日々の泡

こころに浮かんでは消え、消えては浮かぶ
日常のありふれた風景をスケッチ

タップのこと(と、それまで)

2023-01-23 11:26:08 | 演劇

ところで、今まで書いてきた文章に、

「労演」って文字があるんだけど、実は私が会員だったは頃すでに

会の名称は、「山形演劇鑑賞会」だった。でも、よく労演、労演、って言葉を聞いていたし、短くて言いやすいから、意味を深く考えることもなく・・・クラシック音楽を楽しむ団体を「労音」っていってるから・・ま、いっか・・・って。「労演」の「労」ってなによ!!!?

どうやら、労演の労は、、、、勤労者の「労」らしい。正式名称は、「(山形)勤労者演劇協議会」って、何それ??

(ものすごく偶然に、会の歩みに関する書物が私の手元に。脳科学的に(?)この文献を読んだことが引き金になって、私の過去の記憶が再生されようとしているのかも?この世に偶然はない、全てが必然だ、っていうなら、ノリノリで乗っちゃうよー♪)

労演の基本的な考えとしては、「よいお芝居を、より安く、より多くの人で」見ようと結成された観客組織。

でも、時代背景としては、「60年安保闘争」の余波がまだ巷に燻っていて、次第に右傾化する社会状況があった、という。心の隅には、勤労者を先頭に、反動的な文化攻勢と闘わなければという気負いがあったかも・・・とも。関わっている人の心の中を全て知ることはできないが、中には演劇を通して社会を変えたい、と思っていた人が少なからずいたはずだ。青臭い、と言われれば全くその通り、と今は思うのだけれど、劇中の宮沢賢治に恋焦がれた私は、まさに。平和な世界が来てほしい、世の中が少しでも優しくなってくれたらいいな、と思って演劇を志しました。ーなんて、そんな偽善的で僭越なこと、恥ずかしくてとても言えなかった。。でもそれが、もしかしたら本田さんとの出会いに繋がったのかな。

演劇の誕生の歴史を知らなくても演劇ができない、ということはない。

というか、むしろ、知らないなどというのは当たり前で、誕生の歴史とはかけ離れていくことの方が多いのではないかな。現代では、演劇などは一部を除いて、どんどんエンターティメント化していってる。

私がタップを真剣に続けたい、と思うようになったきっかけは

NYに行ったことだ。そこでマスターと呼ばれるTAPの神様みたいな人たちと直接会って、そのショーを見たことだ。神様の人としてのありよう、生き方がタップを通じてビンビンに私の心に響いたから!

なんでNYに行くことになったのか、とそれまでが飛びすぎてるね〜(笑)

そのうち、埋まる、かな??(笑)

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿