有田芳生の『酔醒漫録』

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中上健次の小説作法を読む

2006-09-25 07:41:16 | 読書

 9月24日(日)秋晴れの東京。朝6時半に書斎の窓を開ければ寒いほどの風が入ってくる。終日単行本『X』の原稿を書く。このままでは原稿枚数からして「プロローグ」ではなく「序章」になりそうだ。資料として鶴見祐輔『成城だより』、『新潮社100年図書総目録』を読む。構想などあったものではない。書くうちにどんどんと訂正され、思いもよらぬ方向に進んでいってしまう。だから書くことは面白いのだ。その合間に気分を変えるため明日締切りの映画コメント(「キング 罪の王」)と「今年読んでよかった本3冊」のアンケート原稿を書いた。テレサ・テンの中国語曲を流していると、急にベトナムの街を思い出してしまった。とくに「千言萬語」の悠然として穏やかな調べを聴いているとホーチミン市のナイトクラブやフエのホテルの情景が浮かんできた。「みんなどうしているんだろう」と感傷にふけることしばし。男も女も生きることに懸命だった。それでもどこかゆとりを感じるのだった。豊かさとは決して物質的なものだけではないのだ。気分を変えて中上健次さんの連続講座の記録を読む。1984年に東京堂書店で行われた「現代小説の方法」の第1回は「小説を阻害するもの」。喫茶店や食堂での会話、あるいは電話を使った連絡などの設定は陳腐だというのが中上さんの小説観だと理解した。そうではなくあらゆるものの原質を描くこと。それが小説だというのだ。こう書いているのはあくまでも自分なりの理解と言葉であって、中上さんの発言からは離れている。一例として正確に引用すればこういうことだ。

 目星つければ何か出来るだろうと単純に狙ってやるのが、テレビドラマのシナリオライターたちですね。これは非常に下等な生物です(笑い)。何時もだいたい話が方々に散っていくでしょう、するとまとめるのにもの食わすんですね。(中略)卓袱台とか喫茶店とか、お茶飲ませたりして。

 ここには作家にとって「場」とは何かという問題が提出されている。整然とした「場」ではなく、そこには必ずといっていいほど「動く」者がいる。それをトリックスター(悪戯者)ということもできるが、単純に考えても現実には猫や犬なども動いている。「宙づりにされたもの」としての「場」を書くことが小説なのだ。中上さんはパキスタンの少年アミンを例に説明をしている。難民の生活は日本人にはとても理解できないものがある。電話で連絡すればいいものを、いつもいつも歩いて連絡をしに行く。しかし電話で済ませばそこに小説世界は生まれてこない。現代の小説につまらないものが多いのは、技法はあっても小説の背骨となる理論がないからなのだろう。「小説家」として売れているからといって、それが小説だとはいえないのだ。中上さんの講演を読んでいて幾人かの作家の顔が浮かんできた。実は小説の世界だけではなく、コメンテーターやライターの問題でもある。講演記録は「熊野誌」第50号記念別冊に収録されている。定価は1000円。申込先は新宮市立図書館(0735ー22ー2284)だ。


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そういわれて気づくのが、今回のNHK朝ドラ「純... (五十嵐茂)
2006-09-25 09:02:58
そういわれて気づくのが、今回のNHK朝ドラ「純情きらり」のシナリオでしょうか。視聴率は最近ではトップらしいのですが、その展開と言えば、ご都合主義で人物は動かすわ、こうなるだろうなと思っていると何の芸もなくそうなっていく、という毎回に満ちていました(笑)。見る側に思わず立ちのぼる意味というのがあってほしかったのですが、あまりにわかりやすすぎて平板きわまりないシナリオというのはこういうのを言うのでしょうか。ところが私の評価に反して視聴率は稼いだ。私は自分の評価が世間に通用しないことを確認しましたね(笑)。それでも1回もかかさず見たのは宮崎あおいがよかったからかな。

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