日々の泡

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2015年は節目の年

2015-01-04 15:20:31 | 社会
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

昨夜は、楽しみにしていた「いとうせいこうのトーキングセッション」(ゲスト:石牟礼道子、中村岳志)を聞きました。中身ぎっしりの貴重なセッションでありました。ラジオは久しぶりに聞きましたが、声の力って凄いですね。特に石牟礼道子さん!・・・ラジオなのに、石牟礼さんが話すと、空気が澄んでくるような気がする。まるで、他の人間とは違っているみたいな。地球全体を見渡しているような、とてつもないものを感じずにはいられません。石牟礼さんのお誕生日が(誕生日をお祝いしたことはなかったそうなのですが、2011年だけは、看護婦さんたちに花束でお祝いしていただき、うれしくなってTVをつけたら、津波の映像が流れてて、ところどころ火が見えて、なにが起こったのだろう、と驚いたそうです。)3月11日であるというのは、偶然だとはワタシにも思えません。

2015年は、戦後70年。阪神淡路大震災から20年。地下鉄サリン事件から20年。象徴的な出来事が起こった1995年は、バブルがはじけ、日経連(今の経団連の前身)が、終身雇用の時代は終わった、と今を予測するような発言を始めた年。(だそう。)

戦争にしても、地下鉄サリン事件にしても、ワタシたちは、社会が向き合わなければいけなかったことにちゃんと向き合ってきたのだろうか?という思いが強いです。誤解を恐れずにいえば、原爆を投下された唯一の国、という被害の側面からの主張に偏ってはいないのだろうか、という気持ち。サリン事件は、特別な人間が起こした特別な事件なのでしょうか。もしかしたら、誰でも起こしうる可能性を含んだ事件なのではないのでしょうか?そこから(問題の本質から)逃げ続ける限り、悲劇は繰り返されることになる、と。現に、足尾銅山の猛毒事件、水俣病、福島の原発事故は、繋がっているでしょう。ー最近の理解に苦しむ犯罪の根っこは、サリン事件と同一線上にあるのでは。日本は今、地殻変動が起こっていると。自然も、人も。
過去を生きた人(死者)、今を生きてる人、未来に生まれてくる人ーそのつながりをいつも心に留めておくことが大切だと感じます。

って、新年そうそう固い話になりました。が、
今日は、新年、初映画。記念すべき作品は「100歳の華麗なる冒険」HP
会いたい、会いたいって思ってた友人にスーパーでばったり会えて!「面白かったよ」と教えてもらったので即(昨日のラジオの中身と重なるとこが多くてびっくり」。。。)
新春にふさわしい、珠玉の?作品でした~。楽しくて、楽しいだけじゃなくて、元気をもらえるとびきりの!!
「人生は何が起こるかわからない。考えたってしょうがない。」ー矛盾しているようだけど、これもひとつの真実ですよね。頭で考えることより、大切なことがある、っていうのも本能でわかりますよね!
長々書いちゃったけど、2015年が、皆様にとって、素敵な年になりますように

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