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ジョン・ロード、逝去

2012年07月17日 | 英国ロック
ショックだ・・・。

70年代ロックを代表する英ハードロックバンド「ディープ・パープル」の元メンバー、ジョン・ロードが7月16日、
肺のそく栓症のためロンドンの病院で死去。
公式サイトによると、すい臓がんを患っていたという。



1941年、英中部レスター生まれ。
クラシックピアニストを目指していたが、ジミー・スミスの影響でハモンドオルガンを弾き始める。
63年、アート・ウッド(ロン・ウッドの兄)率いるアートウッズに参加。ここでは、モッズ好みのグルーヴィーなオルガンを聴かせていた。
その後、複数のバンドを経て68年にディープ・パープルを結成。
初期はアートロック路線を取っていたが、ロイヤルアルバートホールでオーケストラと共演して踏ん切りを付け
いよいよ70年にバンドはハードロック転向。
ここでは「時代はHR」と転向を主張するリッチー・ブラックモア(g)との確執もあったが、ロードが折れたという話。



その第一弾「ディープ・パープル・イン・ロック」はHRブームに乗って大ヒット。
パープルはレッド・ツェッペリンと並び、70年代にハードロックの一時代を築く存在となった。
第二弾「ファイアボール」もタイトル曲と「ストレンジ・ウーマン」がヒット。
ロードはHRサウンドの中でも時に深みあるハモンド・オルガンを聴かせ、パープルの多彩な楽曲に大きく貢献した。
・・・というか、やっぱり一番大人だし、リーダーですからね。作曲にも大いに関わってるし、ソロでもクラシカルなフレーズやオリエンタルな音階使ってるし。



そして第三弾「マシン・ヘッド」は「ハイウェイスター」「スモーク・オン・ザ・ウオーター」「レイジー」「スペーストラッキン」など代表曲が収録され、アルバムは大ヒット。

同アルバムが発表された72年には初来日。

ファンの中には「どれくらいライヴの実力があるか、お手並み拝見」的な気分で会場入りした者も居たらしいが、パープルは圧倒的な演奏で観客の度肝を抜き

日本側スタッフが製作した実況録音盤「ディープ・パープル・ライヴ・イン・ジャパン」は、その出来のよさにパープルサイドも驚きを隠せず
遂に日本国内限定発売だった同音源は「メイド・イン・ジャパン」として世界中でヒットする事になった。

スタジオヴァージョンよりスケールアップし、劇的に終わる曲群は現在ハードロックの古典になっている。



パープルの凄さは優れたソリストがバランスよく見せ場を作りあい、ユニゾンで印象的なリフを奏で、ヴォーカルもハイテンション、リズムセクションもパワフルで安定感があるところだ。
ギリギリの緊張感で演奏しながら、どこか余裕がある。ハードロックであり、若気の至りな暴走もあるが、やはり大人でプロフェッショナルな演奏なのだ。



レコードコレクターズ2010年9月号の「洋楽マン列伝」で折田育造さん(元日本グラモフォン・WEAミュージック・ワーナーミュージック・ポリドール代表)が、暴れん坊だったレッド・ツェッペリンと比較して「パープルは大人だったし、プロだったね」と語っておいでだったが、そういう要素の大半はジョン・ロードの知性が担っていたと思う。
まぁ、リッチー・ブラックモアの「狂気」も幾分計算された物だったと感じるが。

イアン・ギランのパワフルな歌唱を挟み、強力なリッチーのギターソロと互角のキーボードソロを展開するジョン・ロードは、紛れもなくHR史上最高のキーボーディストと言えるでしょう。

パープルは「紫の肖像」発表後にI・ギランとロジャー・グローバー(b)が抜けるピンチがあったが、デイヴィッド・カバディール(Vo)とグレン・ヒューズ(b)を加入させて「紫の炎(BURN)」を発表。



これまたタイトル曲でリッチーのギターソロに対抗し、凄まじいキーボードソロを聴かせてくれた。
「ハイウェイスター」ではキーボードソロが先でギターソロがメインのような印象だったが、「BURN」では逆の展開で
スペイシーな音色は旧来のハモンドとは一味違い、別世界に連れて行かれるかのような素晴らしさ。

個人的には全ロック史にて最高のキーボードソロだと思っている。

パープルは、その後もメンバーチェンジを繰り返しリッチーの抜けた「カム・テイスト・ザ・バンド」発表後に解散。

ジョンは、旧友トニー・アシュトンとイアン・ペイスでアルバムを発表するが、
パープルの合間にアシュトン・ロードで演奏していたビッグバンド的な音楽性は失われており、
同プロジェクトはプログレともHRともR&Bとも言えない中途半端さで短命に終わった。



74年のアシュトン・ロードBBCコンサートがCDになってるが、これは実に良かったんですがねぇ・・・。
ドラムはI・ペイスとカーマイン・アピスのツイン構成だし、アシュトンはソウルフルな声で歌いまくってるし、ホーン勢もバッキングヴォーカル勢も良い仕事してるし・・・で愛聴盤なんですが

ワーナーさんから「(カネになる)パープル放っといて、なに道楽やってんだ!」と怒られた・・・なんて話もあり、活動は頓挫。
あの路線で活動してても面白かったと思えるだけに実に残念。
まぁ、当人たちは軽い息抜き気分だったらしいですがね。

ロードさんは、その後なんとデイヴィッド・カバディールが結成したホワイトスネイクに参加。I・ペイスもこれに続き、ホワイトスネイクの第一期黄金時代に貢献した。

キーボードソロでもハモンドらしい音色に戻ったロードさんは、ライヴでも真骨頂を発揮。
「ライヴ...イン・ザ・ハート・オブ・ザ・シティ」では、これまたパープル以来の全盛期と思わせる演奏を聴かせてくれました。



HR離れしかかった当時の私を引き戻したのは、FM放送から流れてきた「レディング・フェスティバル」でのホワイトスネイクのパフォーマンスでしたよ・・・。

ホワイトスネイクからはバンドの「メタル化」を嫌うかのように脱退。
パープル再結成に参加。断続的にグループ活動を継続。

02年にパープルを脱退してからはソロで活動、クラシック系のアルバムの発表などで話題を提供していた。



享年71歳。
年月の経過を感じるなぁ。ロードさんも、御髪が すっかり白くなられていた。

トミー・ボーリンはオーバードーズで20代の夭逝だったが
今は、もう2012年
70年代ロックミュージシャンが病死して不思議では無い年代になられてるんだよな・・・・。

・・・とはいえ、熱狂的に聴いた音楽を演奏していた人が亡くなるのは、大いにショックだし凄まじく寂しいですよ。

いみじくもソフトバンクのCMで毎日のように「スモーク・オン・ザ・ウォーター」が流れている。

ウォークマンで「ライヴ・イン・ジャパン」「紫の炎」を聴く日が続きそうだな。

ジョン・ダグラス・ロード氏よ、安らかに。
素晴らしい楽曲を有難う御座いました。素晴らしいキーボードソロを有難う御座いました。


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