宇宙の彼方から

自然の不可思議な森羅万象に揉まれる自分や他人の有り様を見つめる。

私のひとコマの歴史、親友のお見送り。

2005-03-24 22:58:03 | Weblog
今日お見舞いに行ってきた。
以前5年ほど、仕事場で将棋を指した間柄。
15日前に電話をいただいたが、私の仕事が忙しくなかなかいけなかったがやっと暇がとれた。
大腸ガンである。
それも再入院。本人も自覚している。
怖くはないと言う。とても落ち着いている。見事である。
見舞い品とともにそっと将棋盤と駒を忍ばせた。考える気力、将棋をしたい意欲もなくなったと言う。15日前はその気があったから私に電話したのだと言った。
ただ、死を待つだけの状態。
痩せている。目がギョロとしている。鼻の高さが妙に印象的。
63歳。
ストレスによると言う。
社会の末端を歩く人間は、常にストレスとの戦い。
次第に将棋をしたい気分になってきたようだ。
やろうと言い出した。私との将棋、これが最後だからといいつつ、三番もこなしてしまった。
フッと車に戻ってカメラを持ってくる、最後の写真、最後のビデオ。
出会いが走馬灯のように駆け巡る。
そしてどちらともなく、軽い笑顔で別れの握手。今までそんなことは一度もなかった。
不思議だ、私も握手をしたくなった。彼も握手をしたくなった。思いがそこで全く同じだった。抱きしめてあげたいような気分でもあった。さすがにそこまでは出来なかった。
別れは大概は言葉でしかなかったのに・・・・
無への送り出しの握手であった。何思うのだろう。
いってらっしゃい との言葉しか思いあたらない。
疲れるからと 自重を促しても「将棋で死んでも悔いはない」と言ってくれた。万感の思いなのかも知れない。実は幼少期彼はプロを目指していたのだ。そして4段
私は自称二段。彼には勝てなかった。でもこの日は2勝一敗。最後の敗戦はお土産である。
じゃ、今度はあの世で指そうよ。喉まで出掛かった言葉を飲み込んだ。