有田芳生の『酔醒漫録』

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ダーウィンの悪夢

2006-08-31 09:18:02 | 映画

 8月30日(水)いま、わたしたちがレストランなどで、それが何かと知らずに食べている白身魚がある。ランチのフライなどでその魚が出さてもわかりはしない。ナイルバーチがそれで、ヨーロッパや日本で「白スズキ」という名前で流通していた。この魚はどこで獲れるのか。東京・渋谷の「シネマライズ」で12月に公開される「ダーウィンの悪夢」は、この魚を焦点に、おぞましいほどの人間格差を描いている。京橋のメディアボックスで試写会を見た。配給会社の女性から「どうでしたか」と聞かれて言った言葉は正直な気持ちだった。「じゃー、どうすればいいの。いい映画なんだけど……」。世界は多くの涙と苦悩で満ちあふれている。わたしたちは知らなければそれで済む日常に暮らしている。この映画を見て、狭い試写室で溜息をついたところで、一歩現実に戻れば無邪気に酒を飲み、さきほど深く嘆いたつかの間など関係なく恋人と戯れる人もいるだろう。何あろう、わたしも嘆き、憤激し、幕が降りたところで「どうすればいいの」と気が重くなってしまったのだった。それでも神保町で酒を飲み、たわいない雑談をして、いまこう書いていても、ドキュメンタリーの世界とこの日常とは遠く隔たっている。そう自覚するほどに、虚しさを感じている。世界を嘆き、批判するならば、その悲惨な現実をどのように背負うことができるのか。先進資本主義国に生きるわたしたちは世界のあまりにも非合理な現実に確かな手触りを感じているだろうか。建て前の教科書的解答ではなく実感としての改革指針はあるのか。「ある」と無邪気に言える人はこのすぐれた映画をテキストにぜひとも答えて欲しい。

 わたしはこの「ダーウィンの悪夢」を身じろぎもせずに見た。その結果、タンザニアに住む「あの娘」や「あの子供」の顔が浮かび、いま気持ちは混とんにある。ナイルバーチを輸送するためにロシアなどからやって来た男たちに10ドルで売春する女のなかにエリザがいた。彼女はいつかコンピューターの勉強をしたいと希望を語っていた。そのエリザはオーストラリア人に殺害される。右足を失った少年は、木製の松葉杖で生きるために食い物を漁っている。夜間の警備で1ドルを得る男は、戦争が起きることを本気で望んでいる。ストリートチルドレンは、薬物を吸引し、灯もない路上で眠る。そのあどけない手の大きさを見れば、彼らがまだ小学生程度の年齢だとわかる。肉食のナイルバーチをヴィクトリア湖に放ったのは誰か。ナイルバーチをヨーロッパに運ぶための輸送機で武器がアフリカに持ち込まれている。武器商人や多国籍企業のたくらみが背景にあるのだ。確立されたこの世界構造とわたしたちの日常はつながっている。これでいいのか、いいわけがない、ならば何ができるのかを問うすぐれたドキュメンタリー映画だ。タンザニアのヴィクトリア湖は、もはや多くの生物が息づく「ダーウィンの箱庭」ではない。そこに定着した「悪夢」とは、じつはこの日本の華やかな表層を剥がした現実でもある。