ここまで書いてきたのなら「特高」も語っておかなければなるまい。
ご承知のように「特高」とは「特高警察」の組織です。
治安維持法や国家総動員法などと言う法律で民衆を取り締まっていた尖兵です。
この法律に抵触した、あるいは、したと思われる民を片っ端から捕らえて、厳しい尋問と拷問で白状を迫った極めて非民主的な超右翼集団だそうです。それでも設立当初はそうではなかった筈だ。
主に犯罪者の取り締まりに力点が置かれていたように思う。それがやがて何でも無い人でもあるいは他人の申告などによりて嫌疑を掛け、有無も言わさず拘留と相成る。
戦前を暗い時代と比喩したのは、こう言う組織の厳しい取締りでもあるのです。
人から豊かな感情表現であるところの笑顔が消え、ポーカーフェイス顔に向かっていきます。今の北朝鮮よりもひどい無表情だったのではないでしょうか。
あのオウム幹部達の逮捕時の表情をごらんになったでしょうか。まさに無表情そのものであったと思います。白い歯を見せられない、つまり油断する、気を抜くことさえ許されない状況設定の真っ只中に人々が追い込まれていた、と言うことでしょう。
こんな事件ありました、あの浅間山荘事件の前に確か、森さんと永田さんでしたっけ、仲間なのに「総括!」として、殺して歩いていましたね。
そうです。仲間なのに「やれっ裏切った」とかお互いがお互いを監視し合うシステム作りをして、
がんじがらめするのです。今の企業の中にもありますよね。権力者、経営者サイドが陥りやすい自然のワナと申しましょうか。
こういう時代が到来すると、暗くなっていくのです。
人々は自分自身の防衛のために徳川さんの日光東照宮にある「見ざる 聞かざる 言わざる」を実践する、 こう言う状況を「心の鎖国」と言うのです。
国家のために、本音を隠し、破顔一笑を忘れ、そしてそれが悲しいかな当然なんだと思い込み、思い込ませていく。ある意味けなげな平民達。それを今の北朝鮮に見ることができる。
よって哀れにもタレこみ(チクリ)を怖れ、隣人、家族さえにも言葉を選び生きなければならない時代となる。こうなっては平民達はヘビに睨まれたカエルである。
実は民衆にとって、遠くでのドンパチ戦争よりも身近であるだけにこの方が怖かったのではないでしょうか。何せ他人が、一切合切信用が出来ない状態に陥ってしまうのだ。一種、心の閉じこもり現象である。そこからは成長の鈍化しか生まれない。順調に成長していた状態から、一度鈍化を経験すると元の状態に戻るには3倍以上の時間とエネルギーを要するのである。いやっそれでも日本の幼稚さを見る限り、戻れないのかも知れない。
特高の畏怖を民衆の頭の中に叩き込む狙いもあったのでしょう。
「黙して語らず」「沈黙は金、雄弁は銀」などのことわざも権力者側の都合の良い「人心掌握術」であったことでしょう。
そうです、特高警察は超右翼であろうとも、法律を厳格に履行していただけの役人たちです。
ただ強引であって、民主的ではなかったようです。
こう言う場合は大抵、アメリカや他国に対峙するだけではなく、上の方の内情を隠蔽する作用としての役目もあったように思います。
民衆は自身を守るのに汲々として、軍事国家に反対するなんて不可能に違いなかった。旗を振り続けるしかなかった。また、それが当然のように情報は操作され、教育勅語で躾られた。
従って、いかにそこに至るまでの状況設定が重要であるかが解っていただけるのではないでしょうか。戦争を始めた者が罪深き者であることは確かですが、そこかしこに「至る状況」を作り上げた者たちも責任の一端はあるはずであって、それを一つ一つ検証しなければならない。つまり、その時はそれが例え一時の国益であっても、国家を面映っても、長い視点から考えればけっして「良い」と言えることではないことを知ることによって、そこから私たちは知恵を学ばされる。それが私の言う、いやっ、中国の言う、検証であり、反省であるのだ。「謝ることが反省ではないのだ」そんなことも諭さねばならぬのか。それをしなければ、同じ道程を歩んでも誰一人として違和感を覚えずに、スンナりと受け入れてしまうことになる。
憲法でさえ、人間によって生き物のように次々と変質されていってしまうのだ。組織の変質はいつも考えておく必要があろう。
常に始まりは、適合、適法からいく、しかしながら次第に国民の思惑から遊離していくことになる。ではそれを見分ける術はないのか。ある、元よりそれを考えた人選による。
みんないきなり東条英機ではない、ヒットラーではない、みんな伏線があり、登場する状況設定の準備が整っていたのである。それを問題にしないで、どこに解決の道があろうか。どこに国際社会において名誉ある地位が得られようか。
ご承知のように「特高」とは「特高警察」の組織です。
治安維持法や国家総動員法などと言う法律で民衆を取り締まっていた尖兵です。
この法律に抵触した、あるいは、したと思われる民を片っ端から捕らえて、厳しい尋問と拷問で白状を迫った極めて非民主的な超右翼集団だそうです。それでも設立当初はそうではなかった筈だ。
主に犯罪者の取り締まりに力点が置かれていたように思う。それがやがて何でも無い人でもあるいは他人の申告などによりて嫌疑を掛け、有無も言わさず拘留と相成る。
戦前を暗い時代と比喩したのは、こう言う組織の厳しい取締りでもあるのです。
人から豊かな感情表現であるところの笑顔が消え、ポーカーフェイス顔に向かっていきます。今の北朝鮮よりもひどい無表情だったのではないでしょうか。
あのオウム幹部達の逮捕時の表情をごらんになったでしょうか。まさに無表情そのものであったと思います。白い歯を見せられない、つまり油断する、気を抜くことさえ許されない状況設定の真っ只中に人々が追い込まれていた、と言うことでしょう。
こんな事件ありました、あの浅間山荘事件の前に確か、森さんと永田さんでしたっけ、仲間なのに「総括!」として、殺して歩いていましたね。
そうです。仲間なのに「やれっ裏切った」とかお互いがお互いを監視し合うシステム作りをして、
がんじがらめするのです。今の企業の中にもありますよね。権力者、経営者サイドが陥りやすい自然のワナと申しましょうか。
こういう時代が到来すると、暗くなっていくのです。
人々は自分自身の防衛のために徳川さんの日光東照宮にある「見ざる 聞かざる 言わざる」を実践する、 こう言う状況を「心の鎖国」と言うのです。
国家のために、本音を隠し、破顔一笑を忘れ、そしてそれが悲しいかな当然なんだと思い込み、思い込ませていく。ある意味けなげな平民達。それを今の北朝鮮に見ることができる。
よって哀れにもタレこみ(チクリ)を怖れ、隣人、家族さえにも言葉を選び生きなければならない時代となる。こうなっては平民達はヘビに睨まれたカエルである。
実は民衆にとって、遠くでのドンパチ戦争よりも身近であるだけにこの方が怖かったのではないでしょうか。何せ他人が、一切合切信用が出来ない状態に陥ってしまうのだ。一種、心の閉じこもり現象である。そこからは成長の鈍化しか生まれない。順調に成長していた状態から、一度鈍化を経験すると元の状態に戻るには3倍以上の時間とエネルギーを要するのである。いやっそれでも日本の幼稚さを見る限り、戻れないのかも知れない。
特高の畏怖を民衆の頭の中に叩き込む狙いもあったのでしょう。
「黙して語らず」「沈黙は金、雄弁は銀」などのことわざも権力者側の都合の良い「人心掌握術」であったことでしょう。
そうです、特高警察は超右翼であろうとも、法律を厳格に履行していただけの役人たちです。
ただ強引であって、民主的ではなかったようです。
こう言う場合は大抵、アメリカや他国に対峙するだけではなく、上の方の内情を隠蔽する作用としての役目もあったように思います。
民衆は自身を守るのに汲々として、軍事国家に反対するなんて不可能に違いなかった。旗を振り続けるしかなかった。また、それが当然のように情報は操作され、教育勅語で躾られた。
従って、いかにそこに至るまでの状況設定が重要であるかが解っていただけるのではないでしょうか。戦争を始めた者が罪深き者であることは確かですが、そこかしこに「至る状況」を作り上げた者たちも責任の一端はあるはずであって、それを一つ一つ検証しなければならない。つまり、その時はそれが例え一時の国益であっても、国家を面映っても、長い視点から考えればけっして「良い」と言えることではないことを知ることによって、そこから私たちは知恵を学ばされる。それが私の言う、いやっ、中国の言う、検証であり、反省であるのだ。「謝ることが反省ではないのだ」そんなことも諭さねばならぬのか。それをしなければ、同じ道程を歩んでも誰一人として違和感を覚えずに、スンナりと受け入れてしまうことになる。
憲法でさえ、人間によって生き物のように次々と変質されていってしまうのだ。組織の変質はいつも考えておく必要があろう。
常に始まりは、適合、適法からいく、しかしながら次第に国民の思惑から遊離していくことになる。ではそれを見分ける術はないのか。ある、元よりそれを考えた人選による。
みんないきなり東条英機ではない、ヒットラーではない、みんな伏線があり、登場する状況設定の準備が整っていたのである。それを問題にしないで、どこに解決の道があろうか。どこに国際社会において名誉ある地位が得られようか。