くクリンチして、大橋の追撃を凌ぎきり。
大橋も「次のラウンド最初から攻勢を掛けること無く」
(この辺が彼らしい・・・・)

ダメージから回復した張は、再び多彩なパンチで挑戦者を痛めつけ、
ついに第8Rで大橋を仕留め、同級レコードの15度防衛と記録を伸ばした。

中盤やKOラウンドで見せた張の上手さはサスガで。
細かいアッパーをチョコチョコ当てて、大橋のダメージを再発掘したトコロにも、
長期政権王者の「ズルさ」を見た気がした。
苦しい中での勝負のポイントを見逃さない「洪秀煥の直系」の選手だった。



ただし、
私が張第二戦で驚愕したのは、大橋の「最後の反撃」。

第7Rでダウンした大橋が、「もう少し待って回復させてから」という米倉会長の
声を振り払ってフルスイングした強打の凄い事!

普段ボクサーは、駆け引きやスタミナを考えて全てのパンチを強振する事は無い。

しかし、
「ズルズル先延ばしして倒されるより、かろうじて余力のある今、勝負を掛ける!」
とばかりに大橋が足を踏ん張って振った一発一発の凄いこと!

ジャストミートじゃなく、首元に当たったパンチで張の頭がガクガクと揺れ、
「これはいかん!」と王者が必死の密着を試みる。

ここで、張の細かいアッパー連打・・・。

ヒザが折れ、またも倒れる挑戦者に、
「ああ、大橋は効いていたんだよな。割れ掛けた陶器に応急措置を施したのと
同じだったんだよな・・・」と思い出す私。

試合は敗れたが、
それでも「ストローまで落ちると言われた大橋が階級下げて挑むなら、世界奪取は
叶うのではないか?」と、そう思わせるに十分な試合だった。



韓国の鷹・張正九と大激戦を演じたのみならず、「覚悟を決めたボクサーの凄み」を
見せた事で、大橋は敗れてなお評価を上げたのだと思う。

ちなみに、内藤vsポンサクレック第3戦の第9R、劣勢を知ったポンサクレックの
「必死の攻勢」を見て、私は「張vs大橋・第2戦」を思い出した。

第8R終了のインターバル、WBC公式採点発表で劣勢を悟ったポンサクレックが、
「タイでの御前試合を無くす訳にはいかない!」と、強引にフルスイングを続ける様は、
「あの時の」大橋にも似た凄みがあった。

あれから20年、もう大橋秀行といえば「東日本協会の要職を務める」業界人さんだが。
選手としての彼を知る身としては、「天才・大橋の未知なる可能性」に思いを馳せる事も多い。

批判もあった「足を止め、カバリングしながらのカウンター戦法」
(私も批判した「待ちのスタイル」)も、
韓国全盛時代に対応すべく選択した・・・と御本人は仰ってますが。

さてさて、もし最近の「べネスエラーノのポイント掠め取り全盛」時期に大橋が
現役だったら・・・

彼はどんなスタイルを選択したのだろうか?
どんな大橋秀行が見れただろうか?
やっぱり同じような大橋スタイルで判定に泣いたのだろうか?

興味は尽きないですねぇ・・・。?


最新の画像もっと見る

コメントを投稿