1970年に、英国はワイト島で(英国ってマン島やら何やら、けっこう島おおいのよね)行われたロック・フェスティバルが「ワイト島ロック・フェスティバル」なワケなのだが。
1960年代後半、ウッド・ストックやモンタレー・ポップ・フェスティバルなどの巨大な野外フェスティバルが行われ、それが記録映画として公開されたりして、伝説が増大されていったワケだが。
‘70年のワイト島ロック・フェスティバルも、映像収録あっのたが。諸事情あってお蔵入りしており。
ウッドストックを上回る60万人を動員しようと主催者が気合を入れてブッキングしたThe Wh♂、ジミ・ヘン、マイルス・デイヴィス、ドアーズ、ELP、ムーディー・ブルース、テン・イヤーズ・アフター、ジェスロ・タル、フリー、テイストらの映像・音源は一部を除き非合法のビデオや円盤に流出するのみとなっておったワケですが。
なんで、お蔵入りになったかというと。多分、主催者側が「ウッドストックのように催事としてそれなりに成功し、権利を整理して映画化・レコード化させ、その一部の権利で大儲け」を目論むも、それ以前に催事費用の回収さえままならず、「明日からどうしよう」状態に陥ってしまったからでしょうな。
夢と希望に満ちて「良い物をお客様の手に」と商売始めて、「割安で試飲・試食を」と思っていたら「タダで飲み食い出来る」と思い込んだ乞食根性まるだしの客が集まって「バッタの大量発生」状態。駐車場の柵は壊され、ゴミはバラ撒かれ、周辺住人から苦情殺到、明日から商売できない・・・・みたいな有様。
もちろん商売できても、タダ飯食えなきゃ人は集まりもしない・・・そんな有様。
「好カードを組めば客は集まる」と信じて高い金かけて海外選手を呼んだが、客は「TVで見りゃイイや」と身銭を切らず、「好カードを!」とHPで書き捲くってたボクシング・サイト管理人も「多忙で」と会場入りは元より、「オススメ好カード」にUPすらしない、みたいな感じで、興行主催者は大赤字を抱えて途方に暮れる・・・ってな比喩も使えるな(←反省しておりますです)。
ああ、これぞ理想と現実。
当時の情勢からしたら「フリー・コンサート」と信じて集まった連中多くても仕方ないが・・・。人の話は良く聞こうよ。
連中は有料客しか入れないフェンスを倒し始め、主催者の指示に従い制止する警備員に「ファシースト!!」と罵り物を投げる。
その上、一部の勘の良いミュージシャンには「ギャラの先払い」を求められ。「今すぐ払わなきゃ演奏せずに帰る」とまで詰め寄られ(まぁ、若い彼等も散々マネージメントに搾り取られ、疑心暗鬼になってて仕方ない面もあるが。「メシ食えなきゃ、声も出ないよ」ってか)。
愛と平和のフェスティバルは「エゴと欺瞞のフェスティバル」へと変貌していくのでした・・・と。
しかし、発掘ブームで小出しされた演奏の数々は、当時の「ロック黄金期」のメンツに相応しい、素晴らしく充実した演奏が繰り広げられておるのですよ。
ただし、やはり「愛と平和」組は疲れが激しく。
ドアーズのジム・モリソンとジミ・ヘンなんて、クスリと酒と仲間割れでボロボロ、こりゃ死も近いわ状態。
「思想性より演奏、作品!」みたいなメンツは元気一杯。
作品性に目覚めたThe Wh♂は、イベントのハイライトと言うべき荒々しくも瑞々しい演奏を披露。
70年代ロックを担うジェスロ・タルやフリー、小粒でもジワリと苦いファミリーなどが充実した演奏を披露!!
特にフリーの「Mr.ビッグ」後半の盛り上がりなど、ワタシャ感動に次ぐ感動・・・(P・ロジャースがマイクスタンドを倒す瞬間には余りの格好良さに涙!)。
後にソロで成功する故R・ギャラガーのテイストも「ギャラガー、最初から最後まで同じ事やってたんだな」と泣きたくなるような演奏を披露。
これがデビューのEL&Pなんて、すでの前身バンドで知名度あるから「これからは俺たちの時代だ」とばかりにラメラメのコスチュームで70年代スタジアム・コンサート仕様のライヴを展開。「展覧会の絵」で大砲をブッ放ち。
「あぁ、転換期だったんだなぁ・・・」と嫌でも感じされてくれまして。
未完の大器のまま空中分解したフリーはともかく、The Wh♂などと共にロックバンド単独で数十万人動員ツアーも可能にし。
米国でヒットをブチかまし捲くるタルも含め、ロックが実入りの良い商売になる前兆を見せてくれたワケですな。
そんな恩恵にあずかる事なく、資金を散財した主催者は。
ステージに立ち、大きく両手を挙げてピース・サインを作り「みんな、有難う。お陰でオレは破産だ!」と敗北宣言(涙)。
(十?)数年前に編集され、日の目を見た記録映像では「その後、主催者達も職を変え元気に活動」とかテロップが流れたが。
あんた等のお陰で、イベントは実現し、すばらしい演奏が繰り広げられ、記録された映像や音源は、ブツ切りからアーティスト単体で発掘されて行っている。
リアルタイムで(少し遅れてか?)発売されたのは「ワイト島のジミ・ヘンドリックス」「ワイト島のテイスト」くらいだったが。
The Wh♂も映像・CD両方で「ワイト島」は発売され。
フリーも「ワイト島のフリー」と名付けたくなるような演奏がヒストリー・ビデオで紹介され、他にも「ワイト島の○×」と命名したいソフトが連発されている。
今月12月に発売されるジェスロ・タルのCDも、僕的には「ワイト島のジェスロ・タル」なんですな。
ワイト島フェスティバルの主催者グル-プさん、感謝してるよ。
あんた等も夢や希望だけでなく「一旗あげよう」と若気の至りで計画したんだろうが。失敗はバクチに負けたのも同然だろうが。
一連の「ワイト島の関連商品」、ほんの一部でもロイヤリティーが入ってる事を祈るわ(多分ムリだろうけど)。
1960年代後半、ウッド・ストックやモンタレー・ポップ・フェスティバルなどの巨大な野外フェスティバルが行われ、それが記録映画として公開されたりして、伝説が増大されていったワケだが。
‘70年のワイト島ロック・フェスティバルも、映像収録あっのたが。諸事情あってお蔵入りしており。
ウッドストックを上回る60万人を動員しようと主催者が気合を入れてブッキングしたThe Wh♂、ジミ・ヘン、マイルス・デイヴィス、ドアーズ、ELP、ムーディー・ブルース、テン・イヤーズ・アフター、ジェスロ・タル、フリー、テイストらの映像・音源は一部を除き非合法のビデオや円盤に流出するのみとなっておったワケですが。
なんで、お蔵入りになったかというと。多分、主催者側が「ウッドストックのように催事としてそれなりに成功し、権利を整理して映画化・レコード化させ、その一部の権利で大儲け」を目論むも、それ以前に催事費用の回収さえままならず、「明日からどうしよう」状態に陥ってしまったからでしょうな。
夢と希望に満ちて「良い物をお客様の手に」と商売始めて、「割安で試飲・試食を」と思っていたら「タダで飲み食い出来る」と思い込んだ乞食根性まるだしの客が集まって「バッタの大量発生」状態。駐車場の柵は壊され、ゴミはバラ撒かれ、周辺住人から苦情殺到、明日から商売できない・・・・みたいな有様。
もちろん商売できても、タダ飯食えなきゃ人は集まりもしない・・・そんな有様。
「好カードを組めば客は集まる」と信じて高い金かけて海外選手を呼んだが、客は「TVで見りゃイイや」と身銭を切らず、「好カードを!」とHPで書き捲くってたボクシング・サイト管理人も「多忙で」と会場入りは元より、「オススメ好カード」にUPすらしない、みたいな感じで、興行主催者は大赤字を抱えて途方に暮れる・・・ってな比喩も使えるな(←反省しておりますです)。
ああ、これぞ理想と現実。
当時の情勢からしたら「フリー・コンサート」と信じて集まった連中多くても仕方ないが・・・。人の話は良く聞こうよ。
連中は有料客しか入れないフェンスを倒し始め、主催者の指示に従い制止する警備員に「ファシースト!!」と罵り物を投げる。
その上、一部の勘の良いミュージシャンには「ギャラの先払い」を求められ。「今すぐ払わなきゃ演奏せずに帰る」とまで詰め寄られ(まぁ、若い彼等も散々マネージメントに搾り取られ、疑心暗鬼になってて仕方ない面もあるが。「メシ食えなきゃ、声も出ないよ」ってか)。
愛と平和のフェスティバルは「エゴと欺瞞のフェスティバル」へと変貌していくのでした・・・と。
しかし、発掘ブームで小出しされた演奏の数々は、当時の「ロック黄金期」のメンツに相応しい、素晴らしく充実した演奏が繰り広げられておるのですよ。
ただし、やはり「愛と平和」組は疲れが激しく。
ドアーズのジム・モリソンとジミ・ヘンなんて、クスリと酒と仲間割れでボロボロ、こりゃ死も近いわ状態。
「思想性より演奏、作品!」みたいなメンツは元気一杯。
作品性に目覚めたThe Wh♂は、イベントのハイライトと言うべき荒々しくも瑞々しい演奏を披露。
70年代ロックを担うジェスロ・タルやフリー、小粒でもジワリと苦いファミリーなどが充実した演奏を披露!!
特にフリーの「Mr.ビッグ」後半の盛り上がりなど、ワタシャ感動に次ぐ感動・・・(P・ロジャースがマイクスタンドを倒す瞬間には余りの格好良さに涙!)。
後にソロで成功する故R・ギャラガーのテイストも「ギャラガー、最初から最後まで同じ事やってたんだな」と泣きたくなるような演奏を披露。
これがデビューのEL&Pなんて、すでの前身バンドで知名度あるから「これからは俺たちの時代だ」とばかりにラメラメのコスチュームで70年代スタジアム・コンサート仕様のライヴを展開。「展覧会の絵」で大砲をブッ放ち。
「あぁ、転換期だったんだなぁ・・・」と嫌でも感じされてくれまして。
未完の大器のまま空中分解したフリーはともかく、The Wh♂などと共にロックバンド単独で数十万人動員ツアーも可能にし。
米国でヒットをブチかまし捲くるタルも含め、ロックが実入りの良い商売になる前兆を見せてくれたワケですな。
そんな恩恵にあずかる事なく、資金を散財した主催者は。
ステージに立ち、大きく両手を挙げてピース・サインを作り「みんな、有難う。お陰でオレは破産だ!」と敗北宣言(涙)。
(十?)数年前に編集され、日の目を見た記録映像では「その後、主催者達も職を変え元気に活動」とかテロップが流れたが。
あんた等のお陰で、イベントは実現し、すばらしい演奏が繰り広げられ、記録された映像や音源は、ブツ切りからアーティスト単体で発掘されて行っている。
リアルタイムで(少し遅れてか?)発売されたのは「ワイト島のジミ・ヘンドリックス」「ワイト島のテイスト」くらいだったが。
The Wh♂も映像・CD両方で「ワイト島」は発売され。
フリーも「ワイト島のフリー」と名付けたくなるような演奏がヒストリー・ビデオで紹介され、他にも「ワイト島の○×」と命名したいソフトが連発されている。
今月12月に発売されるジェスロ・タルのCDも、僕的には「ワイト島のジェスロ・タル」なんですな。
ワイト島フェスティバルの主催者グル-プさん、感謝してるよ。
あんた等も夢や希望だけでなく「一旗あげよう」と若気の至りで計画したんだろうが。失敗はバクチに負けたのも同然だろうが。
一連の「ワイト島の関連商品」、ほんの一部でもロイヤリティーが入ってる事を祈るわ(多分ムリだろうけど)。
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