ここのところ忙しく働けて、ややスリムになった感じがして嬉しい。
とても健康である。
明治生まれの父が数えの白寿ですか、その祝いの段取りをしたいと姉からの連絡あり。
彼岸過ぎに集まることが決まった。
とにかくここまで生きているってすごい。頭脳では尊敬できないが、その才能は尊敬するに値する。
私もその遺伝子を受け継いでいたら嬉しいのですが、やや神経質ではあるが、のんき者でもあるから、意外と長生きできそうな気もするけど、そうでもない気もする。
とにかく自慢の父ではある。
支離滅裂ですが、私の下腹は女性のようにポコッと出ている。これっ、て何とかならないの。ウエストは痩せたのですが、下腹がなかなかヘコんでくれない。
腸に物が溜まりやすくなっているのでしょうか。
でも、何ですね、忙しいと他のやりたいことが全然できませんね。若き日は次々と別の事柄でもこなすことができたのですが・・・・
今では、いろいろなことをしようとしても、まず、その方角に向かう、あるいはその気になるのにも時間を要するようになってしまっている。
瞬時に適応していく,なんて遠い昔日の如し。
ホントこの歳になってこそ感じる相対性理論。
経年、経時の早いこと、他人様の足の速いこと。あっ、それは私の胴が長いってことか。
なんで、早いのか、なんで加速度がついていくのか、漠然と物思いに老けっていたら、厭きないようにさせてくれているのか、なーあ!って、歳を重ねていくと感動も意欲も低調になっていくでしょう。自然様が低調になるように仕向けていくのかな?
そんな時期がやたらと無用に長かったらイヤになってしまわないでしょうか。
親切な自然様なのですよね。
実際、私の父もまだお向かいが来ないと、嘆いているのです。そんなお年寄りを結構拝見してまいりました。私はその都度、誇りなんだって叱咤激励しておりますが、本人は世話になるばっかりで、お役にたっていない自分の情けなさに落ち込んでいるようです。
逆説で、世話にならず、お役に立っていると思えば自信の元になるんだなってつくづく感じている現在です。だから、生きているだけで自慢の息子ならぬ自慢の父と、口をスッパクして言っています。
飽きない様にって言うのはそれだけじゃなく、子供を育てたりするのも、恋愛をしたりするのもそうなんだなあと感じ入っています。自分が動かなくっても子供や連れ合いや従業員や親など、それぞれ他人様がいろいろと問題提起をしてくれます。飽きているヒマなんてありません。
少しはある時期もありますけれどねえ、私の母が亡くなる時、いみじくも言ってました。
私が病院に行って見舞ったとき、亡くなる一週間ほど前ですか、「どんな人生だった?」
「あっ!と言う間だったよ」86歳でした。
その言葉に飽きることがなくて、幸せだった人生を感じることが出来ました。金婚式で私は彼女にウェディングドレスを着せました。嬉しそうに可愛く微笑んでいたのを今更のように思い出すことができます。
同年代の方々も羨ましそうに表現されていたのを覚えています。
良くぞ自然様は、そんな人生を作り上げてくれたもうぞ、
その結果私の人生感は、長くもあり短くもあり、に落ち着く。人生としての有である存在の意識はホンの一瞬、その前後左右は無が取り巻く。
一瞬のあっ!と言う間にすぎない有を大事に自覚しよう。
亡くなるときの送りの言葉を考えていました。いろいろ考えました。
「産んでくれてありがとう」これしかないなと思いました。
とても健康である。
明治生まれの父が数えの白寿ですか、その祝いの段取りをしたいと姉からの連絡あり。
彼岸過ぎに集まることが決まった。
とにかくここまで生きているってすごい。頭脳では尊敬できないが、その才能は尊敬するに値する。
私もその遺伝子を受け継いでいたら嬉しいのですが、やや神経質ではあるが、のんき者でもあるから、意外と長生きできそうな気もするけど、そうでもない気もする。
とにかく自慢の父ではある。
支離滅裂ですが、私の下腹は女性のようにポコッと出ている。これっ、て何とかならないの。ウエストは痩せたのですが、下腹がなかなかヘコんでくれない。
腸に物が溜まりやすくなっているのでしょうか。
でも、何ですね、忙しいと他のやりたいことが全然できませんね。若き日は次々と別の事柄でもこなすことができたのですが・・・・
今では、いろいろなことをしようとしても、まず、その方角に向かう、あるいはその気になるのにも時間を要するようになってしまっている。
瞬時に適応していく,なんて遠い昔日の如し。
ホントこの歳になってこそ感じる相対性理論。
経年、経時の早いこと、他人様の足の速いこと。あっ、それは私の胴が長いってことか。
なんで、早いのか、なんで加速度がついていくのか、漠然と物思いに老けっていたら、厭きないようにさせてくれているのか、なーあ!って、歳を重ねていくと感動も意欲も低調になっていくでしょう。自然様が低調になるように仕向けていくのかな?
そんな時期がやたらと無用に長かったらイヤになってしまわないでしょうか。
親切な自然様なのですよね。
実際、私の父もまだお向かいが来ないと、嘆いているのです。そんなお年寄りを結構拝見してまいりました。私はその都度、誇りなんだって叱咤激励しておりますが、本人は世話になるばっかりで、お役にたっていない自分の情けなさに落ち込んでいるようです。
逆説で、世話にならず、お役に立っていると思えば自信の元になるんだなってつくづく感じている現在です。だから、生きているだけで自慢の息子ならぬ自慢の父と、口をスッパクして言っています。
飽きない様にって言うのはそれだけじゃなく、子供を育てたりするのも、恋愛をしたりするのもそうなんだなあと感じ入っています。自分が動かなくっても子供や連れ合いや従業員や親など、それぞれ他人様がいろいろと問題提起をしてくれます。飽きているヒマなんてありません。
少しはある時期もありますけれどねえ、私の母が亡くなる時、いみじくも言ってました。
私が病院に行って見舞ったとき、亡くなる一週間ほど前ですか、「どんな人生だった?」
「あっ!と言う間だったよ」86歳でした。
その言葉に飽きることがなくて、幸せだった人生を感じることが出来ました。金婚式で私は彼女にウェディングドレスを着せました。嬉しそうに可愛く微笑んでいたのを今更のように思い出すことができます。
同年代の方々も羨ましそうに表現されていたのを覚えています。
良くぞ自然様は、そんな人生を作り上げてくれたもうぞ、
その結果私の人生感は、長くもあり短くもあり、に落ち着く。人生としての有である存在の意識はホンの一瞬、その前後左右は無が取り巻く。
一瞬のあっ!と言う間にすぎない有を大事に自覚しよう。
亡くなるときの送りの言葉を考えていました。いろいろ考えました。
「産んでくれてありがとう」これしかないなと思いました。