有田芳生の『酔醒漫録』

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加藤タキさんの応援メッセージ

2009-07-25 10:50:50 | 東京・板橋

「有田芳生さんの使命感」        加藤 タキ(コーディネーター)

 有田芳生さんと私は、日本テレビ系列の『THE ワイド』でコメンテーターとして10年以上ご一緒させていただきました。

 根が真面目。ものすごい勉強家。ものごとの本質をきちんと理解し、それに対する意見をご自分の言葉でいつも大変わかりやすく表現なさる。だれにも迎合しない。反権威なひと。公正なひと。自然体。庶民的。家族を愛している良きお父さん…などなど、彼を褒める形容詞はいっぱいあります。

 有田さんの公平でジャーナリスティックなコメントは、視聴者にとても信頼されていました。番組の中ではほとんど笑顔をお見せになることはありませんでしたが、有田さんのちょっと照れたような笑顔はじつにチャーミング。“思い邪(よこしま)なし少年”って感じです。

 その 有田芳生さん が、いよいよ国政に挑戦!
 
本来は国会議員のバッジをつけて赤い絨毯を歩く姿などおよそ似つかわしくない方だと思うのですが、いまの日本の政治、政治家たちを見ていて、彼は奮い立つものがあったのでしょう。外野でもの申すジャーナリストとして世直しを計ることも出来たとは思うのですが、有田さんの国を想う心意気が「立法に携わろう」という行動に移させたのだと思います。

 有田さんの“立法府”に対する情熱と信念。私には、わかるのです。

 私事で恐縮ですが、私の両親は1890年代に生まれた明治人。2人とも政治家でした。かつて明治~大正のはじめの頃、父は弁護士になって人間として不平等をこうむっている人たちの助けになりたいと、法学の勉強に励みました。その後、新聞記者を経て、労農運動の活動をしていましたが、父の初心を貫くには「まず法律を作るところに身をおくこと」と気がつき、昭和の初期から政治家をめざし、第19回総選挙(昭和11年)に初当選しています。父も母も、日頃の社会活動の延長線上で目指す“人づくり”、“国づくり”があり公僕として立法に責任をもつ政治家になることの意義があったのです。

 有田芳生さんは、長いことジャーナリストとして活躍をされていらした中で、
多分、私の両親と同様の熱い想い、使命感、責任感をもたれたのではないでしょうか…。

 有田芳生さんの公正なる主張と 勇気ある行動力にエールを送ります!


小さな出会いの大きな励まし

2009-07-25 10:25:41 | 東京・板橋

 7月24日(金)090724_12270001 朝は志村三丁目。強い雨のなかで2時間訴えたからだろう。東武東上線で上板橋駅から移動するとき、いささか疲れを感じていた。ホームで子連れの女性から激励される。電車が出ていくまでずっと手を振ってくれていた。その思いの奥にあるものに考えを巡らせる。車内は空席が多かった。それでも立ったまま榊原英資さんの『大不況で世界はこう変わる』(朝日新聞出版)を読んでいた。電車を降りる直前に男性から「有田さんですよね」と声をかけられた。「11区から出るんですよね」と言われたので「はい、そうです」。「いやー、さっきから見ていたんですけど、席が空いているのに立っていましたよね。そこに人柄が表れていますよ」と肩をポンと叩かれ強い握手を求められた。座るかどうか。そんなことでも印象ができるんだなと思ってしまった。先日も事務所に「どうしていつも有田は独りで電車に乗っているんだ」という内容の電話があったという。スタッフが不審に思っていると男性はさらに続けた。「秘書もいないで車でもないのが気に入った」。政治の世界への固まった印象がきっとあるのだろう。板橋を毎日毎日歩いて人々との交流を続けて約1年。意識の片隅にでも残ってくれているなら幸せなことだ。中台を歩く、歩く。再び上板橋で民主党の尾名高勝区議と打ち合わせ。帰宅すると小沢昭一さんから新刊の『道楽三昧ー遊びつづけて八十年』(岩波新書)が送られてきていた。読書どころではなくなった日常。本来なら感想をここに記すのだが、読むゆとりがない。最近お送りいただいた御著書をここに紹介して、とりあえずのお礼にしたい。やはり小沢昭一さんからは『五・七・五 句宴四十年』(東京やなぎ句会編 岩波書店)。三浦しをんさん『神去なあなあ日常』(徳間書店)、『星間商事株式会社社史編纂室』(筑摩書房)、釈徹宗さん『宗教聖典を乱読する』(朝日新聞出版)、イッセー尾形さん『言い忘れてさようなら』(徳間書店)、森達也さん『神さまってなに?』(河出書房新社)。岡田裕之さん『日本戦没学生の思想』(法政大学出版局)。