ワタシの場合「すべて、映画・演劇、そして時々音楽が、教えてくれた。」
世界各地で、まさに時代の転換期ともいえるような、いままでずっとマグマのようにくすぶり続けていた火種が、一揆に表面に現れてきたような混乱ぶりですね。(自然界も呼応してる。)
人間は、思っているよりも、あきれるくらい、がっかりするくらい、進歩も成熟もしていなかったのかもしれません。いざとなるとエゴとか、欲望がむき出しになってしまうものなのですね。普段どれだけものわかりのよい態度をとっていても。立派な発言をしていようと。混乱の時には、本性が出る、というのが人間の性なのかな。(ワタシもそれから免れる事はできない?)
「ああ、無情」って、いう本(「レ・ミゼラブル」です。)を読んだ時、世の中には難しい問題がたくさんあるんだ、ってはじめて思いました。小学生の時でした。生きるために一切れのパンを盗んだジャン・バルジャンの物語。その罪で牢獄に入れられて釈放された日に、宿と食事を提供してくれた神父さんの教会から銀の食器を盗む、という。ジャン・バルジャンは罪人なのであろうか。(法律的には罪人です。)ジャン・バルジャンと同じ境遇にあったとしたら、自分は罪を犯さないのだろうか?すごく考えたけど、本当に考えるべきことが、たくさんこの作品には含まれると感じていた。学校では、神父さんとの出会いがジャン・バルジャンを変えた、っていうところを強調して習った、という記憶があるけど・・・・・。今日本や、世界で起こっていることって、ものすごくこの作品に近いものを感じるのはワタシだけでしょうか。でも、人間として包み込むような眼差しで見守る神父のような存在はいなくて、代りに、ひたすら排除、の方向に向かおうとしている不寛容、だったり、それを利用した間違ったナショナリズム。
どうしてそんなことが起こるのだろう。もっと幸せな世界、未来はつくられないのだろうか。そんな風に考える人は多いと思う。で、宗教を研究したり、民族の歴史を研究に興味を持つことだってあるのではないかな。ー演劇だって。昔の演劇には、そういう社会の矛盾に問いかけるような作品って多かったんだよね。今じゃ、全然はやらなくなっちゃったけど。
帝劇(東宝)が日本ではじめての大々的なオーディションをした時、ミュージカルが好きじゃないワタシが「受けよう」と思ったのも「レ・ミゼラブル」という作品に思い入れがあったから。ガブローシュという少年役で最終までいったけど、最終的に「やっぱり子役にやってもらうことにしました。」だって。その後、小さな劇団でこの演目を経験しました。想像もしていなかった演出家との出会いに恵まれて、より深く実際に自分がその世界に身をおくことで、この作品の秘めた深い問いを直接感じることになります。だから、答えの出せない難しい問題があったとしても、自分なりの考えをイメージとして持つことができるようになりました。感覚として、「これは絶対ありえない。とか、こっちの方向にいくのが光につながっているはずだ、とか。」生きるうえでの大切なことを、演劇や、すぐれた映画作品から学んだことは間違いないのです。音楽は、向かって行きたい方向への道しるべになってくれる気がするのです。
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「ああ、無情」って、いう本(「レ・ミゼラブル」です。)を読んだ時、世の中には難しい問題がたくさんあるんだ、ってはじめて思いました。小学生の時でした。生きるために一切れのパンを盗んだジャン・バルジャンの物語。その罪で牢獄に入れられて釈放された日に、宿と食事を提供してくれた神父さんの教会から銀の食器を盗む、という。ジャン・バルジャンは罪人なのであろうか。(法律的には罪人です。)ジャン・バルジャンと同じ境遇にあったとしたら、自分は罪を犯さないのだろうか?すごく考えたけど、本当に考えるべきことが、たくさんこの作品には含まれると感じていた。学校では、神父さんとの出会いがジャン・バルジャンを変えた、っていうところを強調して習った、という記憶があるけど・・・・・。今日本や、世界で起こっていることって、ものすごくこの作品に近いものを感じるのはワタシだけでしょうか。でも、人間として包み込むような眼差しで見守る神父のような存在はいなくて、代りに、ひたすら排除、の方向に向かおうとしている不寛容、だったり、それを利用した間違ったナショナリズム。
どうしてそんなことが起こるのだろう。もっと幸せな世界、未来はつくられないのだろうか。そんな風に考える人は多いと思う。で、宗教を研究したり、民族の歴史を研究に興味を持つことだってあるのではないかな。ー演劇だって。昔の演劇には、そういう社会の矛盾に問いかけるような作品って多かったんだよね。今じゃ、全然はやらなくなっちゃったけど。
帝劇(東宝)が日本ではじめての大々的なオーディションをした時、ミュージカルが好きじゃないワタシが「受けよう」と思ったのも「レ・ミゼラブル」という作品に思い入れがあったから。ガブローシュという少年役で最終までいったけど、最終的に「やっぱり子役にやってもらうことにしました。」だって。その後、小さな劇団でこの演目を経験しました。想像もしていなかった演出家との出会いに恵まれて、より深く実際に自分がその世界に身をおくことで、この作品の秘めた深い問いを直接感じることになります。だから、答えの出せない難しい問題があったとしても、自分なりの考えをイメージとして持つことができるようになりました。感覚として、「これは絶対ありえない。とか、こっちの方向にいくのが光につながっているはずだ、とか。」生きるうえでの大切なことを、演劇や、すぐれた映画作品から学んだことは間違いないのです。音楽は、向かって行きたい方向への道しるべになってくれる気がするのです。
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