日々の泡

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なんなんだろうな・・・・

2012-11-16 08:47:34 | 日々
政治家、って人種は。
って思う。お金儲けがしたいから、政治家になるの?それとも、ステイタス?
あんなことやってて恥ずかしくないの!と言いたくなるけど(せいぜいTVに向かって「最低」と吐く)恥ずかしいと思える正常な感覚を持った人は、政治家になんかなれないんだろうな、と想像する。万が一、あの中に純粋に理想に燃えて仕事をしている人がいたとしても、飲み込まれて行く無力感と、どうやって闘っているのだろう、と考えてしまう。
戻す、という選択はありなのだろうか?
国土強靭化計画という名のもとに、また公共投資の政策へ逆戻り。
いつまでそんなことばかり続けていくつもりなんだろう。国民も、経済のためには、その政策には賛成なのだろうか。
他人がどんな風に考えているのかわからない。日本人て、あんまり心のうちを話し合ったりしないな、と思うのは、きっとワタシの方が変人と思われる所以だ。
気分が落ち込んで、このままだと外に出られなくなるかも、と自分でもまずい、と思って出かけるようにした先で、偶然「カンバセーション・カフェ」という会に誘ってもらった。アメリカで9・11を機に発祥、身近な人とのコミュニケーションを深めようという目的で各地に広まったもの。ルール(例えば、他人の発言の途中で遮らない、とか、お互いに尊敬の心を持って話すように心がける、とか。)にしたがって、その時テーマに選ばれたことに関して、それぞれが考えたり思っていることを順番に話していき、何周りかしたところで、今度は討論、というように。随分「豊かさ」ってなんだと思う?というようなテーマで話し合ったな。今思うと、その会のおかげで、ずいぶん、塞ぎがちな自分の心が救われたんだ、ってことがわかる。(今では、以前より自分が強くなった気がする。)ま、お金とか、物質的な目に見えるものより、もっと大切なものがある、ということを生き方そのものに現しているような人たちが揃っていたから、安心して参加できてた、ってこともあるんだけど。
今でも、「ちゃんと踊ってる?」って心配して声をかけてくれる人たちがいる。
ワタシは、どうもインプットの情報量が多すぎるきらいがあって、踊ったり話したりして、うまくアウトプットできないとたちまち具合が悪くなるらしい。そんな時は、「踊れてないの?」とか聞かれてしまう(笑)。ワタシにとってダンスは、自分が生きていく(心身のバランス維持と、他人とのコミュニケーション手段)ために必要なものなんだな~って、最近はっきり自覚したから、以前よりもっと感謝をこめて踊れるようになった。きっとワタシと同じように、ダンスが生きていく支えになる人(職業でも、趣味でもなく)って今後どんどん増えていくと思うから、その時のためにも、続けなきゃ、という張り合(?)ができた(笑)
そして、続けて積み重ねていけば、いつかイチロー選手が言うような、「とんでもないところ」に行けるかもしれないし~、って、そういう妄想は、いいでしょ!!