有田芳生の『酔醒漫録』

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田中康夫の「日本を」

2006-08-01 07:01:06 | 政談

 7月31日(月)梅雨が空けると何だか秋風が吹いているようだ。まだまだ炎暑は来るのか。昨日からつらつらと『考える人』(新潮社)を読んでいる。「戦後日本の〈考える人〉100人100冊」という特集はよくできた読書案内だ。派手なシャツを着た石原吉郎、哲学者顔の藤田省三、深い諦観をたたえた開高健、哀しさを漂わせる中上健次、優しさのナンシー関など、すでにこの世を去った知識人たちの肖像が心にしみる。とくに印象に残ったのは、藤田省三を取り上げた津野海太郎の回想だ。「60年代の藤田さんの批判は、ひとを腹の底から元気づける闊達な大笑いをともなっていた」という。それが徐々に失われていったことを津野は「くやしい」と述懐した。その理由こそ「安楽の全体主義」と藤田が分析した日本社会の大きな変貌にあるのだろう。「ひとを腹の底から元気づける闊達な大笑い」をともなう批判など、いまどこにあるのだろうか。未経験の経験を探すために60年代を記録した『藤田省三対話集成1』(みすず書房)を読みはじめた。「運動評価プログラム」というタイトルは江藤淳との対談だ。「六〇年安保闘争」の渦中にあっての対論は時代が動いている息吹が感じられる。石原慎太郎、江藤淳、大江健三郎、小田実など若手作家が「若い日本の会」に集っていたが、この安保改定をきっかけに別れていく。それでも江藤や鶴見俊輔、竹内好などが団地などを回る移動講演会で訴えていた時代は輝いている。

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  新宿ゴールデン街を歩く。上京した70年代半ばとはたたずまいも人も変わってしまった。同世代の店主が続けている「チャコ」が健在であることを確認してホッとする。道を歩きながらふと長野県知事選挙を思った。かつて知識人が演説をして歩いたように地道な政治行動が大切なのだ。最近読んで共感した田中康夫さんの『日本を』(講談社)は、これまで行ってきた長野県改革を日本全体の先行きのなかで具体的に明らかにしている。介護、教育、林業、ヤミ金対策などなど、きわめて創造的なのだ。全国45道府県で借金が増え続けるなか、長野県だけが5年連続で県債残高が減っていることはあまり知られていない。『日本を』の巻末には「ミニマ
ヤポニア」という田中さんの政治哲学が述べられている。田中さんの発想のしなやかさは「朝日ジャーナル」時代からよく知っているが、知事としての施策がユニークで弱者の視線に立っていることはもっと評価されてよい。政治哲学なき政治屋が横行する貧困日本にあって、たとえ個性に違和感を感じることがあったとしても、田中康夫さんの手腕とは別次元の問題なのである。長野県知事選挙の争点は庶民に冷たい官僚利権政治の復活を許すかどうかということにある。