宇宙の彼方から

自然の不可思議な森羅万象に揉まれる自分や他人の有り様を見つめる。

右より意見の踏襲

2007-11-23 08:28:51 | 
最近、あまりニュース種といったものがあまり見受けられず、私の出る幕もないのだが、まあ、近々解散総選挙へのシナリオの秒読みが始まったか?・・・・なんて事くらいですかね・・・・・

そういうわけで、各テーマごとに他の方たちのコメントを拾いに行っているのですが、概して「右よりの意見」を述べておられる方々は、批判コメントがお嫌いらしい? 私がコメントを書きたいと思っても、「ログインしてください」とか、「一切受け付けない」とか、面倒くさくなっている。
「じゃあいいや」と私の面倒くさがりを引っ張り出すのだ。

「万機公論に決すべし・・・」でやればいいのに、と思う。
「左よりの意見」にもたまにはあるが、多く受け付けないのは右よりの意見の方である。
これは他人の意見に聞く耳もたず、独りよがりの考え方に基ずくものであろう・・・・?
思想の発展を阻害するものだ。
自分の考え方を全て「良し」で判断していては、器の程度が知れている。そんな器の器量で政治の言動やら行動やらをされたら、適わない。
しかし、一方、やっぱりその人たちの面倒くさがりの性質もあるのだろう・・・・?いちいち反論も大変だ、私もいちいちお答えしてはきたが、大変であった。

それから、「右より意見」は、罵倒などのチンピラヤクザ風の言動を持って威嚇しようとする方々も多い。
ちょっとでも「左より意見」を述べようとすればたちどころに猛烈に叩いてくる。
それが右傾の彼らの正体かも知れない・・・・?(右翼の街宣車に乗る彼らのいかにもヤクザ?・・・らしい、舐められんと牽制威嚇する顔つきの傲慢さに共通する)
それが炎上の事態を招くのであろう。

「右より意見」は「左より意見」共々、どちらも「偏り意見」であって、無理やりの論拠を示す場合が多い、それが私に指摘されてしまうところなのだ。
偏りは、ご存知のように、  「病気をもたらす」   ひどい時は、死ぬことにもなる。その精神的、生活習慣病のツケは簡単には完治し難い・・・・?

彼らは、批判意見、耳障りな意見、には耳を傾けようとしない、「信念を疑念に変化させられることを極端に恐れる」だから「迎合ファン」や「生粋の右翼の煽ての応援歌」で取り囲まれる、そして、たむろ(群れる)する。
度々、良く、「右翼の巣窟」に出喰わす。
どういう訳か「左翼の巣窟」にはお目に掛かったことがない。

右翼の巣窟でコメントしようものなら、大変!
全員で叩き出してくる、それも何の理屈も何もない、異端の細菌が進入してきたくらいにしか、思われないのだ。
しかし、「一石を投ずる」意義はある。「右より考え」であっても、深く入っている人と、懐疑的な人と、いろいろ居るのである。
違った考えをその輪の中(右より意見)に入れることは、重要な意味を含んでいるのだ。